第二百二十九話 メッセージ・スピリット・インサイド 余
……。
何も、始まらない。闇が広がっているだけだ。しかし、未だ、終わっていない。視界は、囚われたままだ。意識は、囚われたままだ。
……。
ザァァ、ザァァァアアア――
波の音が聞こえてきた。
ザァァ、ザァァァ、コォッカァッコォッコォッコォッコォッカァッコォッコォッコォッ、ザァァ――
合間に鳥の声が混じる。
場面は変わっていないのかも知れない。考えても、埒が明かない。それに――続きというのならば、答えはすぐに提示される筈だから。
「嬢ちゃん、着いた、ぜ」
ほら。……ん?
ガコンッ!
大きく揺れる音がした。
タンッ、トンッ。
きっと、船長のいる方へ振り向いたのだと思う。海の上、船の甲板の上。恐らく木製。そう大きくはない船。だと聞こえてきた音から推測する。
「ありがとうございますっ! 海人さん!」
そう、明るく幼げな声が船長の名前を呼んだ。
「構わねぇさ。暇してた訳だからなぁ! でよぉ、嬢ちゃん、本当にいいのか? ここから先、一人ってのは幾ら何でも無謀だと思うが……。結局よぉ、辿り付けなきゃ今までの全部が意味無ぇんだろ?」
「いいえ、海人さん。貴方が聞かせてくれた通りなのでしょう? なら、私は、一人で行くべきですよ。そうじゃなくっちゃ、……意味が、ありませんから。これ位、最後の一歩位は、一人で、やりきってみせないと」
そして、駆けだす。恐らく、数歩。それだけあれば、降りてしまえるだけの大きさの船を私は想像している。恐らくそれは間違っていない。
トン、タンタンタ…―
しかし、そうやって、足音は止まった。
「待て。こいつを渡しておこう」
船長が止めたようだ。そして、何か、手渡したらしい。何かは分からない。見えもしない。そして、手の感覚など、ない。あるのは、聴覚くらいであって。それで特定何ぞできる筈もない。
「嬢ちゃんとの旅はそれなりに楽しかったからなぁ」
そうやって、船長が喋り始めたのだから、母上はそれを受け取ったのだとは思う。
「ああやって世捨て人やってるとよぉ、何もかも感じなくなるんだ。そうして、そのうち、何を捨てたかも忘れちまうんだ。それを捨てるにどれだけ葛藤したか、それがどれだけ掛け替えのないものだったのか。けどよぉ、本当に久々に、久々に、楽しかったんだ。今も忘れずこびりついている暗い過去。それを、感じずにいられた。だからかも知れねぇが、少しばかり、思い出せたんだ」
今一つ意味が分からない。補足が欲しいところだが……、
「?」
このときの母上もどうやら、同じらしい。補足がないということは、今の母上もそうなのだろう。
「何言ってんだ、こいつ、って顔してんなぁ。かぁっ、確かにその通りだぜ。らしくねえなぁ、いや、これが、俺らしいのか、らしかったのか。また一つ、思い出した、ぜ。あぁ、そうだ。今渡したそれなんだがよぉ、嬢ちゃんが藁にでも縋りたい困ったことがあったら、砕いてみ? そしたらよぉ、また、もう一度だけ、助けてやるよ。別に思いつかなきゃしょうもないことでも別に構わねぇぜ。けど、嬢ちゃんが砕かないとそいつは効果を発揮しねぇ」
「?」
「おぃおぃ。また訳のわからねぇこと言ってるよ、って顔だなぁ。別に構わねぇぜ、信じなくとも。言っただろう? 藁にも縋りたくなったとき。そういうときに、信じて、砕いてくれさえすりゃ、それでいい。それだけで、嬢ちゃんは助かる。たったそれだけのこった」
「尤も、その頃には、嬢ちゃんは嬢ちゃんじゃなくなってしまってるかも知れねぇがなぁそれも、嬢ちゃんが選んだ道、ってこった。引き留めて悪かったな。じゃ、頑張れよ。最後のひと踏ん張り。死に物狂いじゃなきゃ、届かないぜ、きっと」
船長が言い終わって、暫く間があった。
きっと、笑顔で頷いたのだと思う。何も言わず。
すぅぅ、はぁぁ、すぅぅ、トタッ、ゥゥウウウウウウ、ザバァァンンンンン!
息を吸い、駆け出し――飛び込む音が、した。返答は、行動で示した、ということだと思う。
ゴォォォゥゥウウウウ、ゴボボボボボボ――……
泡立つ音が聞こえて、すぐ、消えた。
ピキッ、パリィィンンン!
数分の間の後、聞こえたのは、その音だった。
そこは、海の中ではない。泳ぐ音はしない。場面が、飛んだのだと思う。しかし、視界は闇のままだ。また、音で判断する他、無さそうだ。
パキパキピキッ、
ん……、これ……は……、この……音は……。
「……。お願い……。時間が……無い……」
ピキピキピキッ、カッ。
……。あぁ、間違いない……。砕ける音だ。しかし、これは、視界云々ではない。私は、この砕ける音を、よく、知っている……。私の失敗の証たる音と、同一だ、これは……。
……。
あぁ、当然か……。母上も、結と同じように、そう――贄、だった……のか……。




