第百九十六話 永き生の呪い
「こうして、また、振り出しに立ち戻る、ですか。鎖で縛られてないのですから、扱いは違いますが。にしても、回りくどいですね、そこまでして私をそこに縛り付けたいのですか? その役目を押し付けたいのですか? 何がしたいのですか、貴方は?」
痺れを切らした座曳がそう、水の中で声を荒げた。それはしっかりと音となって言葉となって周囲に水上よりはゆっくりであるが伝わっている。その水は酸素を高濃度で含む。そのまま肺に取り入れても問題ない程に。きっと、感じる塩味も偽物だろうと。
凡そ数メートルの距離をおいて対峙するそれに、座曳は戸惑っていた。
(あの海の底を象った岩の水瓶のような穴の中……。望まぬ再開の場から既に……、その姿すら、偽り、でしたか……。しかし、ならどうして……)
意味がないと分かって見渡す。そこは、底の見えない果て無い海の中を象っているようだった。暗く深くなって下に続いていっているように見えるが、自身の体は今いる深さから多少上下しているものの、差し引き沈んでいっても浮いていってもない。足はついていないのに。ばたつかせていないのに。だからそれは決して本物の海ではない。
何せ、その答えを知っているであろう筈の彼女ははぐれていない。どうしてか姿を見せない。既にあの名に無い広場からの落下から既に数分が経過していたというのに。
果て無い海が暗く深くなって下に続いていっているように見えるが、自身の体は今いる深さから多少上下しているものの、差し引き沈んでいっても浮いていってもない。足はついていないのに。ばたつかせていないのに。
落下からどれだけの距離落ちていったかは分からなかったが、ちょこちょこと小さな断片が体に当たりつつも、何とか大きな断片には当たらずに済み、急に、音もなくそこに在った不可視の水に触れ、そのまま沈んでゆき始めてからは何故かそれらは自身の体をすり抜けて、自身の落下速度よりもずっと早く落ちていって、見えなくなった。
そうして、自身の落下が止まって、まるで浮遊しているかのように、海の中に浮かんで、目が周囲に慣れてきて、それでも彼女は未だ姿を見せなくて、それを視界に視認したと同時に思わず水を肺に流し入れてしまうが苦しくないことに気付く。そして、それをぎろり、と睨み付けた。
現状の彼女の無事の確信すると共に、今後の彼女の無事はそれに握られている状態なのだと把握したから。
そして、疑問を投げ掛け、今に、至る。
(ここにこれ以上いても、無駄でしょう……)
動こうとして、座曳は理解した。
(っ……)
自身はこの幻影の海のこの座標に縛られているのだということを。探しには行けないのだ、と。目の前のそれを何とかしない限り。
(やられ、ました……。もう体は浮かぶように上下すらしていないですね……。これでは結局、鎖で縛られたさっきと実質的に変わりやしないではないですか……。二度までも……玩ばれるとは……)
手も足も問題なく、動く。しかし、体の軸が、一点に縛り付けられたかのように動かない。自身の心臓の中心。その一点が、位置を移動できないように、そして、前後左右への体全体を動かす推進力がまるで発生していなかった。空回りするように腕や足が動くだけ。体制も変えられるが、移動は、できない。
座曳は苛立ちを抑えられない。
「私をここに縛り付けて何がしたいのですか! 貴方を私の手で終われてその不完全な不老不死を継がせたいのならそうすればいい。民なき領土に佇む支配者など、王ではない。何故なら、もう何も、紡ぎ残せない。誰もここを知らず、私はここを出られず、一人で建造物としてのこの都市の形を維持するてできやしない。何も、残らない。私だけが残っても、意味はない。儀式を通さない形で私が継ぐ、ということでは、彼女は跡形も残らない。貴方の自己満足にしかならない! 貴方のその呪いからの解放が為だけの台無しもいいとこだ!」
「……」
「未だ何も言いませんか! たったと、独り、くたばるといいのです! 渡してやろうじゃありませんか、引導くらい! どうせそうしないと、船も、私が責任を持つべき未だ生者である船員たちも、連れて出れやしないのですから!」
「……」
「ふざけるなぁあああ! いつまで黙りこくっているのですか! 微塵もその業を悔いず、そんな姿に勝手に成り果て、私を未だ勝手にできると思っている! だが、貴方にそんな力はない! するならとうにしている筈だ! 貴方はそういう類だ!」
「……」
沈黙は変わらなかったが、一瞬その濁った目が揺らいだように見えた。
「何だその目は! 本来終わるべきところで終わらなかった、貴方のどうしようもない自業自得ではないですか! 私と結を巻き込んだ! だというのに、未だ貴方はそんな風な態度を私にも結にも貫くのですか! いるんでしょう! すぐ近くに! 結は! 結ぃいいいいいいい! たったと出てきてくださいいいいいいいい! もう、これになんて、構う意味はないでしょううううううう!」
ゴボボボボボボォォ――
泡が、吹いた。目の前の、不定形のそれ、から。
「探……せ……」
そう、聞こえたような気が、した。
 




