---048/XXX--- 滲み立つ決起の旗
「さて、分かっているとは思うが、」
一見、怪我の影響などなくなったかのようなシュトーレンがそう口を開き始める。ものの見事に、傷は残っていない。血潮も、洗い流して、傷口は縫合と生体用の糊で。そして痕跡は、リールの義手義足にも使われた【肉スプレー】で。
「ここに魚人たちが戦力を禄に配置していなかったということは、この先に密集して配置されているということだ。だから、やることは一つだ。駆け抜ける。唯、それだけだ。私が先頭を征く。何、心配はない。その為の処理も済ませておいた。やろうと思えば君らの全速よりも疾いと保証しよう」
あまりにも自信たっぷりなシュトーレン。だが、傷口を自ら抉りながら、その苦痛に声は上げずともシュトーレンは確かに苦しみもがいたことを、少年もリールも、知っている。その後シュトーレンが休んだのは一時間程度でしかない。そんな短時間に消耗した体力が回復する筈もないのだ。
だから少年がそんな風に、
「本当に、大丈夫なんか?」
心配そうに尋ねるが、シュトーレンはそれを見て、
「嘗めるなよ。私にも意地があるのだ」
そう答える。半ば少年たちの疑問の答えにもなっている。全快などしていない。だが、意地で何とかできる範囲。だから、何があっても遣り遂げてみせる、と。
なら、止めるべきだ、と少年が言葉を紡ごうとすると、
「……。十分に休ん…―」
「分かったわシュトーレン。それで、貴方が先導してくれるのかしら? 私たちではこれから向かう最上層までの道どころか構造すら分かっていないんだから。結局貴方教えてくれないし」
リールが無理やりそう遮る。
でも、と言いそうな少年に、俯き気味に目を瞑って首を横に振る。駄目よ、と。リールは少年にその理由を微塵も示さない。酷く不安と不満を浮かべる少年を、らしくなく、リールは無視した。
リールには分かっていた。しかし、少年にはとても言えなかった。
シュトーレンは、死ぬ気なのだ、と。
(言えないの……。ごめん、なさい……)
その心の中の謝罪の言葉はどちらに向けてなのか。リール以外知るよしもない。
「と、いうことだ。知る方が危険なこともある。それに、言っても理解できないだろうことが余りに多過ぎる。ここは失われた技術、それもその中でも禁忌と言われる類の封じられた匣だ。そして、その想定通り、人々に忘れ去られた廃墟でもある。ここにあるもののほぼ全てが、君たちには、技術の延長戦上というより、魔法か超自然の理不尽の類に見えるだろう。だからこそ、足りない」
そこから、シュトーレンの声はどんどん、大きく、力強くなっていく。
「一つ説明するだけでも、一夜では足りはしない。きりがない。そして、君たちの先に、ここの知識は、無用だ。寧ろ、害悪ですらある。だから、何も知らない方がいい。ここでは、道を選ぶことですら、業を背負うことに繋がりかねない。どうしようもないなら、それでも背負いに背負って進まねばならないが、今は私という、既に背負っている者がいる。ならば、私に背負わすのが筋だろう? それに、私であれば、ここの技術を価値あるものとして振るうことができる、っと、つい熱くなってしまった」
咳払いするシュトーレン。それは血混じりの咳ではない、純然に唯単に咳払いでしかない。
少年はぶれているかのように感じるシュトーレンの言葉に惑っている。リールはそこに通っている筋を悲しくも理解している。それが、覚悟の表明なのだと理解している。
「何れにせよ、君たちには想像もつかない、未知の危険が先には溢れている、ということだ。脅威は魚人たちではない。寧ろ、魚人たちはそれらの危険の添え物でしかない。が、それでも知りたいというならば、知ることを選ぶというならば、止めはしない。寧ろ、禁忌の入口へと君たちを招待しよう」
「……」
リールは何も言わない。表情すら偽って、微笑を浮かべている。シュトーレンはその事実からわざと目を逸らす。
「できる限り教えてくれ。もう、知らんってだけで、こんな取り返しのつかへんことになるのは、御免なんや! その為にできることは何であっても積み重ねるんや!」
声を振るわせて、感傷的に、しかし、何処までも前を見る少年のそんな言葉に、
「君はいつだってハリキリボーイだな、ポン君」
「"はりきりぼーい"? 何やそれ?」
「いつだって、やる気に満ち溢れていて明るくて前向きだっていうことだよ。旧い褒め言葉さ」
シュトーレンは繕い、褒める。少年は終始そのことに気付きすらしない。
「終わりは近い。私が回復したということは、もう時間の制限はないに等しい。終わりは、決まっている。我が祖先。そこが終着点であり、目的そのものでもある」
シュトーレンと少年の会話になって、リールはそこに寄らず、黙っているだけ。シュトーレンはわざと触れず、少年は気が回らず。厳密には、そうシュトーレンに誘導されている。
「確かに。あのおじいさん、人間の体求めるってことは、当然別に脱出の手段用意してるやろうな。そうじゃないと、魚人っていう、人間のスペック越えてて、この海の底から出るのに適したもの持ってて人間の体求めるってのが今一つ分からへんしなぁ。いや、でも、それだけでもないんやろうか?」
「違うとも。この場所そのものに魂を入れられたとき、私は見た。この場所から生身で身一つで出るに能わぬ人の身でなければ、ここからは出られぬのだ」
(正確には、人の因子と人の証。純然たる人でなくてはならない訳ではない、という何故か隙のある条件。やはり、ここが残されていたのはそういう理由だろう。封じた、魔に身をおとす異形の医術。それでも、不可逆の欠失を埋めることができる術。……これもある種の禁断の果実、か)
ごくり。
少年は唾を飲み込む。
(そんなに気負う話だっただろうか? これは?)
シュトーレンは不思議に思いつつも、すぐに答えは分かった。
「それじゃ、脱出方法が、片道ぽっきりで、一人だけって場合は、あるんか?」
少年がそう言ったから。真剣な面持ちで。重く、響く、その言葉。それを聞いて、シュトーレンは高笑いする。
「ふふ、はは、ふはははは、そうだな、君にも、覚悟というものがあるのだったな。君はそういう奴だ。短い付き合いだったが、それがよく分かったよ。ここにいる私たち三人はそれぞれ覚悟している。だろう? リール」
そうやってとうとう、シュトーレンはリールに触れた。
「ええ。そうね、そうよね。こんなところで私たちの誰か一人でも死ぬだなんて間違っているわ。そうよね、ポンちゃん」
それは、意趣返しか、それともはたまた、言質か。
「せやなっ! 全員で、生きて、上へ帰るんや!」
(絶対に、上手くやってみせる。絶対に、しくじって、たまるかぁあああ!)
少年がそう叫び、手を出す。促す。二人に。重ねて、と。
「こういうのも、偶にはいいものだな」
(命の捨てようも、あるというものだな)
シュトーレンがそれに合わせて手を重ねた。
「ほら、リールお姉ちゃんも」
「ええ!」
(悩んでいても仕方ないわ。やるの。やれることを、最後のそのときまで)
やはり誰にも分かりはしない。未だ何も終わってはいない。結末は終わりのそのときまで、決まってはいないのだから。




