第百九十九話 深海の幻灯 第八
場面が閉じて、――恐らく、幾らか、飛んで、また、場面は飛んで――体感では、未だ、景色は終わらない。
これで……八度……目、ですか……。
キィッ!
辛うじて瞬きの間に見える、果て無い海の中の光景に翳す自身の手と、標識として刻んだ右手甲の縦傷、たった今加えた赤く滲んだ一本で、計八。
また、呑ま――
視界が構成されると同時に、泡立つかのような音は、声になった。
「――――、お嬢ちゃん。あんたぁ、そのまま死ぬつもりかぁ? 分かってんだろうがぁ、はぁん?」
そう言っていたのは、船長。
「……」
彼女は何も言わない。遠く眺めるだけだ。点のように小さくしか見えない少年を。そこは、音立てない緩い波が打ち寄せる砂浜と乳白色の鍾乳洞の崖。白い光が程良く上から降り注ぐ。風すら吹かない。
が、それらは、今のような昼間のうちにだけ見られる光景。
昼は波は穏やかでも、夜になると水が砂浜を飲み込み、波は高く激しくなって、崖の岩肌を削り始める。
まるで、この場所にいる子供たちの運命を暗示するかのような、凪のような場所だ、と今となっては、思う……。春と夏の境目に留まり続けるこの都市の映り変わりの無さもそれを助長していた。
崖上から砂浜までの距離は凡そ数十メートル。少年含めた子供たちは砂浜にいて、船長と結・紫晶が崖上から下を見下ろしていた。
子供たちは、亜麻色の服を着ている。膝丈ほどの、少々大きめの半纏のような服だ。子供たちの成長に伴ってそれは短かくなってゆく、白く色が抜けてゆく。
そうなれば、大人として促成される。子供時代の終わり。土台はできている。入れられた知識の、常識の、観念の、意味を、方向性を彼らは知ることで、大人となる。
「まぁ、いいさ。仕込みは終わった。こちらとすりゃぁ、お代は頂いた後だしな。あとはあんた次第だ」
彼女は膝を抱え、頭を垂れて、きっと、虚ろな目をしているに違いない。それがどうしてなのかは、結局のところ、あのときの僕の覚悟は僕由来のものではなくて、彼女が御膳立てしたが故のものであったから。彼女が僕より先に悲壮な覚悟をしていたのだということだけだ……。
すっ、っと船長は立ち上がる。今度は彼女の返答を待ちもする気はないらしく、一、二、と助走をつけて、崖下へと豪快に身を投げた。きっと、顛末を読みきっていたのだろう。そう考えると腹立たしい。けれど、僕らが仮にでも約束された終わりから逸れるにはそれしか手が無かったということも、これまでに見せられた情報から何となく分からせられている。
だから、力無く、振り下す拳は、何も砕けない。当たり散らす先はない。自分自身以外には。
ぅぅぅぅぅ、びゅぅううううううううううううう――、
「言われなくても……、私はもう…―」
ザバァァンンンン!
彼女がぼそりと弱々しい声で呟いた、彼女の本心は、船長の着水の音で掻き消された。
次に瞬くと、彼女も船長も、子供たちも、誰もいなくなっていた。場所も時間帯も変わらず、昼間のようではあるけれど、僕に今、視界を手繰る自由はない。見せられるが儘に、見ることしかできはしない。
誰もいない。何もない。
これは、何のために見せられているんだろう?
わざと、意識を遠のかせる。集中を解く。そうすると、その場の景色は少しばかり他人事のように思えて、気が紛れた。
街の西端に位置し、昼間は子供たちが時折水遊びする場であるそこは、大人たちが踏み入れることは決してない場所。
子供たちだけの為の場というのも、養育には必要であって、王がそういう勅命を出しているが故。彼らが、この都市の子供たるべき思想教育を施されていてその成果が顕著に出ているが故。
後は、方向付けるだけ。
それが、この都市の子供たちの大人へのされ方なんだと、自分が経験しなかったそれを、自分が本来経験する筈だったそれを、遠望する。
視界は遠くなってゆく。崖の先端から上空へ、浮かび上がってゆくように。視界は下だ。ずっと下を見ている。崖は遠くなり、海岸はより広い範囲視界に収まっていき、僕に自由が戻ってくる。
彼女を、結を――、一体、何処に――
岩盤をすり抜け埋もれ、視界が暗くなると共に、また気付けば、
ブクククククク――
現在位置も全貌も分からず、標もなく、水の、中……。
「ばはぁ、ばはぁ、ぼごごごごごごご――」
(何か、見落としているに違いありません……。なら、後悔は未だ先で――いい)
オォン、オォン、ゴォン、ゴォン――




