第百九十三話 終わりを勝利で結ぶために
「――、結。結っ。結ぃいいいい!」
結・紫晶は、座曳に揺すり起こされたところだった。歩きながら回想に浸って、知らぬ間に意識を失っていたのだ。
「っ……何かしら」
心に負荷の掛かった回想。だからこそ、頭が痛んだ。
「やっと反応してくれましたか」
座曳は、そんな彼女の回想の中身何ぞ知らず、これまで通り優しく柔らかな感じを保っていた。しかし、彼越しに彼女が見る、後ろの背景のような光景は、彼女にひとときの逃避すらも許してはくれない。
背景のように、座曳の数人生き残った、生き残ったと言っていいとは到底……という風な船員たちの立てる物音が背後で蠢いている。
「無理に抱え込まないでください。私が言えた口でもないですが、それでも負荷を分け合うことくらいはできると、知りましたから。それとも、こういう感じの方がいいでしょうか?」
彼はそう言って、彼女に目線を合わせ、彼女の前に両膝を立てて、両手をそれぞれ彼女の右肩と左肩に右手と左手を乗せて、握って、揺さぶっていたところだった。
(そう……。そういうところ……。貴方は、本当に、私を、助けたい、そう思っているの……? 分からない。どうしても、分からない。貴方の軸の中に、本当の中心に、何があるのか。私が最も知りたいそれは、深くて深くて、どうしても、届かない……。偽物の筈がないってことは分かるのだけれど、その核が見えない。だからこれは、唯の私の身勝手な不安……)
「ありがとうございました。汚れ役をやらせてしまったようで、本当に、ごめんなさい。けれど、ありがとうございます。彼らに正しく生きて、正しく死んで貰わねばなりません。これは、私が知るべき、背負うべきものです。しかし、枷ではありません。糧です。私が勝たねばならない理由の、糧です」
彼女は、彼に自身の顔が見られない姿勢であることを安堵しつつも、罪の重さに震える。
(あのとき、彼は負けたことにされた。……私が、してしまった……。彼は命は奪われなかった。王がそう言ったから。王は言った。自身は試合に負けて勝負に勝った。儀式の勝ちは勝負に勝つ方。試合はその過程でしかない、と。そうして、彼は、記憶を消され、恐るべきその才を削り落とされ、唯、優れているだけの型に嵌まった人間へと整形されてしまった。王の宣言した通り、次代の器、として。あまりに残酷だ。血も涙もないかのような、どうしようもない仕打ち。彼を踏みにじるかのような仕打ち。だって、生きながらに死んでいるかのようにしか、彼の嘗てを知っている者からしたら見えない有り様だったから。そんな彼を見て自分勝手にひっそり時折頭を抱えていた王は、あんまりにあんまりだった……)
彼は彼女の震えにちゃんと気付いている。だから、少しばかり今までよりも密着を強める。
(王も大人たちは、自分たちの捏造行為を、都合良く無かったことにした。そしてその場にいなかった子供たちからも、彼という人間についての記憶を改変した。でも、彼の本質は結局変わらなかった。才の多くは彼を彼たらしめたものではなかったから。彼はこんな、管理されることに慣れ、思考しない大人を作り上げるだけになった都市にいてすら、独り人間らしく、結局あり続けて……。私の問題に水から関わって、情けで与えられたような、抗わなければ平穏な立場を捨てて、)
「ですので、私はここに誓います。とうとう私は決意します。王を、討ちます。あれは、間違っている。何もかも全て、最初から最後まで、徹頭徹尾、間違っている」
(再び抗って、追い出されても、また……。何もかも忘れても、変わらず、私なんかの……為に……。愚かよ、座曳。貴方はどうしようもなく……。私同様にどうしようもなく、愚かなの。けれど、それは今は嬉しくて嬉しくて堪らないの。どうしようもなく……。けれど、それと同じように、たった一つ。ずっと、残っている疑問がある)
そう、彼は、『とうとう言えました、やっと言えました』とでも言わんばかりに、嘗て勝者となった事実を、嘗て叫んだ呪言を、彼は忘却させられたまま。もう、嘗てのように、天の如き遠望も、千里見渡す知見も、全て見透かしているかのような圧も、持ってはいない。彼の才の大半は簒奪された。
決闘は、その結果を辱められ、勝者になりつつも、逆に敗者の如く奪われた彼は、残された僅かな才を磨き、生やして、嘗てと同じ答えに至る。
(貴方が私を大事に、特別に思ってくれていることは分かっても、そんな貴方を私自身、支えたいと思っても、貴方はいつも肝心なことは独り抱え込んで……。そして、貴方がどうしてそこなで私に、私にだけ、拘るのかが、どうしても、分からない……)
彼女にはそれが、何一つ変わらない結果にしかならないのではないかと、恐ろしくてならなかった。だが、
(けれど、私は、一縷の望みに思いを託さずにはいられないの。だって、嘗ての貴方は、私自身が諦めていた全てを、繋いで、残してくれた)
「ええ。行きましょう」
そう、彼女は柔らかな表情に、柔らかな声に戻って、その終わりの街の風景の中、彼に微笑んで、肩の彼の手を取った。
(悔やむのは、ここで終いにしましょう。ここまでくれば、)
「『私たちは、ここでは終われない』、でしょう」
(結局、やることは一つ。彼の芯と同じで何一つ変わらない。彼を今度こそ、勝たせるの)




