第二百二十四話 メッセージ・スピリット・インサイド ~求めるは盲点~
【遥か遠方。それは落ちてきたのだろう、周囲一帯を溶かしながら、遠大にこの都市を囲むような輪になって、その幅を狭め、通った軌跡上の全てを溶かしながら、そのかさを上げながら、この都市目掛けて、進んできたのだろう。かのような形になって】
【巨大な環のような帯のような、壁のような、迫り来るそれが視界に映ったとき、生まれて初めて神に祈りたくなった】
【しかし、祈りの姿勢を取ることすらもうできなかった。突如感じた揺れ。立っていられない程の。しかし、石の地面にも壁面にも罅も砕けも走らず、それどころか、荷車に乗った貨物すら崩れもしない。人だけが、ただ、その揺れを感じ、抗うこともできず、地面に臥せさせられた】
【立ち上がるどころか、姿勢を変えることもできず、声なんてものは微塵もできない。幼げな子供たちですら、泣きわめくこともできず、声だけでなくて涙すら、出ない】
【その壁の向こう側、それが進んできた軌跡、つまり、この都市より外全て。山々どころか、大地ごと根こそぎ消え失せて、唯の海が広がっているのが見えたとき、心が、震えた。ぬっちょりねっとりとした音を立てながら、どうしてか、人が歩くような速度でそれは、こちらに遅くも着実に進んできていたから。最悪を想像する時間を一方的に押し付けられていた】
【そうして、都市の淵にそれは到達した。もう、終わりだ。そう思ったにも関わらず、それは奇妙な動きを取った。そのまま収束してゆくかのように都市をすっぽり覆い、溶かすのかと思いきや、何故か、溶けるように崩れたのは、その海色透明な壁面そのものだった】
【助……かった? そう思ったが、違うのだとすぐに分かった。依然、幻の揺れに縛られたままだったのだから】
【そうして、それは登ってきた。液体となったそれは、泥水のようにほんの薄く黒く濁ったそれは、今、海から聳えた尖った柱のようになっているであろうこの都市の柱面を遡ってきたのだ。歩くような速度で、逆流れてきたのだ】
【そして、都市に上陸した途端、溢れるように迸った。洪水によって流れ込んだ水が急速に溜まってゆくかのように。そして、勾配を無視して、それは、流れてゆく。濁流となって。坂を、まるで、水は下から上に流れるのが自然なのだと言わんばかりに遡っていった】
【まるで意思持つかのように、それらは、都市の家々の間を埋めるように進んでいきつつも、建物の間と間を埋めるだけで、建物より背が高い部分よりは水位が高くならなかった。だから、まるで、建物と建物の間のありとあらゆる通路の間を、薄く黒く濁った液体で充填したかのような、異様な状況になっているということが、地面にひれ伏している位置から見えていた。】
【だから当然、溶ける人々も見る羽目になった。進路中の人々は、一瞬で溶けて消えた。恐怖は長いこと味あわされつつも、終わりは一瞬であったことはせめてもの救いかも知れない。それと同時に、飲まれれれば確実に終わりということも判明してしまった訳ではあるが】
【都市の中心辺りを除いて、殆どが包まれ、飲まれ、溶かされ、消えた。目の前まで迫っていたその、水にしか見えない液体が酷く怖かった。そして、それを見ても、叫ぶことも、見動きをとることも一切できなかったのは、もう、言葉では表現しきれない。きっと、生きていてこれ以上の恐怖は感じることはないだろう】
【そうして、そこで、止まった。溶かされる寸前で、助かったようだった。何故そこでそれが止まったのか、思い当たる節は何一つない】
【重力と勾配に従って水が引いてゆくかのようにそれが下へと流れていった。そして、都市の周囲からほんの少しだけ離れて、ぐるりと囲うような、今度は輪っかになった。そして、何か、ねっとりとしたものが千切れる音がして、一か所にその身を集めるように、それは、平らな丘のような、海色透明な塊になった】
【現実に存在する類で喩えるなら、まるでアメーバのよう。幻想に存在する類になぞらえると、スライムのような。大きさは超弩級。視界から見切れる程にその身は遠くまで広がっているというのに、その高さは、この都市より僅かに低い程度だった】
【驚愕していると、遠くから聞こえた音と共に、周囲一体は、雲掛かる感じではないのに何故か暗くなった。真っ暗になった訳ではない。それは、目の前にも存在している。見憶えがある。それは、影掛かったことによる、暗さだ】
【未だ顔すら上げられない。しかし、音が迫ると共に、見えてしまった。それは、見たこともないような、高い高い、波。つまり、大津波だった。丁度、ここから見える超弩級スライムの更に向こう側から、それはやってきていた】
【今度こそ終わり。そう思っていると、波は、超弩級スライムに衝突した。それは、押されつつ、形を流れに押された方向に少しずつ変えつつ、迫り来る水流を弾き、割り、都市の左右方向に分けて流していた。しかし、これがそのスライムの挺身であったとは考えたくはない】
【このまま、超弩級の津波から、超弩級のスライムが壁になってくれる。そうして無事終わる。そう思っていたのに、それは、徐々に押し負けていって、やがて、都市の遥か土台、周りはこのスライムによって全て溶かされて消えてしまった、都市の土台の地面に真横からぶつかり押し付けられてゆく形になってしまった】
【それは押しつけられることによる時間経過によって、都市の構造物部分にまで接触した。そして、それが、もう、限界だったのだろう。都市の土台も、スライムに触れている都市の外郭部からその少し内が輪、中央部以外が触れた状態になった頃、スライム越しに圧を加えられている部分とスライムそのものが、殆ど同時に、限界を迎えた】
【勢いよくスライムが弾け飛ぶと共に、都市の、中央部以外も砕け散り、そして、残った中央部は、スライムの皮のはじけ飛ぶ勢いに巻き込まれ、そのまま、空高く、遠方へ向かって飛んでいくこととなった】
【果て無く飛んでゆくと思われた、都市の中央部。しかし、やがて、勢いを弱めつつ、しかし、真っ直ぐ落下するなんてこともなく、緩やかな放物線状の軌道を保ったまま、海に着水して沈むかと思っていたら、V字に、二枚の岩が海から出っ張ったかのような場所に、はまり込むように、ぶつかっていき、収まった】
【津波によって弾けた、超弩級のスライムの内容物と皮が緩衝材となったのだろう。木っ端みじんに砕けたりはしなかった。それどころか、建物の位置は上はちゃんと上になっていて、傾いてもいなかったのだ。まるで計算されたかのように収まって、その上、スライムの皮と内容物が接着剤の役割を果たすかのうに固まって、より強固にそのV字を作る二枚の岩と都市中央部の断片をくっつけた】
【未だ、生きろ、いや、生きていい、という、神の思し召しだろうか。そうだと信じて、拾った命を繋いでいこうと、その時確かに思った】




