第二百二十五話 メッセージ・スピリット・インサイド ~視点の違いが差異を生む~
話が終わり、瞼を閉じるかのように視界がひとたび暗くなり、それが再び開くと、
『……。君は、』
そんな場面になっていた。変わらず声の主は、白い部屋の外。母上は中。顔を交えない遣り取り。
『どう、思った?』
声の主はきっと、敢えてそう言ったのだと思う。質問内容を決めることすら、本来望んでいる答えを遠ざけることになると理解しているのだろう。
『……。もう少しだけ、続きを』
きっとそう、落ち着いた感じで言ったのだろう。頭を悩ませながら。
『それは、些細な顛末だ――』
そうして、言葉にされて、僅かな隙間が埋まり、あの過去の都市と、あの袋漁の街が繋がる。
率いる者が予め残っていた。運よく流れついてきた、一次産業従事者を重用し、迅速に、自給自足体制と、人々全ての一次産業従事者化を行った。
海の危険度が、かの大津波前よりも上昇しており、鮫何ぞよりもずっと手のつけられない危険な魚が現れるようになりつつも、その街は、上手くやっていた。
潮の関係からか、時折流れてくる漂流者。彼らを活かしつつ、新たな試行をできる限り行い、手法を確立した。それが、潮の流れと人工的な障害物による沖合いへの砂浜の形成と、あの袋での漁であった。
そうしているうちに、年月が流れ、手作業的な軽工業に携わる者たちすらも出てきて、衣食住に困ることはなくなる程度に安定した。
その間には、度々、騒動もあった。この街では、指導者たちも前に出る。だから、指導者が死ぬことは割と頻繁にあった。足を滑らせて海に落ちるなんて場合もあれば、病で死に至った場合もあった。本当に、色々あった。
そして、そうなれば、治安悪化、暴力に訴えるが愚かである者による支配など、色々と滅びに瀕死そうなパターンに陥ったが、それでも必ず、誰か、勇気を持った、過ちを正そうとする者が現れ、それがさっと問題を解決して次の指導者になったりして、その街は続いていた。
何故なら、彼らの大半は必死だったから。生きることに、嘗ての当たり前の安心を再び掴み取ろうと必死だったから。
初期なんて酷いものだったらしい。明らかに凶暴化した魚を、道具無しに、まともな餌なしに捕えるが為に、人を、贄にすることも珍しくなかった。
というのも、道具を作る為に魚を使うというアイデアが当たり前のものにすぐさまなったからだ。しかも、そういう魚を意地でも探さなくてはいけなくなったからだ。
潮の流れに乗って、ある日、ウロコではなく、糸のような皮膚で覆われた魚が打ち上がった。それがきっかけで、人々は先走った。しかしきっと、そこで先走っていなかったら、滅びはもっともっと早かっただろう。
人が人を餌にして、道具とできるだけの魚を探す。明らかに凶暴化した魚を。
誰かが言う。
あの魚だ。あいつらを何とかとらえたい。あれらはきっと、役に立つ。加工せずとも、道具として。あれらがあれば、今代の指導者たる私がいなくなっても、どうにか繋げてゆけるかも知れない。あれ一匹から取れる素材だけでは長くはもたないだろう。せいぜい数十年。その間に時代の率いる者が、器が、現れればそれでいいと。
そのときその長の命と引き換えに得たのが、モンスターフィッシュすら破れない袋である。そのときはまだ、どう使うかなど決まってもなく、数も集まっていなかった。しかし、次代が、更に次代が、その知恵を駆使し、とうとう、それの活かし方を見つけた。
更に次代が、島を海にむかって、埠頭を作るごとく伸ばすことで形にして、そんな指導者が死んで、次代が決まるまでに期間が開いてしまい、次代が決まることは永遠になかった。
しかし、そうやって、運よく続いていた街も終わりを迎える。漁で捉えた数多のうちのたった一匹。それが、その当時、その時が最初の報告例発見例、そして、猛威振るった例となった、【コロニーピラニア】そのものだったのだから。
初見で、それも、素人だけで対処できる類では決してない。そうして、あっけなく、その街は滅んだ。
『引っ掛かるところなんて、幾らでもあるわ』
母上はそう、落ち着いた感じで言ったのだと思う。
『そうか。それは頼もしいことだ』
しかし、
『でも……、』
すぐ、声の調子は落ち込んだ。
『でも?』
『……。本当に、……。…………。………………』
どうしたと、いうのだろうか? 説明し辛いことなのだろうか? しかしそれなら、あんな風には言わないだろう。視界が動く。この部屋の中には居もしないと分かっている声の主を探すように。
明らかに、困惑している。しかし、何に困っているのかまるで分からない
『言いたくないのなら、無理強いはしない。それでは意味がないのだから』
きっと、そう優しく声を掛けられている。きっとそれは憂いも含んでいる。なら、母上は感じ取った筈だ。
『違うの。けど……、どうやって、……』
だからこんな風に、どうにか言葉にしようと足掻く。
『紡糸。無理しなくたっていいんだ。絞り出そうとなんてする必要は何処にもないんだ。たとえ君が答えを口にしなくとも、私は、君の質問にこれからも変わらず答えるし、先ほどの、何でも一つ君が聞きたいことを答える、というのも無しにしたりはしない』
おろおろと動いていた視線が、止まった。上を仰ぎ見る。視界はもう揺れていない。ぶれていない。そして、
『それ、よ。ええと、……。…………。………………』
『紡糸……?』
『それ。名前。私、どうやって、呼んだら……? ……。お願い、します……。お名前、教えて……ください……。大切なものだって……分かって……います。けれど、……どうか、お願い……します』
視界が歪む。潤む。きっと、涙が流れている。
たったそれだけのことを聞くのが、口にするのが、このときの母上にとって躊躇することだった、のだろう……。
私には想像できない。まるで分からなかった。名前は確かに誰にとっても特別で大切なものだ。しかし、私が思うそれと、母上が思うそれとは、重みが、まるで違ったらしい……。こうやって、相手に名前を尋ねることさえ、勇気を振り絞って、更に、先ほど抱えた願いすら使ってしまう程に、重く意味あることだったのだ。




