第百九十話 机上空想の海戦:盤外 心穿つ一撃 そして
何も知らない彼は、何も知らないが故に、独りよがりに、独善を、理想を、彼が為の正義を、振り翳す。復讐染みたそれを、正当なものであるとそのねっとりとした重い声は、飾りが取れた口調は、厚かましく主張している。
「見ていた。ずっと見て居た。ずっと、眺めていた。遠く遠く、幼い頃から。そう。結が連れ去られて、愚かにもずっと忘れられず、だって何もできないのに。そんな中、僕は、……。だから、ずっと、見て居た。考えていた。嫌になる程に、反芻し、反芻し、反芻し、思考を辿り、辿り、辿り、今日、このときを、僕は、待っていた。そして、貴方であれば、絶対にこれは通用すると踏んで、それでも怖くて、怖くて、怖くて……。僕自身なんてどうでもいい。妄執に、心燃やされるようでは、僕の生なんて、碌な先はない。碌な末路はない。いつか、燃え尽きるか、無為に当たり砕け散るかのどちらかしかなかった。だから、唯、怖かったのは、これで届かなくて、結が、結が、結が、もう、どう足掻いても助けられなくなると決まってしまうその時を、僕自身で決定付けてしまうことだった。僕は果たせるなら死んでもいいけれども、果たすまでは死ぬ訳には――」
まるでそれは、子供のだだのような、しかし、全力の、全てを賭けた、訴えのような恨みつらみだった。
彼はその後も暫くの間一方的に喋り続けた。無為と思いつつも、そうするしかなかった彼は、そうやって、思いの丈をひたすらに言葉にし続けた。それは、過剰な程に、王に、刺さる。
王は彼が口を自ら閉じるまで、沈黙を貫き、一切表情を変えぬままだった。彼が口を閉じたのは、再び靄が王の領域を覆い隠すほどの濃度に復帰した頃だった。
(このときは違和感だけだった。けれど、今は違う。分かるから。義父様はこんなもの、望んでいなかった。我が子が、このような場に立つことを望んでいなかった。義父様自身と、私だけが知る、そういうものに、無理やりした筈だった。けれど、何故か、知ってこの場に、このときの座曳は立っていた。どうして、気付かなかったのか……。私は……。そもそも、こんな手を取れた時点で怪しかった。私を助けようとこんな熱量を持っていて、でも、だからこそ、何が何でも成功させないといけなかった筈……)
王は、子供に、よりによって、自身の子供に、そこまで思い詰めさせて、そこまでやらせてしまって……、だからもう、このとき既に、王の壊れから始まるこの都市の終わりは決定付けられてしまったのかも知れない。
(なら、こんな手を取った時点で、気付くべきだった……。座曳の耳元で囁いて、裏で糸を引いている誰かがいた、ってことを。記憶の処理は絶対。なら、それでも彼が憶えていたということは、誰かが後で入れたということ。消えた彼の脳に。記憶に。そしてそれは、きっと、座曳が義父様に挑むと宣告する前。けれど、これだけの怒り。執着。抱えきれなんてしない。だから、この戦いのほんの少し前。下手をすれば数時間、打倒に考えて数日、数週間。どれだけ長く見ても一か月。名乗りを上げる一か月前に、干渉が入ったということ。そして、それには私にすら心当たりはない)
これは、王に与えられた、最後のチャンスだった。裏があることに気付く為の。しかし、気付けなかった。そして、気付けないまま、儀式は進む。
なら、待ち受けるのは、最初の破綻の引き金だ。
後は、消化試合のように打ち合いが続く。何故消化試合か。それは至極簡単なことだ。相対する者同士のレベルが拮抗しているなら、準備の段階で、勝負というのは決まってしまうものなのだ。少年はそれだけの器であった上に、他にも何か、伺い知れぬ何かがあった。それは執念か、それともはたまた――。少年のみがそれを知っている。
(今の私ですら、知らない。知れない。まるでそれは、靄でも掛かっているかのように、隠され、ぼかされ、……。そして、それをしたのは義父様自身。分からない。分からない……。分から……、ない……)
ボォウッ、ヒュゥゥ、ドゴォォンンン!
ボシュゥ、ヒュゥゥ、……。
ボォッ、ヒュ、ドゴォォォンンン、ゴシャァァ、ボゴゴゴゴゴゴ……。
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ゥゥゥゥゥゥゥゥ、ボゥ、ザバァアアアアンンンン!
少年の側が撃った。王の潜水艦が、また一つ、沈んだ。
そして、攻守は切り替わる。王は既に、砲撃雷撃を行うことはできない。移動しかできない。少年の陣への攻撃の手段が、潜水艦での自爆特攻しかない。そして、王は、それを動かす。最後の一隻だった。燃料と魚雷を満載し、少年側に潜めていた潜水艦。それを使って破壊できるのは、一隻限り。
少年の艦の数は、一隻を優に上回っている。つまりそうなれば、もう、王に攻撃手段はない。少年の主艦がどれであるかは分からない。少年は初手以外六に攻撃してこない。せいぜい、自身が攻撃する側であるターンに、10に満たない資源を消費してくるだけだ。
王はその駒を兎に角動かす。当たらないように。自爆特攻をする気でいるぞ、というだけの千日手を目指して。そうやって、引き伸ばす以外に無くなっていた。
王は経験から、察していた。未だ明かされていないマスクルールの一つについて。少年もその予想に辿りつき、確信していた。
王のターンが終わり、少年にターンが回る。とうとう、王の先伸ばしは終わりとなった。
ゥゥゥゥゥゥゥゥ、ボゥ、ザバァアアアアンンンン!
当たった。
王の潜水艦と、少年の潜水艦が、衝突し、共に沈んだ。
それでどうなったかというと、もう明らかだ。前提からして、少年は消極的な勝利条件を満たした。隠された勝利条件を満たした。
この勝負に引き分けはない。これが仮想の海戦、つまり戦争である。その二つを踏まえたらもう答えは見えている。
攻め手が無くなり、限られた自陣内を逃げ回ることしかできず、反撃すらできないということは、もう、どう足掻いても勝つことはできないということだ。相手を全て沈める術が、自身の状況だけを見た場合、もう無いからだ。
資源は最初に割り振られた分だけ。それはつまり、補給できない、遠出での戦いであることを示している。それでいて、攻め手が無い、ということは、絶望的だ。何もできない。相手の状況は分からない。確定させられていないから。
相手が攻撃の手札が残っていることが明らかなら、もう、その時点で、王に勝ちはない。相手には、勝ちに近づく手段が一応ある、ということになる。
少年が、一発でも、王側に砲弾か魚雷を空振りでもいいから打つか、潜水艦での自爆特攻を一隻でも成功させれば、それでその証明が完了してしまう。
だから少年は再び口を開いてこう言った。今しかないから。これが最後だから。
(駄目……。それだけは……。言わ、ない、で……)
「結を救う方法は、私が勝つ以外に、無いのですか……?」
(あぁぁ……)




