第二百三十話 メッセージ・スピリット・インサイド ~疑うべき、暗躍する男の話~
場面は、恐らく、二人っきり。母上と、先ほど出てきた、何やらの手段によって呼び出された船長。場所は、あの閉じた都市の中、だと思う。
随分抜かして飛ばし気味だ。
借り物の視界が映らなくなって終わりとはならなかったのだから、このまま続くのかも知れない。飛ばし飛ばしに未だ未だ。ここから先、まだまだ尺があるか。それとも、終わりか。
しかし、あまり長くなられても、把握し切れない。頭から零れ落ちる。ざっとなぞるように憶えておくだけなら、幾らでもできるだろう。そういう記憶の仕方には自信がある。仮にも神童の類だったと自負する位には、そういう技術に才に自信がある。
しかし、こと細かく繊細に、一字一句となると、私ではきつい。私には、映像記憶のような異能はないのだから。何もかもができる訳ではないと自覚くらい、している。
できることと、できないこと。それを知っているから、私は今もこうやって、生きているのだと、思う。
……。
長いな。
沈黙が続いている。それに、この場所。物音がまるでない。視界に何も映らない以上、確認の仕様がない。
また、場面転換、だろうか? それとも……。
トクン、トクン、トクン――
不意に聞こえたのは、心拍。しかし……、早い。それに、小さい。
「私は、全然駄目だったの。教えられたことの本質をまるで、分かっていなかった……。考えようと……しなかった……。この子を、私のように、したくはないの。しかし、私が子を産めば、こうなる。そんなことは、分かりきっていたことの筈なのに……。私はそんな先を見ず、何処かあの人に似た、彼に蕩けていたの。……ふふ、優しいのね、座曳」
……。
私がそこに立っている筈なぞ、ない。なら、答えは一つしかない。私は、母上の胎の中に、いる、のだ……。
確かにこれなら、借り物の視界は必要ない。この道筋への、演出だったのだ、あの視界の崩壊は。この場面への、仄めかしだったのだ。あの白い部屋での母上と外の声の遣り取りは。
「で、どうしたい? 確かに助けてやるとは言った。しかし、俺は、その方法を考えてやる、だとは言ってねぇよ。それは、あんたが考えるべきことだ。お嬢ちゃん」
船長はきっと、わざとそう言った。お嬢ちゃん、と。敢えて会ったそのときよりも、幼くなったかのような扱いをする。
「……。分から……ないの……」
母上の声は、沈む。そして、どっぷり重い、とりとめない悲しみが私の心に直接のしかかってくる。繋がっているのだから。当然だ。……。そして、私は、何もできない。これは所詮、過去だから……。
「……そうか。なら、お嬢ちゃん。あんたは、代償を払わなきゃならねぇ。人任せっていうのはそういうことだ。後の命運を全て他人に任せちまう、ってこった。任せることも、その後も、自覚無自覚関係無く、な。それがどれだけ恐ろしいことか、こうやって指摘されりゃ、分かる位の頭はあるだろ? ……。変わっちまったな……。変わり果てちまったなぁ……、嬢ちゃんよぉ……」
最後。お、が外れた。心底残念に思っているのだと思う。しかし、それと同時に、これは卑怯だろう。藁にも縋りたくなったときに呼べと言われて、呼んだまで。そして、藁にも縋る思い、だということは、もう自分ではどうしようもできなくなったとき、ということだ。
……。つまり、船長が呼ばれるということは、必然的に、母上がどうしようもない状況になっているということだ。
なら――選択肢なんて、ない……。
母上は、必要なら、頼る。縋る。そこにきっと、躊躇はない。船長はきっと、分かっていて渡した。
「……」
母上は、答えない。
一応、解答の為の時間を与えたのは、形だけでも双方同意の契約という体を取りたかったのか、はたまた、船長なりの優しさだったのか。
……。どちらも、違うだろう、きっと。
「そうかい。なら、嬢ちゃん。あんたの代償は、その子だ。腹の中のその子の未来を、俺によこせ。それが、あんたの願いを叶える手段であり、あんたの願いの代価だ」
そうするが為に、自身を呼ぶ手段を、手渡したに過ぎない。
「……。この子を……、お願い……します……」
母上は、絞り出すように、そう、言った……。
「ほぅ。全て分かって覚悟して、そこで、そう、言えるんだな。みっともなく、泣き崩れちまってもいいんだぜ?」
「嫌……です……。何もしない未来は……、もう……、見た……。それでは、この子は……」
キリキリキリ、ギリリリリ。
母上は歯軋ませ、そこで、言葉を止め、……飲み込んだ。
「嬢ちゃん。あんたは、もう、立派な、子を持つ親だよ。俺何かとは違ってな」
船長の恋人は、嘗ていた一人のみ……。思うところがあったのだろう。心打たれる何かがあったのだろう、過去に。そんな風に感じざるをえない、重みある、しかし穏やかな言葉だった。
「後は任せておくといい。それとよぉ、その子の名前、教えてくれねぇか? 何て呼びゃいいか困るだろ?」
きっと、そう言って、船長は母上に微笑んだのだと思う。
「敢えて、聞いてくれるんですね。この子の名前は、座曳、です。男の子、ですから」
暖かな手で、擦られたような、気が、した。
「たとえ見えていても、それでもやるってことが重要なんだろうがよぉ。その辺はあんたもよぉく知ってるだろ? 心が読めようと、|、未来の欠片が垣間見えようとも、関係無ぇんだ、そんなことは」
船長であれば、叫ぶように発しそうな台詞。しかしそれは、この時は、優しく撫でるように、穏やかな声で発せられた。
「要するに、だ。あんたの願い、きっと、届くだろうよ。そいつによぉ」
きっと頼もしそうだったに違いない。そこから受けた感じは確かに、私が知る船長そのものだった。
何もかも分かったようでいて、それでいて、遠回りすることに、やり方に、形に、敢えて拘る、船長そのものだった。
だからきっと、打算や思惑はあろうとも、最後のその言葉に、悪意なんて微塵もない。
「じゃあ、な。後は、任せとけ」
また会おう、とは言わず、船長がそう言い締めくくる。きっと、満面の笑みを浮かべていたのだろう。全て理解した上で、心の底から満足して。二人共そうだったに、違いないだろう。
ブゥオオオゥウウウウウウウウウウ――
突如聞こえた風の音。
パラパラパラパラァ――
闇が、灰になるかのように崩れ落ち、その下から、夕焼け色が差す。気付けば、夕焼け色に染まり始めた黄金色の世界に、私は、戻っていた。




