第二百十六話 メッセージ・スピリット・インサイド 続
踊りが終わって、人々は撤収していく。夜も明ける。
母上が壁から離れてゆく。
ポタッ、ポタッ。
汗が、垂れ落ちる音だろうか。こうして見ている世界は現実の時間の速度と同じではない。ずっとずっと早いのだから。そう考えると、母上、よく遅れながらもついて踊っていけたものだと感心する。
ポタッ、ポタッ。
壁に映った光景を見つめたまま、後ろに下がる。
そして、投影されている、その全てが視界に入った。
映し出された光景は朝になっていた。祭りの後だ。なら、休んだ分、贅を尽くした分、流石に誰もが、あんな世界であろうとも、働くだろう。生きる糧を得る為に。
が――、そうならなかった。祭りの終えた次の朝も、まるで変わらぬ、緩やかな光景が始まったのだから。そう。大人たちですら殆どが働かず、談笑し歩きつつ景色を味わったり、子供たちは走り回り、老人たちはほほえましそうにそれを見ているのだから。
……。
そうして、私は、気付いた。気付いて、しまった。この光景に住まっていた人々は、私の知る最上の幸福どころ、か、想像できる極みのような幸福すら、突き抜けて、恵まれているのだ、ということに。
それはひとえに、生が保証されている、ということだ。死に物狂いで食べ物を危険を冒して取りに行かなくとも、誰かが危険を潜り抜けて得た食べ物に釣り合う対価を用意する為に休むことなく働くことをしなくとも、生きてゆけるのだ。
どれもこれも、せいぜい、一日を通して働き続ければ、どれほど簡素で子供でもできるかのような価値が小さな仕事であっても、数週間は、生きるに困りはしない。それも、最低限の水準である、食料と水だけ、なんて域は遥かに上回っている。寝床も着る物も仮住む家も当然食べ物と水も、体力と精神を十全に保つことが可能なくらいだった。いや……。それでは済まない。贅を凝らすことすら、王でも貴族でもモンスターフィッシャーのような異才の者でなくとも、可能、なのだ。
そもそも――生きるが為に働いている、という者がいないのだ。唯の一人も。街の外から、食べ物も物資も、山のように運ばれてくる。そう。山のように。その山は、きっと、私が団の皆と協力して、海に出て、皆で竿を釣るしても、そこにあの船長がいたとしても、これだけの量の食料はどう足掻いても掻き集めることはできない、と一目で分かった。
それも、魚だけではない。そもそも、ここは海から遠い。半径数キロの円にやっと収まるようなこの街の端から端までを、まるで道路の石畳の一つ一つまではっきり見ることができる今の視界の状態であっても、見える範囲のどこにも見えない、遥か遠くに海はあるということだ。だというのに、足りないものなんて、常にない。常に満ち足りて、それどころか、過剰で、それがまるで世の中の常のような、そんな感じだった。
知識としては、知っていた。学んだことだ。あの閉じた檻の中で。これらの光景の断片すら目を通したことがある。更に、私の場合、船長から、又聞きであったが、そんな時代を生きていたもう失き証人たちの話を聞いたこともあった。
だから、事実として、そんな時代が、そんな現実が、存在し得ていたのだということを知っていたのだ。が、どうも実感が沸かなかった。時には、嘘としか思えなかった。人というものが、生きるが為以外に力を振るう権利を特別な者でなくとも誰しもが有していたというそんな嘗てあった世界のことを。
母上の視界は小刻みにその街の数多の場所を次から次に焦点を合わせていっていた。楽しくなってきたのだろう。
誰もが陽気だ。張りつめていない。弛緩しきっている。叶うなら、あの光景の中に塗れてみたい。あの中で試しに暮らしてみたい。生きてみたい。目前の生が為に必死にならなくても生きることが誰しもが許されるあのぬるま湯に、一度、触れてみたい。
このときの母上がどう思っているかは分からないが、私はそう、思った。
それは、何というか、嘘のような物々が数多に映っているというのに、まるで嘘に見えないのだ。破綻していない。確かに、その光景を構成する全ては、その街を確かに構成する嘘偽りない要素なのだと、否応なく信じさせられる。
知っていたから。しかし、知っていても、実感はできなかった。
嘗て本当にそんな世界があったことが。そんな技術があったこと。そんなものはあっさり許容できた。けれども、人の生き方、在り方。その余りの違い。隔絶。それではまるで、今を生きる私たちはどうしようもなく不運ではないか、と思わずにはいられなかった。
昔、どうして、こんな過去の世界を許容できなかったのか、今までそれが続いているのか、思い、出した。
だって、そんなもの、あんまりじゃないか……。どうして、私たちが、私たちだけが、そのような苦労を、強いられるのだ。どうして、私たちだけが、先祖の遺産を禄に享受できず、過去の時代には当然のようにあった、生きていられることが当たり前という権利を、喪っているのか、と……。
晴れでも雨でも曇りでも、朝でも夜でも、必ず人が往来にいて、まるで変わらぬ日常を、生の執念など必要ない暮らしを、謳歌している。
高い技術も、想像を超えた不便の無さも、目には映っても、心には留まらない。気に留まることは、そんなものではなく、人々そのものの在り様だった。人が真に妬み羨み比べるものは、自分たちと同じ、人なのだ。
しかし、それでも私は駄々をこねはしない。そんなものはないものねだりだと知っている。それにもう私は大人だ。そして、何より――私は、知っている。あのような豊かさが破綻を迎えるという事実を知って、いる。
『では、そろそろ、真に見せたい光景を始めると、しよう』
そう言い終えられると共に、加速していた世界の流れが、元に戻る。私たちの知る時間の速度に。そして、視界が、大きく揺れ始めた。視界の主である母上が揺れているのではない。揺れているのは、そう――壁面に移し出された鮮明な過去の世界の、光景、だった。
ゴォオオオオオオオオオオオ――
音が、響いてくる。腹の底に響くような、低く大きく、しかし小刻みに、いや、多重に折り重なって伝わってくる、実態ある、音だった。
そうして、
ゴトゴトゴトゴトゴト――、ガタガタガタガタガタ――、グゥアアアアアア――
足元から、激しく、揺れ始めた。視界が揺れた。今度は本当に揺れた。見て居た光景が見切れた。
『紡糸。踏ん張るのだ。そして、前を、見よ』
外からそう、轟音に掻き消されることなく聞こえてきた。
母上は、きっと、辛うじて、立っている。返事はしない。揺れは収まる気配なく、音が大きくなってゆくにつれて、揺れもどんどん大きくなっていって、そして――ほら、来た。




