第二百二十七話 メッセージ・スピリット・インサイド ~オーバードーズ~
『……。未だ、すすり泣くか。泣かせてしまったのだな、私が。なら、もう少し、私の知る断片を口ずさむとしよう』
『カタストロフ。失われることが定められた言葉、概念、神話から、それらの封として抽出された、一つ、選ばれた、崩壊を示す言葉。貴なる者のみが意味と音を知る、憶と記と技と才奪われぬが為の標識が如く言葉』
『秘匿。人々の記憶を全世界規模で調整したその危機は、各個の頭の中、極小の機械により、丁重に削除された。矛盾無きように。標識持つ者のみがその例外。しかし、例外たる者たちは、それ故に背負わされる』
『ロボトミー。崩壊後の世界に於ける人の性能を引き出すが為の機能。崩壊前に生まれた全ての人に、予め仕込まれたそれは、崩壊後の世界に於いて、彼らの性能を、暦以前のものへと引き戻した』
『集団無意識。秘匿を探る者は必ず現れる。人の本能として、探求からは逃れられない。それを妨げるが為の、人が集団として持つ、常識や概念といった、檻。それは、ロボトミーの効果薄れる、崩壊後の世界に生まれし者に作用する』
『逆行論。遡ることこそ、進化であるという論』
『原始主義。逆行論の行き着く果て。崩壊後の世界の目指すところとされている』
『海恐因子。海を恐れる外付けの本能。それは、極一部の突出した性能を持つ者か、その因子を発現させる機構が壊れた者のみ免れる』
『形而解者。漠然とした理解に優れた者。形無きものを把握する者。過程を無視して本質を掴む者』
『沌異因子。異種の因子を持ち併せた者。人の失った性質の一部を補完する為に嘗て開発された技術によって齎された結果の残滓』
『現存祝呪。祝福と呪詛。それは、崩壊前には存在せず、現在に於いて復活した。正か負かの超常の補正。それは齎す結果から、祝福か呪詛かを判断される』
『人捨貌者。人を辞めた者。その走りは、恐らく、恐れを捨てるか、感じずか、克服するか、制し、海に出る者たちであろうと想定されていた。そしてその通りとなった。彼らは集団無意識に縛られない。故に彼らは、心を半ば、捨て去っている。それは、彼らの風貌に悉く現れることとなるであろう』
『始原のモンスターフィッシュ。それは、用意された統治者である。しかし、元からあるものの流用か、手を加えられたものか、はたまた一から創造されたものであるか、もうそれを知る者は存在しない』
『不死者。彼らには定められた寿命がない。しかし、彼らは完全ではない。彼らのそれは、無敵ではない。一見完全なように見えるそれは、各個違う道を辿った、精密な機構。僅かな狂いが、彼らを滅ぼす』
『……。最後、だ。これが、私の持つ最新の情報。あとひととき、待って、欲しい』
『勇者。そう呼ばれる者が、この時代には、唯一人のみ存在した。その者は、崩壊後の世界を巡り、滅びに瀕していた場所の多くを救った。まるで、お伽噺の中のような、ありとあらゆる困難不幸をまるで無かったかのように、何事でも成し遂げてしまう。意思を持ち、幸運を飼いならすかのような結果を出してしまう、その者のことを、あるとき誰かが勇者と呼んだ』
『彼はあらゆるリスクをもろともしなかった。自身の命など、まるで塵より軽いと言わん限りに、どれだけの危険が待ち構えていてもそれに躊躇なく突っ込み、不可能と思える理想の中の最上のような結果を掴み取ってくる。そして、彼は決して見返りを求めず、栄誉を求めず、乞われるまでもなく、やってのけた』
『彼について残された記録は少ない。しかし、そこから、分かることもある』
『彼は、老いることがなかった。青年と中年の境目に立つかのような容貌をしていたという。いつの年でもいつの場所でも、その記述は共通している』
『彼は、仲間を率いて、海を征く者だった。彼がいるだけで、恐怖は裏返る』
『しかし、そんな彼についての記述は、ある時ある場所を境に裏返る。それがどの時間のどの場所であったかは分からない。しかし、間違い無く、二分できるのだ。彼を勇者と扱った場所と、彼を勇者の紛い物と扱った場所と』
『後者は、どれも、彼の執念染みた行動の結果が齎した惨状故に。そこには嘗て勇者と呼ばれた者の面影は無かった』
『勇者と認定され、そしてあるか後に、紛い物と認定された、旧勇者。それは、未だ、この世に存在し続けている。生き続けている。行動し続けている。何処は分からないが、確かに。ある場所に遺された、彼を標識した、命の所在示す針が、その存在を示していた』
『針そのものが朽ちて、今となっては彼が存在しているかは分からない。針が死を示す現象は朽ちることではなく、光を失うことだからだ。だからこれは、壊されたのだと推測する。察知され、そして、追跡の術を砕かれたのだ、と』
『だからきっと、彼は用心深く大胆なのだろう。彼がそうなったことには理由がある。そこで、私は一つ、気になるのだ』
『勇者なんてものが現実に存在するなら、当然の如く、それに対する存在もいる筈だ、と。それは反転した彼ではない。別の、何かだ。私の考えるところでは、それは、世界をこんなにした、誰か、だと思う』
『君はこれより永い時を生きる。君は成功作だ。教育というのは、必ずしも成功するものではない。それどころか、その殆どが失敗に終わるものだ』
『そして、君が成功したと見届けたのだから、これで私の役目も、この場所の役目も終わる。籠は開かれ、君は外へ。唯真っ直ぐ進むと、そこは、君の夢見た、外、だ。では、さよなら、だ……。……。…………。………………』
声は止み、前方から眩いばかりの光が差す。
ピキピキピキッ、ミシミシミシミシッ――
割れる、音。割れたのは視界。
「っ――、――っっ、ぅぅ、あぁぁぁぁああああ――」
若さと幼さを兼ね備えたような声で、聞き取れない誰かの名前を呼び、そして、獣のように叫び、視界は、
バリィィイイイイイ!
砕けた。
視界はガラスのように砕け落ち、闇だけが、残った。




