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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第二部 第三章 ロード・メイカー
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第二百五話 ゴールデン・ハーヴェスト ~種と稲穂~

「貴方は、賢い。それでいて、驕らない。この母は、貴方がそう育ってくれたことを誇らしく思う。そう認識できることの喜びを噛み締めることができたのは、このような人の形捨てた生も、母としての意味を捨てた生も、意味はあったのでしょう」


 そう言われて、少しばかり座曳は揺れた。


「……。貴方には酷く身勝手に聞こえるでしょうが、今だけは、どうかこのひとときだけは許してください。最後だから。後生だから。殆ど死んでいるも同然で、貴方に母と認識して貰えてすらいない私だけれど、……口にさせてください。本当に、よかったと、思っています。心残りなんてないつもりだったけれど、全然そんなことはなかった」


 それは酷く身勝手な言い分ではあったが、それが母と名乗るそれの勝手から来たものではなく、そうする以外の道を閉ざされた、その道を強制されたから、この都市の人間の一人として――そう理解しているから。


 けれど、それでも、一カ所、それだけは母と名乗るそれの言った通り受け入れられなかった。こんな風に。


「思っていたよりもずっと、貴方という人は月並みであったようです。子は親に似ると言います。その逆も成立するそうです。しかし、まるで、貴方は何と言えばいいか――、そう、月並み、としか形容の仕様がありません。外でみた、一般的な価値観のそれ、です。それは、そんなものは、この地であり得る筈がありませんっ……!」


 少しばかり、ではなかったらしい。それはもう、酷く、口にした言葉の後半部分では声を荒げてしまっていた。


 口にした言葉が言いたかったことの核心ではない。それは上辺でしかない。逸れている。敢えてそうしたのだ。いつものように、遠回しに、そうやって――無理をする。我慢する。抑え込む。飲み込む。


 ポトポトッ、ポトォッ――


「で……、何なんです……これは……」


 体は正直だ。無意味だと、聞くつもりのなかった、まるで子供が疑問をそのまま口にするように、座曳は口にしてしまった。涙が知らず、流れ初めていた。それに座曳は気付いていない。


 だから、口にした、その疑問は、本来意図した通りには伝わらない。伝わる筈がない。何と尋ねたのは、その姿と声を含めた視認についてのことだった。非難のつもりなんんて微塵もなかったのに。しかし、これだと、純粋な疑問として取られる訳などない。


 ポトポトポト――


 酷い汗だった。涙から一拍子遅れて、それは流れ始めた。とりとめなく流れる汗。額から肘を伝ってなどではなく、量の多さのせいで一部はもう、直接額から大きめの雫となってつぶてのように流れ出していた。だらりだらり、ではなく、ダラダラダラと。擬音でも発しそうな勢いで。


 ポトポトポト――


 それはもう既に、擬音ではなくなっていた。座曳の立つ地面はとっくに水溜りになっていて、その水面が注がれる汗粒で次々に音を立てていたから。


 それは、座曳が口にした言葉を誤認させるような態度を取ってしまったに等しいと気付いての汗ではない。


(私は……何を……)


 もう、何も分かってなどいない。どうしようもなく心は乱れていた。何故乱れたかも分からず、それでも発狂もせず、大声も上げず、泣き叫び始めもせず、ただ、汗と涙を流しているだけ。


「ありが……とう……、私の座曳。愛しき座曳。あぁ、言ってしまったわ。口にしてしまったわ。あぁ……あぁぁ……」


 取り乱していたのは向こうも同じだった。そうして座曳は、探りも初めの初めという段階で、図らずして、母を名乗るその存在と、自身は、今まさにこの時この場所で共に向き合って、話をしているのだ、とやっと認識できたのは、暫く後、互いにうろたえが収まった頃のことだった。






「意味。それはちゃんと用意している。あの人と一緒に考えたの。ずっとずっと考えてたの」


 座曳の涙と共に汗が止まった頃のことだった。先に調子を元に戻していたらしい、母を名乗る、いや、母であるその人は、座曳が話を聞ける状態になるのを待ってくれていて、今大丈夫と判断されて話の辻気が始まったのだろうと判断した。


(恐らくこれは、遠回りでしかありません……。直接情報を圧縮して押し込むことだって可能なのでしょう。しかし、そうはしない。限られた時間ではる筈なのに、せかしもしない。配慮も温かみも、確かに感じます。ですが……どうしてなんでしょう……。あの嘗て憎くて憎くて堪らなかった父の方が未だ……)


 知覚できないその人の声と表情を座曳は想像しようとしていた。どのような表情で、どのような身振り手振りで、そのような声の抑揚で、今こうやって自分へと話書けてきてくれているのか、と。


 幸い口調は分かる。言葉も、自身の頭の中で何か言葉を浮かべる感じに近いが確かに伝わってきている。


(私は薄情者なのでしょうか……。ですが、どうしても……)


「あの人がやっと気付いてくれたから、あの子が貴方を決死で連れてきてくれたから、そんな二人が場を用意してくれたから、私も、私の役目を全うするの」


(少しでも、想えたらいいのでしょうが……。………………。私は誰に、このやるせなさをぶつければいいんですか……。こんなもの、誰のせいでもないじゃないですか……。あの時とは違って、私も大人です……。分からない訳がないのですから……。役目というものはその者の命どころか生き方、運命すら、縛ってしまうのですから……。私もまた、そうなのでしょう……。未だ、幼少期に、縛られているのですから……)


 そうしていれば、それなりに冷静さも戻ってくる。自身の内に籠もっているだけではこのひとときを本当に無為にしてしまう。そう思って。そして、思っただけでなく、できる、振る舞えることが、座曳が優秀なところだった。それも、資質なのか努力の結果なのか、……どちらでもいいのだろう。どちらであろうが関係のないことなのだから。


 そして、


「もう、母親ごっこはお終い。……――」


 その一言で座曳は完全に冷めた。冷めきった。心が酷く、冷たく感じた。芯から凍りつくような。


(言わせて……しまい……ました……)


 そうして、理屈ではなくて、感覚的に、それを自身は母親だと否応なく最初から認めていたのだ、と理解する。

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