---054/XXX--- 視界と意識の外
「俺はどっちかっていうと、あっちの部屋の方が怪しいって思うけど。それに、こっちの部屋だともしあるにしても、見つけられる感じせえへんわ……。確かにさ、あっちの部屋に俺ら踏み入ったとき、足跡なんてなかったし、地面までホコリすんごい被ってたけどさ。う~ん」
と少年も自身の意見を述べる。要するに、もう一押し、この一見何も無さそうな部屋を調べる根拠が欲しいということ。そして、それ自体が、リールの思考を刺激した。
カチリ、と埋まる、必要なピース。
「あっ……、あぁぁああああああああっ! そうだ、そうだわ! ねぇ、ポンちゃん。あっちの部屋はホコリ塗れなのに、どうしてこっちはそうじゃないの?」
そう言いながら少年の顔を見るリール。
少年は、ごくり、と大きく生唾を飲み込んで、みるみる顔を崩していく。そして、
「っ、あぁあああああああ! ほんまやぁああああああ! 絶対、こっちやわ! こっちの部屋のどっかに、出口がある! それも、多分、普段開いた感じで。で、今は俺らの見えない形に隠されてるってことやな!」
驚きと笑顔を同時に浮かべながら、そうリールに向かい合ってそう言って、
「ほんでもう一個。多分、あそこに転がってるあいつらは、そこを通ってきたんやとしたら?」
魚人共の遺骸を指差しながらそう言った。
「ああっ、におい、ね!」
ここに来たときは傍にシュトーレンがいた訳で、血などの生臭い臭いに少年もリールもすっかり鼻をやられていた。
魚人共はその見掛け通り魚臭い生臭さをその身にまとっており、なら、その足跡は確実に臭いを残している筈だと少年たちは判断したのだ。
それも、一匹だけでなく、数匹単位で、同じ軌跡を描いて動いて、あのエレベーター前に立ち、気配を消して待ち構えていた、のだとしたら?
そうして、地面に臥せて、クンクン、スンスン、と、その臭いを辿ろうとしたのだが……、
「あかん……既に、消えてる」
「水滴の跡も何もないし、無理ね、これ……」
早々に二人は諦める羽目になった。
魚人たちが対策していたのか、それとも、ずっと早くからここにスタンバイしていたのか。何れにせよ、手掛かりは早々と消えた。
「何だか、疲れたわ、俺……」
「私も……」
二人とも、部屋の中央で、仰向けに寝転がった。
早くシュトーレンを探さないといけない。それは二人共確かに分かっている。分かってはいるのだ。だが、手掛かりもない中、行きあたりばったり、総当たり的に労力を費やして、疲れ果ててまでシュトーレンを見つけても、まるで意味はない。
だからこそ、二人の声は、そんな感じで憂いを含んでいた。思考を巡らせ、答えに辿りつかなければ、後に続かない。ここで起こった様々なことからいって、何かが雑になれば、そんな手抜きの代償は何処かで払うことになる。
だからこそ、二人は、そう、冷静にあるように努めていた。
「なぁ、リールお姉ちゃん。何、やっとおんやろな、俺ら……」
「そうね……」
「ちょっと、寝る? 俺起きとくから、何かあるか、一時間位経ったかなって頃に起こすね」
「ふぅああ、悪いけど、それでお願い。ポンちゃん、あんまり気張り過ぎないようにね。保たないわよ……」
最後、リールが言った言葉は、少年だけにでなく、自身に向けた言葉でもあるかのようだった。
スゥゥ、スゥゥ――
すぐさま聞こえてくるいびき。何処ででも、そうしたいと思ったときにすぐ自身をそうできる。それは、あらゆる場に事態に適応することが大切なモンスターフィッシャーにとって、必須の資質だ。そういう風に、感情と理の手綱を取り、自身くらいは自在に扱えなくては、年単位での生存は叶わない。
特にことさら、この、眠る、というのは重要な技能だ。どれだけ資質が能力が高くとも、それを常に発揮できなければ意味はない。いかなるときでも、休むべきときに休めなくてはならない。そうでないと、保たないのだ。身が。心が。
「流石やな。さて、俺もちょっと体休めとくかぁ。眠っちゃわん程度に。でもその前に、と」
立ち上がった少年は暗室へと向かい、
バサッ。
手近な紙片の山を、そろりそろりと運び、
そろり、そろり、そろり、トッ。
リールのいる部屋中央部辺りに並べるように重ね、静かに置く。
またすぐ離れて、運んで、それを繰り返して――自身がしゃがんだ時位の高さの書類の山を両手の指の数越える程度に運び終えた後、
パラッ、トスッ。パラッ、トスッ。パラッ――
そしてそれらを低く分けて、外に広げるように、弧を描くように広げていく。
「これでよしっ、と」
リールと、その隣の自分用のスペースとなる半径2メートル程を開け、その回りに、数メートルに渡り、紙片が広がるように敷き詰め終わらせていた。
誰かが、何かが、その範囲に入って歩くなら、すぐさま分かる、気付く。そういう、ちょっとした、気休め程度の防衛策。
そして、少年は一応、リールを起こすことになっていないかを間近で確認して、一安心し、その場に天井を仰ぐように寝転がった。
リールの顔をずっと見ておくのが安心できるが、そうやってじっと見られていたら、起こしてしまうことになるかも知れないとそうしなかった辺り、少年は相変わらず、何処までも少年らしかった。
(はぁ。俺がもっと、色々できたらなぁ)
これまでの不甲斐なさを思い出しつつ、思った以上にまだ心の傷が安らいでいない、それどころか、深く深く傷ついていることを自覚した少年は、
「はぁ……。うぅ……」
しっく、しっくしっく、ずるる、
鼻をすすり、つい涙ぐんでしまった目を擦る。そして、目を開けて、入ってくる、眩い光。降りてくる光の中に、チリがホコリが舞うのが見える。
(紙といっしょに持ってきてもうたか。ホコリ。はぁ……)
そして、
(……。…………。ん?)
少年はとうとう、それを見た。
光の中を、舞い降りてくるホコリ。それが、確かにその瞬間、僅かだが、フッ、と上方向に螺旋状に浮かび上がったのだ。ほんの緩くだが、間違い無く。
(んん? っ、あっ、そうや!)
そう。それが答え。ここはエレベーターという経路を除いての密室、などでは決してなかった。最初から今まで、ずっと。
真実は、二人の頭上で、ずっとその口を隠しもせず大きく開けていたままだったのだから。




