第二百二十八話 メッセージ・スピリット・インサイド 終
砕け散った筈の視界にうっすらと光が指し込んできた。
どうやら、先ほどで、視界が砕け落ちたという訳ではなかったらしい。しかし、罅割れたのは確かだ。その影響は、どうやら、蓄積していくらしい。
中央部を中心に、恐らく、端へと向かって広がってゆくように走る、罅割れの線がいった視界。……。つまり、未だ、終わりでは、無いということだろうが……?
……。この視界の罅割れ。これは、想定された演出ではないのだろう。見せる、ということが大きな割合を占めているこの中で、視界に映すのを邪魔するように、数多の線を走らせるのは、悪手だ。
私の視界が罅割れたのではない。これは借り物の視界なのだから。だから、他ならぬ母上のそれに影響が出ていると考えるべきだ。
そして、先ほどの場面での罅割れによる暗転。あれが、映像を見せる側の負荷だったのだとしたならば、先ほどのが限界の合図だったとするなら、こうやって、継続して次にいこうとしているのは、命を削っているのでは? そう思えて、ならない……。
しかし、だからこそ、止めるべきではないのだろう。意を汲むなら、ここだ。ここばかりは、何一つ落とす訳にはいかない。
先ほどので止めにしなかったのは、今から起こるであろう場面こそ本題で、それまでのものは、前座、いや、それはない。伏線だろう。伏線あっての、本線。
だからこその、編集、構成、だとするならば、先ほどまでの続き? なら、母上があの白い部屋から外に出てからの話、ということだろうか? しかし……、それだと、補完にはならない。父上と出会うまでには、かなりの尺が必要な筈だ。せいぜい、これまでの映像は、一日のうちの数時間足らずを切り出したものの羅列だ。網羅ではない。
波の音と、白い砂浜。しかし、そこは外だ。あの籠の中でもなく、あの白い部屋の中でもない。何処であるかまでは分からない。知っている場所かも知れないしそうでないかも知れない。
これまでよりも視界が構成されるのに時間が掛かっている。そうして待っているうちに、視界よりも先に音が完全に形になった。
ピキッ、パキッ、ザァァ、ザァァァァ、ピキッ、コォッカァッコォッコォッコォッ、ピキピキピキ、ビキッ――
罅割れの音の合間に聞こえる海の音と、空を飛ぶ白い鳥の声。そして、罅割れの間隙から見える白く明るい光景でそう判断したまでだ。
視界が出来上がる。仰ぐように、空を見上げているか、仰向けに砂浜に寝そべっている。しかしそれは罅割れた視界。それが完成。そして、カウントの始まり。罅割れがカウント。全体に罅割れの線が細やかに走って、視界が端から崩れおちて、きっと、そういう風に、消え終わるのだと、思う。
そして――そんな風に黄昏れてなんて、いられなくなった。
罅割れが止み、波が消え、鳥が沈黙し、
「ったく。お嬢ちゃん、あんた幾ら何でも無謀が過ぎるぜそりゃぁ」
声が、した。
視界の外から聞こえてきた声にノイズは掛かっていない。そして、その声には聞き覚えがあった。その姿には見覚えがあった。間違える筈などありはしない。あんな男は、この世に一人しか、間違い無く存在していない。
あの特徴的な、にやり顔。分け染めた髪。そして、煽るような喋り方なのに、不思議と苛立ち何ぞより、興味を持たされてしまう、底の見えなさのある、そんな人は、唯一人しか知らない。他にいる筈もない。
そう――船長、だ。
あぁ、これだ。これに、違いない。始まった。
ピキッ、パキッ、
凡そ全体の10%に万遍なく大雑把な視界の罅割れも、これまでの光景が伏線だったという私の予想を補強しているかのようだ。
白い砂浜の光景は、罅割れから覗く一際強い光の線で、ところどころ遮られる。時に、視界は点滅するかのように、断裂し、断続する。映像が終わるよりも先に、今にも終わりそうな、視界。まるで、消えかけの灯のような。その上、罅割れが徐々に広がってゆく。より細かく、悉く、密に乱雑に線が走ってゆく。
ピキピキピキッ、ピキッ――
視界の割れは、まるで、ガラスが割れるときのような音を立てる。だから、本来なら、会話の声何ぞ、まともに聞き取れない筈だった。しかし、それは、登場人物が言葉を発するとき、止まる。
「こんな処に、どうしたよ? 何ぁんにも無ぇぜ、ここはよぉ。お嬢ちゃんのような、目輝かせてる奴が来るとこじゃねぇよ」
そう、腰に手を当てながら船長は言う。
そして、
ピキッ、パキッ、ピキピキピキィィ!
この時点で、凡そのことが分かった。母上の本題は、恐らく、これだ、と。そう。船長のこと。そして、きっとこれは、今の数十年位前だろうに、船長の姿が、まるで変わっていないことを、見せられた。
不老。
先ほど出た断片の話。老いることのないように見える者の話。
船長が普通の人間ではない、そう言われるのはすごくしっくりくる。寧ろ、同じ人間だと言い張るには、色々と隔絶し過ぎているように思えていたから、こうやって、聞いてみると、見てみると、どうということはない。何だ、そういうことだったのか。と、割とあっさり飲み込める。
しかし、これだけで終わるなら、わざわざこんな回りくどい真似などすることはない。先に、何かあるのだ。罅割れの音を船長が言葉を口にしている時遮断して、こうやって聞かせてくるからには。
視界が動き、罅割れの中に、船長が、映った。
やはり……。
「こんな処に、どうしたよ? 何ぁんにも無ぇぜ、ここはよぉ。お嬢ちゃんのような、目輝かせてる奴が来るとこじゃねぇよ」
そう、腰に手を当てながら船長は言う。
ピキッ、パキッ、ザァァ、ザァァァァ、ピキッ、コォッカァッコォッコォッコォッ、ピキピキピキ、ビキッ、ピキッ、パキッ、ザァァ、ザァァァァ、ピキッ、コォッカァッコォッコォッコォッ、ピキピキピキ、ビキッ――
登場人物が言葉を口にする間の沈黙の後、一段と鳴り響く罅割れる音と、波の音と鳥の声。まるで、抑えていたものが押し寄せてきたかのような反動だ。
この罅割れが、終わりへのカウントダウンだろうということは分かる。視界は割れで白く線が入り、歪み、まともにそこにあるものを映さなくなりつつあった。歪みつつも、辛うじて、それが誰であるか、何であるかは、じっくり見られれば分かる程度。
思っていたよりも、視界の崩壊の速度は、早い。未だ、何も重要そうな事柄はこの場面に切り替わってから聞いていないというのに。
視界が、起き上がる。そして、口を開いた。
「……。でも、ここに来れば、分かるって、聞いたの。分かるもの、私。貴方、勇者、ね。……。よかっ……た……。これで、……何もかも……無駄にならなくて……済む……」
罅割れは止まっているのに、
ビキッビキッ、ザァァ、ザァァァ、コォッカァッコォッコォッコォッコォッカァッコォッコォッコォッ、メキメキメキブキッ、ガシッ、
視界は、一際大きく、歪んだ。
ビキッビキッ、ビキキキキキキキィィイイイイイイ――、バリィンンンンンンンンン、ガララララララ――……
 




