第二百三十七話 老獪な伏兵 前編
座曳は自身の父親の遺骸を、少しばかり海水を入れた籠に入れて確保し右手でしっかりそれを握り持ちながら、死体となった、その巨大なウツボを見下ろして、考える。その目は全体が濁って、固まって、動かない。もう、その目に威圧感など微塵もない。
やり遂げた高揚感による熱が冷めると共に、座曳は考える。
(……やはり、半端だ。本能に従うとしたら、あのときあそこで、口を開け、狙いすませるなんて動作は必要ありません。私の頭の、目の前に、ああやって口開き、牙見せる前に、狙いすましからちゃんと済ませ、一瞬で私の目の前で口を開けた動作に加え、続けて、繋いで、私の首から上を齧り切ればよかっただけの話。しかし何故か、これは、溜めの動作を、取りました)
先ほどの戦いの話。その中で生まれた違和感。
(よくよく考えると、狡猾さも半端、強者としての一貫性も無い。しかし、私の投げた岩への異なる対処のような、判断力。……、もしや…―)
「座曳ぃいいいいいいっ~、無事、なのかしらぁぁぁぁ~っ!」
懐かしい声だった。あの空間の中で聞いたのだから、正確には先ほど振りとでも言えるかも知れないが、実物のその声を聞くのは、座曳にとって、叶わない程に遠いことだった筈だったのだから。
声のした方向を向き、姿未だ見えないが、叫ぶ。
「結ぃぃっ! そちらでも何か、ありましたかぁああああ!」
結・紫晶の呪いが解けることはなくとも、弱まることは予想していた座曳はそれに驚きはしない。ただただ、声が上釣るくらいには、普段よりもずっと大きな声がすっと出たくらいには、嬉しさが零れてはいたが。
「そうよぉぉぉ~。大きな大きなドクウツボが出たのぉぉぉっ。何とかしといたわよぉぉぉ」
帰ってきた返事。成程と座曳は納得する。船員たちも、残っていた分は元通りで、彼らと上手いことやったのだろう、と想像する。そして、呪いが一部解けた結・紫晶の姿を最初に見たのが、自分ではないことが、少しばかり惜しいと思いつつ。
トッタッタッタッ――
聞こえてき始めた足跡。
座曳も結も、敢えて、それ以上は話し続けなかった。後は直接顔を合わせて。そう双方の思惑が一致したから。
(声は完全に元通り、ですか。果たして体は何処まで戻ってくれているのでしょうか)
そう、意識から一瞬、警戒が綺麗さっぱり、吹き飛んで――それを待ち構えていた存在が、姿を、現す!
ドゴォオオオオンンンンンン!
座曳の足元背後すぐの地面が、砕ける。
「っ!」
すぐさま座曳は反応する。
さっきまで加速していた頭は、温まっていた分、直ぐに最高速度に達した。
(前座。囮。上手くいけばそれでよく、駄目であるなら、餌になる。……、気付けた、筈……でしょうが……。知恵持つなら、群れていようが、おかしくはない。結の話が、気付くが為の最後の、猶予、でしたか……。はは……、私は全く、最後の詰めが、いつも、甘い……)
座曳は、相手の狙いが何であるかはもう、当然のように分かっていた。自分ではなく、自分が手にしている父の遺骸。それが目的なのだ、と。
そして、相手がこのタイミングを狙ってきたこと、そして、先ほどの戦いの様子を見ていて、敢えて乱入して来なかったことから、狙いは、遺骸一つに絞るだろうという答えに行きつく。
しかし、
(これは、参りましたね……。これはとんだ、策士、です)
瓦礫と砂埃を派手にぶち上げてそれが降らせたが故に、視界は半ば奪われ、それが巨大であるということしか、座曳は視認できない。
「っ、座曳ぃいいいいいいいいいいい~~~~っ!」
スタタタタタタタ――
結・紫結晶が、慌てて声を上げ、石畳の上を走る速度を上げたらしい。
(結っ! ……、いや、利用しましょう)
そして、想像する。
(きっと、あのウツボのように、結たちが倒したというドクウツボのように、これもウツボの類に違いない。きっと、ボスはこいつだ。指図していたのはこいつだ)
相手の姿を。
(しかし、このような手を使うということは、絡め手タイプ。モンスターフィッシュの域であるとしても、頭脳交えずの力はさほど、でしょう。そして、私とまともに対峙することを、2対1で攻める権利を捨ててまでも避け、こうやって、奇襲に頼ってきた。そして、現れて一発目が、いきなり横から浚うのではなく、策を弄する、だ)
相手の思惑を。
(なら、私は、何とか、躱すだけでいい。できる筈だ。右腕ごと狙われる。恐らくそうなる。ピンポイントで狙うよりも効率的だ。それより広めるとなると、確実性が小さくなる。相手は私とできる限りやり合わず、この場から奪い、立ち去るだろう。だから、恐らく、最初の一撃だけ、何とかすればいい。その範囲を軌道を間に、合ぇええええええええええ!)
そして、後はやるだけ、と。
カウンターの準備をすることも、大きく体ごと躱す動作も、する時間はないと悟り、右手のそれを振り回し、ぶつけるか、敵の牙が外れればいい、と振り回そうとした瞬間、
ガッ、ピュリピュリ、ズンッ!
(し……、しまった……。尻尾……か……)
見えずとも、音と状況から、悟った。自身の手ではなく、鉢そのものに巻きつかれた、と。そうなれば綱引き。叶いっこない。
ザァァ、ザァア、
引き摺られてゆく自身の体。このままでは、結局、どうしようもない。一度、諦める他ない、と、座曳は、あれほど拘っていたのに、何とか必死に決断した。
そうできなければ、死ぬ。
そう、分かっていたから。至らない、足りない、なのに、食いつくように求め続ける。手を届かせる手段が尽きても。それは、半端にも、力持ってしまったが故の、モンスターフィッシャーによくある、一流から三流以下まで変わらずよくある話。
(くぅ、くっ……、)「くそおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっ!」
心の声が、結局口に出る。慟哭する。座曳は自身の父親の遺骸の入ったその鉢から、手を――放した……。




