第二百二話 ゴールデン・ハーヴェスト ~黄金の収穫~
「【golden harvest】、というらしい。直訳すると、黄金の収穫。実際のところの意味は、素晴らしき収穫。金と、黄金色に染まった麦穂を掛けたのであろう、な」
そうしれっと説明され、座曳は周囲を見渡すのを止め、焦点を王へと合わせた。
「えぇ。その通りなのでしょう。私も嘗て、実物を見てそう思いましたから」
もう、座曳に本質的な意味での動揺はない。だからそう、らしく答えてみせた。
「ほぅ。それはきっと、この光景以上に素晴らしかったのであろう」
王がそう、微笑を浮かべながら座曳に言った。
「えぇ。それはもう。とはいえ、この光景の、現実の光景の再現度は高いですよ。まるで本物そのもののように見えなくもないのですから。このように、草や土の匂いまで、欠かさず再現しているのですから。ただ、こうやっているだけでは、現地にでも行ったことがない限りはこれらが紛い物だとは気付きもしないでしょう」
座曳もそれに応えたまでのこと。これまでとは著しく違っていた。それは、座曳が向き合おうとしなかったから。そのことに座曳が気付いたから。だから、
「では、現実で見るこれと、紛い物のこれとで、何がどう違う、というのだ?」
王のこの質問にも、答えが出せる。
「余りにも、整い過ぎている。麦と空の色。そして、匂い、恐らく触感も、現実のそれと、きっと、何一つ変わりはしないのでしょう」
そう、目を瞑り、記憶の中の光景とこの場の光景を照らし合わせながら、答えになっていない答えを座曳は流暢に口にする。
「なら、違いなどありはしないではないか」
王は声を荒げない。そう、尋ねるだけだ。だが、その声は一見普段通りのようであっても、どこか柔らかだった。遣り取りを、楽しんでいるのだ。そしてそれは、座曳も変わらない。
「違いますよ。何故ならここには、この景色を作る一助となった農夫も、収穫の際に傷のついた稲穂の痛みも、虫食いも、日光による色褪せも、ありは、しないのですから。結果だけを切り取って、その上で美化してしまったこの光景は、本物の光景が持つ肝心肝要な深みを、真にこの光景が私たちを感動させる因子を、含んではいないのですから」
しかし、座曳は、ここにひたすらに留まっているつもりなど、ない。終わらせて、戻らなくてはならないから。そして、彼女が答えを出したときには傍にいなければいけないのだから。自身が囚われたままだと、結局、彼女の答えは仮の形にしか留まらないのだから。
「そしてそれは――この都市の今と、何も、変わらない。この都市のこうにまで朽ち果てた姿を繕って、形を整えたところで、何も変わらない。意味はない。私が王座を継ぐことには、意味はないのです。だから、貴方はもう、そうまでして、後継を用意せねば、と必死になる必要は何処にもありはしないのですから」
敢えて、【golden harvest】が秘めているであろうもう一つの意味については触れず、座曳はそう言った。
ブゥオオオオオオゥゥゥゥゥゥ――、ザァァアアアアアアアアアアアアアアア――
背後から吹きつけてきた風が、稲穂を揺らす。それと共に、空の黄金色も、揺らいだかのように見えて、そして、
「こういう遣り取りを、夢見ていた。我が理想だった。自身の後継にと望む者が、傍で、後継に相応しき者に育ち、やがて、その座を穏やかに譲り、安堵と共に散ることこそ」
どうやら終わりが近いらしい。空は八方の果てから夕焼け色に染まり始めていた。
(外に出て、知りましたよ。どうもこういうものがあるらしい、と。親子、と呼ぶ関係があるらしい、と。それは月並みであっても、当人たちにとって、特別であるか、若しくは後のいつかに特別になる)
「身勝手であった、だから、いや……。謝罪に意味はない。そのようなものは、唯、自身をものなぐさむだけだ。お前が、先ほど彼女に示したところだったの、座曳よ」
「ええ」
そう、名前を初めて呼ばれたこと自体には感慨は無かった。しかし、それでも思うところはあった。とりとめなく、頭の中を過去が巡る。それが先ほどまでの光景の何処かで補充されたものなのか、唯単に思い出しただけのものなのか、はっきりせずとも、浸るには十分だった。
(色々ありました、確かに、確かに、色々ありましたとも。私と貴方は。それは到底、親子という関係には程遠い。未だ辛うじて見れたのは、リールさんのそれだった。他の人のそれは、私の理解の到底及ばない、縁のない、かけ離れたものだったから。しかし、ですが、どうやら、私は最後の最後で間に合ったようですね)
「らしくなく、人らしく月並みに、この時間を至福に思えた。とうに枯れ果てていたか、その資格は無いと蓋をしたと思っていたが……、……。付き合わせて、すまなかった」
そう頭を下げられる。しかし、下げ返しはしない。そうすべきではない。これは、受けるべきだ。本来理屈で考えるべきところではないのだろうけれど、座曳は敢えてそうすることを選んだ。
それこそ、互いの望む形だろうから。ここで半端に月並みに互いに歩み寄っては、それは何処か、違うと分かっていたから。
ただ、違うのは、座曳はこれまでとは違って、自分ありき、だけでは決してないということだ。
(何ともおかしく、滑稽なものではないですか。あれだけ理不尽を押し付けてきた、玩ばれた、憎くて、どうしようもなかった筈の、親としての子への何一つを与えようとしなかった、この、男が、どうしても、こんなにも……、流されて、いますかね……? しかし、悪くはないかも、しれません……)
「さて。そちらばかりが話してばかりでは要件は満たせません。こちらにも、話したいことがあります。私も付き合ったのですから、どうかもうひととき、終わりまで、続けて、くださいね。ですが、その前に、母を、私の母を。いるのでしょう? 貴方の傍で、最初から、ずっと」




