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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第二部 第三章 ロード・メイカー
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第百八十六話 遥か遠き叶わぬ望み

 海戦ゲームという概念を知らないにも関わらず、それを知らないとも知覚できず、それをさも当然のことと、一切の疑問を浮かべないよう、操作されていた観客たちは、今限り、毎度のようにその縛りを解かれた。


 そして、浮かび上がる、深青色の格子線。それは、縦横を区切る正方形の格子ではなく、海に潜るかのように、縦横深さ毎に立方体の格子を沈めるように形成されていった。1マス分の格子が、一辺100メートル程度の遠大な区切り。それが、海の断裂面に平行な線がそれと同時に二つの船は消える。二つの船が対峙していたその間の海が、まるでそれを目印にするかのように、割れた。見渡す果てまで。そうして互いの陣は分けられた。


 海の断裂を挟み、向かえ合わせに、最前列中央から見て、左右横に10ずつ、後ろへ10、下へ5。つまり、それぞれに、縦10マス、横20(=10+10)マス、高さが海面から始まって下へ5マス、計1000の、自身の軍勢の配置の枠が与えられたということだ。


 黒の船が浮かぶ領域が左側、白の船が浮かぶ領域が右側、となる横斜め上方向からの視点の高さを見る者それぞれが望むように可変することができるその光景が、観客が見せられる決闘の盤面である。


 彼女と二人は、違う光景を見ている。まやかしではなく、現実を見ている。


 苔生した緑の正方形の板。その上に再現された、まるでミニュチュアのような、海の一部。実際に海水が張ってある。


 闘技場の中心が、一辺2メートルの立方体にくり抜かれ、そこに海水が実際に張り、その上に、透明な板が乗っているのである。


 そして、二人と彼女の立つ辺りである、中央から凡そ、半径5メートルの地点が、中央の盤を残して円柱状に1メートル程度ゆっくり沈んだ。彼女がどこからともなく、円柱状の石の椅子を持ってきて二人の後ろに置き、二人は用意されたそれに座り、盤面越しに対峙した。


 幻影で割れた海もその通り再現されている。それが、二人の陣地を分けていた。深青色の格子線も再現されている。これはさながら、幻影の光景の元、盤面はあの幻影の縮小版そのものを示している。


 彼女は、二人の間に立つようにして、立ち、盤面を眺めている。二人には、自陣の配置は見えている。しかし、相手の陣の配置は黒く霞掛かるように見えていない。今回は、白い船が浮かぶ側が王。黒い船が浮かぶ側が挑戦者。それぞれ、自身の駒だけが見えている。これがそういう手探りの読み合いであるということを如実に示している。


 彼女にだけは両方の盤面と、彼らの配置と配分が見えている。そして、挑戦者である少年の王への第一射と移動第一回目の指揮、王の移動第一回目の指揮が見せている。


 彼女だけは、先んじて展開が見えるようになっている。それは、彼女が、認識した光景が、彼女が選んだ部分が、観客たちに幻影として反映されて見えるようになっているからである。それは、この儀式を発明した者が、この都市以外からの干渉までも見据えていたからに他ならない。


 これは、最初の一回が行われてきた昔からずっと、いい加減なようであって、一部異常な位に厳密で、歪なままにされた儀式決闘である。






 幻影が観客たちに見せられたということは、配置が決まった合図。忽然と現れた二つの船。白い船と黒い船。同じ大きさの、ガレオン船が船頭向けて、対峙するように。その先頭に、誰か立っている。


