第二百一話 深海の幻灯 第零灯
見せられた光景。聞かされた言葉。明かされた意図。凝縮されたそれらは断片的にしか覚えてはいない。せいぜい、全体量の四分の一に足りるかどうか、というところだと思う。
けれど、構いやしない。僕の頭へと記録させることが目的ではない。僕に感じさせたかったのだろう。その時の空気を雰囲気を思いを。
心の揺らぎがこれだけ小さくなってきたのだから、もうじき視界の絞りは平時の自分の主観に基づいたものへ戻るだろうと容易に予想できる。
それは真に、自分の心が、決まったからだろうと思う。
だから、恐らく彼女が選んで編集して見せてきたであろうこれらの過去も、この自分にとってどうしようもない父親という名の王も、二人が自分に示したかったであろう船長についての幾らかの裏も、誰それの事情何ぞ悉く、どうでも、よかった。
探し求めていた彼女ももう、たった今、見つけられた。
自分のしなければならないこと。それは決して、彼女を見つけてそれで終わりでもなかった。ここからだ。ここから――始まるのだから。
ゴボボォォ――
口を開き、呑むように息をして、言うべきことを言った。大声でなくたっていい。声にすることを怯える必要はない。不必要に穏やかにする必要もない。ただ、はっきりと、言葉にすれば、いい。それは、彼女の為だけでない。僕の為だけのものでもない。僕たちの為のものだ。
「結。君を許すかどうか決めるのは僕ではありません。君自身です」
たったそれだけを口にするだけでも、幾度か恐怖を感じた。その旅に理屈に頼った。
触れた右手越しにか、それともこの水を伝ってか。どちらにせよ聞こえていることには違いない。だから返事が返ってこなくとも、最後まで言う。それが今やるべきことだ。そう、自身に言い聞かせた。
逃げないで真っ直ぐ向き合うというということは、とても怖いことだから。やるべきことは単純だった。はっきりとしていた。
「それでも君が、僕から何か言葉が欲しいのだとするのなら、こう、言っておくことにしましょう。旅を、しませんか? 僕とだけではなくて、僕らと、旅をしませんか? きっとそうすれば、いつか、君が君自身を許せる日が来るだろうと、僕は思います。現に、僕自身はそうでした。君が送り出してくれたお蔭で」
答えを出すのは、自身ではなく、彼女。そう、彼女に気付かせること。たったそれだけ。
僕は、口を、閉じた。そうして何とか――成し遂げた。
未だ少し、時間が掛かるだろう。今は出せない答えを保留し、今しがたの提案にひとまず乗るという結論になると分かっていても、真面目な彼女はすぐさまそうはできないだろう。
だから、
ブククククク――
(出港準備を、しておくとしましょうか)
座曳はそうして、いつものように、自身の世界を――俯瞰した。
(もう少し、お付き合い願いましょうか、王よ。実感沸かぬ私の父よ)
「後は、貴方との話をつけるだけです。これについては、私と貴方だけでけりをつけるべきでしょう。親子の、話ですから」
そう目の前の王に向かって言った後、すぐさま口調を変え、焦点をずらし、続ける。
「そういうことで、結。僕が戻ってくるまでに結論を出していてください。船で待っていてくださるといいでしょう。彼らに話を聞いてみるといい。決して無駄にはならないでしょうから」
口にし終えたと同時に、
ブゥワァァアアアアアアアアア――
突如現れた、暖かな黄金色の泡に私は一瞬で包まれて――
((さて、と。待って下さいましたか。お手数お掛けしましたね)
また視界が新たな景色に呑まれることを予想していた座曳は、今度は動じはしなかった。
それが晴れたかと思うと、あの場に、私は、立っていた。闇色の背景に、石積みの壁。城のような何処か。何度も見せられた、彼女と王の密談の、場。
そこに、自身が実体を持って立っていた。対峙するは、かの決闘の日のような、人の形した、老獪で冷酷な雰囲気を醸していた、王。上から差す光は、自身と王の周囲のみを照らしていた。
「ふっ」
かと思っていたのに、その雰囲気はたったそれだけで砕け散った。王の一笑。そこからの、冬の樹木のような硬く色のない表情が色づいた。冬の空気は雪解けの時を迎えるかのように――
「っ!」
訪れた変化に私は思わず動揺することとなった。その変化とは、この場全体に及ぶ変化だったから。
(戻っ……た?)
闇が取り払われていた。そこは、空までも黄金色に色かせるような、光り輝く麦穂が広がる庭園の中。
輝く限りの――秋に、包まれていた。




