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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第二部 第三章 ロード・メイカー
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第百七十九話 罪果の箱舟

 彼という個、そのものが、例外そのものだった。彼は、五本の指に満たない齢でありながら、言葉を使いこなしていたから。王の実の子でありながら、明確な意思を以て、王に対峙することを選んだから。


 王の実子であるが故に、王の手からは放され、唯の一本の芽として在った。唯の民の一人として、他の民の扱いで知らず、育てられた。


 養育の一切を、唯の一人の民として、施された。与えられた。偽りの親を用意され、育てられた。この矛盾を孕む王国を続ける為に、全ての民は例外なく、それに協力を惜しまない。それは、選択ではない。信仰である。民も代を跨ぎ、選択ではなく、それはもう洗脳に限りなく近い。


 だからこそ、彼に事が明るみに出るだなんてことはある筈がなかった。だが、彼はどうしてかそれを知っていた。


 そんなこと、本来あり得ない。


 この見世物と言う名の儀式の新たなる勝者が為の彼女自身にすら、この場が行われる日が決したそのときになってやっと、王の口からその事実を告げられた、というのに。


 王の息子の誕生を知ってしまった民たちは、例外なく全て、喜んで、記憶消去の処置、絶対不可逆の、秘匿の為の処置を受けていたというのに。王と、先日知らされた少女以外に、欠片すら、王の息子という存在の事実はもう、持ち併せてはいないというのに。


 ならば、王しか、いない。だが、なら、どうして王は、そのようなことを? きっとその答えの断片は、この光景の中に散りばめられている。


(私はその答えを知らない。座曳自身は……どうなのかしら?)








「変わって、しまいましたね。変わり果ててしまいましたね、貴方は。結。そう呼ぶことすら、憚られてしまう程に」


 少年が今こう話しかけた、少年と王の間に立ち、仲裁者として、審判者として、儀式を進行させる少女。


(何も知らない筈の、忘れさせられてしまっている筈の私は、そのときの彼の、私に向けた言葉と、そのどこか、ずっと遠くを見ているようなその目が、それが、とてもとても、恐ろしかった。得体が知れない。正体が見えない。底が知れない。果て無く、理解の及ばない領域の何か。未だ、このときの私には、彼、座曳が、何であるか、全く以て、分からなかった。けれど、予感していた。何かが起こる、と)


 審判たる、贄たる、彼女は見たのだから。聞いたのだから。彼女自身と王。それ以外のあらゆる民から存在の記憶を抹消され、最初からそうやって存在する筈の、"物"としての、紫水晶の被造されし体に封じられた、失われた筈の彼女の名。それを彼が確かに口にしたのを。


 一度目は、驚きが勝った。


 二度目は、その裏にあった不明への恐怖が明瞭になった。得体の、意味の分からなさに、理解できない執着に、ぞっとするような寒気を、彼女は感じた。


 そしてそれは、更に強まってゆく。彼の続く言葉で。


「貴方は私のことを憶えていない。しかし、私は憶えています。忘れてなどいない。ひとときたりとも、忘れたことなど無いのです。約束、憶えていますか? 貴方が忘れても、私は憶えています。貴方が忘れても、私が全てを憶えています。」


 いつの間にか、据わり、どろりと蕩けるように濁った、しかし、頬を赤く染めてなどいない、しかし、瞳の芯は、彼女を、彼女だけを刺すように、見ている。


 目だ。目を見ている。彼女の目を見て居る。


 彼女にとっても、周りにとっても、それどころか、全ての事情を知っていたとしても、彼の言葉は、誰にとっても、意味を為さない異様なものであったに違いない。


 伝わってくるのは、ただただ、思いで。執着で。どろりと、粘りつくような、それでいて、散らず、纏わりつくかのような、視線を逸らす、目を閉じるという選択すら対象の頭から溶かし消してしまうような、何処までも重い。そんな、形無い、限りない、果て無い、包み沈められるかのような、錯覚。


(このときの座曳は、今でも、私は、受け入れられない。殆どを知った今でも、これだけは、分からない。彼が私に執着する理由。未だ、知り得ない。だけど、たとえ、答えを求めて尋ねても、貴方は、それを、意味の伝わる言葉にできるのかしら? 座曳……)


 彼は、どうやったのか、彼女がいた数年を、自身が物心ついてから、彼女が消えるまでを、確かに、把握していた。具体的な中身のない説明で、彼女はそう思わざるを得なかった。


 周りも同様だったに違いない。誰も物言わずとも、この異様な空気が、言葉でなく、空気が、雰囲気が、その役割をしてしまっているようなこの場では、()()()()()()()()()()()()()


 思わされている。


 つまり、それは、とある誤認を含んでいるということ。


(そう。このときに気付けていれば、思い出せていれば、未だ、間に合ったかも知れない。けれど、もう、終わったこと。決したこと。彼は、王に()()()()()()()()()()()()()())


 言葉も、規律も、意味を為さない。儀式の定めすら、その例外ではなくて。だから、その決闘の結果も、決して事実そのままの形ではいられない。


(それは、彼以外の者全て。そこから、私と義父様を抜いて、そんな全ての総意。でも、そうなったことも、結局、彼の所為。そう。座曳。貴方の所為、なの。……何度も思い返して、漸く薄っすら見えてきたのだから。貴方は今も昔も私が覗き見ているよりもずっと果て無いということが。貴方は何処まで、先を見ていた、のかしら?)


 そんな極まった場では、心が、感情が、空気が、雰囲気が、全てを決してしまうのだ、ということを。


(そう思うと、貴方は、私には……重過ぎて、支えきれなんてできやしないのだと、……)

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