第二百十一話 メッセージ・スピリット・インサイド ~しさくしょうじょ~
『その通り。それにあたって、君には、準備をして貰わなくてはならない。なに、これまでと殆ど何も変わりはしない。しかし、これは区切りだ。君が次の段階へ進んだ、という』
恐らく、最初の白い部屋で言葉を発した者が今言葉を口にしているのだろうか? 他にいるらしい、声を投げ掛ける者たちと比べ、この者は少し毛並みが違うというか、立ち位置、いや、見ているものが、ところが、違うような気がする。
ミッ、パチリ。
なにか、ねっとりとしたものが開くような、音がした。
なるほど。目を見開いた、ということだろうか。目を瞑っていた訳ではない。きっと、元から広かった視野が、目を大きく見開いたことで更に広がった、というだけのことだろう。
目に見えている通りでなく、そういう演出なのかも知れない。これが、置かれた状況の転換点だということの。きっとそうなる。先は既に見ている。
この場面は、これまで見たものの中で、最も最初の時間軸のものだ。
『君には、旅、というものをして貰うこととなる』
つまり、旅の、支度? この白い部屋のある何処かから、外に出て、恐らく、一人で、向かう。どのような道程を征くかは分からない。けれど、目的地は決まっている。海底の閉ざされた都市だ……。
『た……び?』
どうやら、言葉の意味自体知らないらしい。この歪さ、知っている。しかし、都市の仕様に合わせたものではないことは、先に見た光景から確か。けど、歪の具合は、ある意味似ている。似通っている。いずれも、都合よく動き従い殉じる者としての、駒としての、歯車としての、従僕としての、家畜としての、そう、人生を捧げることを選択肢どころか自覚すらなく、強要されるところが。
……。そうか。嫌だったのはそこなのだ。自分が、なら仕方ない。何故なら、抗う牙は運よく生えてきたから。首筋には、確かに届いた。しかし、それでは駄目だった。鎖が、引かれていたのだと、思う……。あの場ではどう足掻いても、あと数センチ。いや、あと数ミリ。それが、どう足掻いても、届かないようにされていた。
見えているものが全てではない。船長などは、まさにそうだ。船長は、都市から船を持ち出す際に、段取りをつけていた。交渉し、その上で持ち出した。
それが、決死のつもりだったのに、ただの茶番へと前もって変えられていたあの儀式が
『ここにいてはできないことだ。そしてそれは、ここにいるよりもずっとずっと、君にとって楽しいものとなるだろう。こんな場所よりはずっと』
『?』
視界が傾いた。首を傾げたようだ。
『そこに行くことができれば、今の君の、嫌に思っていること全てが、消えるだろう。君が感じている、その、言葉にできない、それでも敢えて形容するならば、負荷。そう言えるそれは、やがて君を、君が最も恐れている終末へと誘うだろう』
っ! 崩れ、……ない……?
視界が揺れた。そして、崩れ落ちようとした、が、
ドンッ、ズッ。グッ。
踏み止まって、視点は元の高さに戻る。
暗転。
そして、すぐさま元に。何がこの当時の母上をこうさせたのかは、明かされなかった。暗転というよりこれは、瞬き、だったのだろうか? しかしそれなら、……あぁ、そこは編集されていた、ということだろう。連続する時の動きの塊として見せるには、瞬きは余計だ。
だから、今のこれには、意味があるのだろう。
『名前が必要だ。旅をするとなれば、それはあって当然のものなのだから。しかし、今のお前にそれは無い。与えたくはない。お前何ぞにその資格は無い。しかし、形だけでも与えねばならぬ。そうしなければ、これまでの時間と労力が無駄になる。そして何より、先祖に泥を塗ることとなる。言葉にすることで割り切る。ふふ、ふふふふふふ。どうせ一時的なものだ。どうせ、途中でのたれ死ぬか、たとえ辿りついても、それは回収されるのだから。ふふふふふふふ、うふふふふふふふふふ―…』
ドッ。ガシッ。
途切れた。恐らく、明らかに危なげな感じだったので、抑えつけられ沈黙させられたか、気絶させられた、というところだろうか? 流石に、何かしでかす寸前だったので、殺した、という風な物音ではなかったと思うが。
どちらにせよ、闇は感じた。
無機質な高笑い。それはとても不気味なものなのだということを知った。そんなでも心に乗った何かは嫌に鮮明に伝わってくるのだ、と。
『やはり私が話す必要がある、ということだろう。君は相変わらず動じない。いや、今は心を閉ざしている、だけだろうか? 何れにせよ、上手い閉心具合だことだ。我々でもそうはいかないだろう。その点は確実に成功作といえるだろう、君は。さて。ここは捻る必要は無いだろう。君は一を離すと十とはいかないが、5程度は理解する。十分に優秀だ。それでも手間が掛かるのは、我々の運用が悪いせいだから、君が気にするところではない』
『?』
『そう何度も首を傾げるものではないよ。それに、分からないということは、我々は分かっているのだから。君に離れた未来を見るだけの能力は無い。おっと、横道に逸れてしまったな』
視界が少しぼんやりとしたように見えた。霞んだ、のだろうか?
『長話の上に、脱線が過ぎる、か。眠るというなら、また、後にしよう』
すると、視界が左に右に動いた。言葉でなく、身振りで意思を示したのは何故だろうか? あぁ、これは、子供そのものの仕草だ。きっと、この声の主だけが、未だ幼い母上に対して、暖かさを持っていたのだろう。……誤差だ、そんなものは。他と違って、少し何か同情的なのか、優しくあるとしている、という程度。所詮、大変な目にあわせるのだ。
だからこれは偽善だ。けれど、それでも……無いよりはずっと、ましだ……。