 それは、影。同じ大きさ同じ形の影。どちらかが王で、どちらかが挑戦者。どちらがどちらであるかは、見た目では一切分からない。


 観客たちには、どちらがどちらかなんて分からない。彼女には幻影無しの光景が見えている。対峙する二人も同様。


 結局のところ、幻影は、観客たちの物理的な干渉を避けつつ、リアルタイムで遣り取りを見せるが為のもの。


 彼女と二人には、幻影が止んで、元の闘技場が見えている。観客の声は耳をつんざかない程度の大きさに低減されて、場に響く。それが、彼らの民意。彼らのいる意味。


 観客たちにとって、どちらか分からないことは重要ではない。指揮に精彩がないのが挑戦者。指揮に過ちが散見されるのが挑戦者。指揮に勝ちへの定跡が無いのが挑戦者。そうであると彼らはいつも決めつけている。例外は、王が耄碌しているときと、王が敗けるつもりで指揮しているとあからさまなときだけ。今回、王は負けるつもりはない。耄碌もしていない。だから、愚かなのは、この史上初の幼き反逆者だと決めつけている。 


 後は、彼女が観客たちに見せられている映像を止め、幻想の決戦の場に差し替え、観客向けに説明をするだけだ。そして、彼女が、とある合図をして、決闘は始まる。


 その間、決闘を行う二人は何も言わない。その筈だった。が、彼らは言葉を交わした。彼女はそれを、ルール説明を観客たちに口にする前に、そのまま、流した。


(気付いたら、こうしていた……。私はこのときから、身勝手に、期待していたのかも知れない。自分は何もしないのに……。何度見ても、そう、思う……)






「言い残すことは、無いのか? 言い残すことは、それだけか?」


 王が言う。王がそれ、と指し示したのは、少年の表情、態度、無言。それそのもの。


 王は、少年に微塵も苦悩を見せてはいない。配置を決める場での互いの表情も声も一切聞こえないのだから。だから、彼女だけが、王の表情が、被った仮面であると知っている。彼は永遠それを知ることはない。恐らく知ることができる機が訪れても食指を動かすことすら無いのだろう。耳にしても何の感慨も浮かべないのだろう。


 彼らの親子の在り方はそういうものだったというだけの話。そもそも、そんなもの、親子と言っていいかすら分からない。尤も、それを考える材料を唯一持つ彼女は、そもそも、存在を切り離された、孤独な個でしかない。だから、考えることに意味はない。


「何を言っておられるのですか? 言い残すべきは僕でなくそちらでしょう? 今日この日で、貴方の完全という名の皮は剥がれ落ちるのですから。何故なら、挑戦者が先手。外さなねば、負けはない。ですので結末はもう、決まっているのです。一手で決する。貴方は動けない。為す術も無く、貴方は敗れ去る」


 少年は宅についてから王に向けたままの敵意の表情をまるで変えずそう言って、足を組んだ。そして、そこでやっと、


「「勝者こそが、常に、正しい」」


 口を開いてそう言うと、王がそう言うのとぴたりと重なった。王は、嗤った。少年は、表情を変えない。


「勝て。自身が正しいというのならば。全て終わった上で、独り、その証として立っておると善い」


 王はそう言って、宅に両手をついた。ふんぞり返るようにどっしりと。盤面はびくりとも揺れない。


「……」


 少年は何も言わない。


 彼女は観客への中継を、終わり、と判断し、切った。そして、変則的で独特なこの海戦ゲームのルールを観客たちへ。


 彼は唯、彼女を見ている。待っている。始まりのその時を。彼女が合図するその時まで変更可能な盤上の駒への号令を思考錯誤することすらせずに。


 表情から怒りは消えていた。穏やかな目だ。しかし、寂しそうな目だ。遠く離れてしまった掛けがえのない、もう取り戻せない、届かないと分かっているものを、その後悔を懐かしむような、遠い遠い憧れのような目だ。


 その表情を彼女は見ていない。王だけが、見ている。少年は、自身を見てくれない、遠く何もかもあきらめた無表情な少女に向けている。そうと分かって三者はそう在る。


 それこそ、きっと、この場の三人の関係そのものなのだ。






「勝者こそ、王。それが私たちの総意である。誓えますか?」


 彼女は観客たちに、ルールの説明を終え、最後に言う。


「確認しました。私たちの意思は、始まりのその時から同一で不変である、と」


 彼女がそう言うと共に、黒い靄が晴れ、


 ブフッ、ドォオオオンンン!

 

 先攻最初の砲撃の音が、幻影の空間で、鳴り響いた。

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