第二十一話 西廻航路
天気は快晴。太陽もこの船を出迎えているようだった。ナマズの腹の中と外とで、太陽の、昼の周期は同じ。だから、船員たちは時差ぼけせずに船を進めていけるのだった。
船は西へと進む。目的地は、西日本屈指の大都市、阿蘇山島。釣人旅団の拠点でもある。
現在の地点は、少年の済んでいた島の南西。そこを西側に進んでいる。西へ行く航路。海流に身を任せ、ただ進んでいく。その航路は西廻航路と呼ばれていた。
『あれ、この船って名前なんやったっけ? そういや聞いてなかったわ。船の旗のことや、この団体の呼び名は前から知っとったけどなあ。』
船の前面の甲板。その先頭で少年はただ広がる海を見ながら、そんな疑問を頭に浮かべる。
「おい、ボウズ。どうした? なんか考えごとかあ。」
船長が少年に急に声を掛けた。後ろから手を回してきて少年と肩を強引に組んでくる。
「おっさん、相変わらずうっぜえなあ。おらんかったら寂しいけど、元気だとうざいわ。」
『なあ、おっさん。聞きたいことあるんやけど。』
「うわっ、お前辛辣だな、いきなり。」
少年は思っていることと口に出すことが反対になってしまっていた。すっかり気が緩んでいたからだ。
「おっと、ごめんな、おっさん。本音出てもたわあ。」
笑う少年。それに乗って笑う船長。あっさり許されたのだった。
「なあ、船長、この船の名前俺まだ聞いてない感じするんやけど。何なん?」
船長は顎を出して、反るように笑い、
「わははは。まだ言ってなかったなそういや。それはなあ。」
なぜかちょっともったいぶった。
少年の周りを動き回り、様々な角度から少年の顔を覗きこむ船長。視少年は煩わしさを感じた。
「で?」
催促する。反応は返さない。
『早く言え。』
笑顔だが眉間に皺を寄せる少年。
「はぁっ。だからガキは……。瑠璃色夢想者号だよ。どうだ、かっこいいだろう!」
少しやれやれ顔をした後、船長は物凄く誇らしげな顔で少年に迫る。自身たっぷりに。しかし、やけに前半部に力が入っていたことが少年には引っかかった。その部分を言うときだけ、少し雰囲気が違っていたように感じたのだ。
『かっこいい響きとでも思っているんだやろ。きっと。』
「おっさん、確かにかっこいいけどさあ、どんな意味なん、それ。何でそういう名前にしたんや?」
少年は呆れつつも、疑問を口にする。
『おそらく何かあるな。ただかっこいいだけの名前ではないやろう。』
だから少年は問いを投げかけたのだ。
「日本語ではなあ、瑠璃色の夢想者号、だ。」
船長は嬉々として語る。しかし、やはり瑠璃色という言葉に、強い執着、思いのようなものが込められていると再び少年は感じたのだ。
「瑠璃色の、瑠璃。これは宝石のことだ。ラピスラズリといわれる、深く明るい青と、エメラルドグリーンの線、散りばめられた黄金の点。俺の元パートナーと、広がる無限の海。そして、輝く俺たちが黄金。魂の輝きだな、これは。」
船長の瞳の奥に影が差したのを、少年はしっかりと捉えた。
「夢想者は、当然、夢追い人のことだ。俺たちはこの時代、多くの人が食べていくのがやっとで、娯楽は存在しない。ただ一つ、釣りを除いてな。」
「とはいっても、釣りは危険だ。モンスターフィッシュが海にはうようよ。そんな中、俺たちはわざわざ船を出してそいつらを追いかけ回している。釣り人の中でも、変人の中の変人よ。ずっとそれをただひたすら追い続けるなんて夢物語さ。無茶さ。でも俺たちは走り続ける。それも、希望を抱いてな。だからこその、夢想者なのさ。」
『なんでおっさんは、瑠璃色号っていう名前にせんかったんかなあ?』
「おい、ボウズ。この機会にお前に言っておかないといけないことがある。しっかり聞けよ。」
船長の顔からは笑顔は消えた。悲しそうな顔である。
「お前さあ、これから何が起こっても釣りを続けて、モンスターフィッシャーであり続けられるか? たとえ目の前で誰かが死んだとしても。それ位の覚悟を持たないと、お前はどこかでへし折れるか、へし曲がって全くの別人になってしまうぜ。」
少年自身も自覚していることだった。腹の中の島での出来事。そこから、寂しがりな自分を発見してしまったのだから。それが身を滅ぼすかもしれないということを、身を持って経験してしまったのだから。
「だから、考え続け、答えを出せ。お前にとって、釣りというものがどれだけ人生で優先度が高いものなのかをな。おそらくまだ、時間はある。とはいっても、リミットはいつ来るかわからねえ。」
「すまん、回りくどかったな。要するにな、どっかで覚悟決めろって言ってるんだよ。目の前で起こる事態に動揺するな。何があっても冷静でいられる意思を持て。さもないと、お前も仲間を見捨てることになるぞ。」
そのまま立ち去る船長。俺のようになるなとその背中は語る。きっとそれは船長の死んだパートナーのこと。
『聞いた感じではただの事故。でも、おっさんは見殺しにしてしまったと思っているようやったな。どれだけ後悔しても過去は変わらん。取り返しのつかない失敗。おっさんはそれを背負って生きているんやな。』
少年は船長の言葉を胸に仕舞い、ただ考える。周囲はすっかり夕焼け色に染まっていた。
「皆さん、到着しましたよ! 目的地、阿蘇山島です。本拠地ですよ、本拠地。久々の。」
スピーカーで増幅された座曳の声。はしゃいでる姿が容易に想像できる。少年の目の前には、なにか大きな山が見えてきた。その無機質灰色な山の周囲に、緑と灰色の町。
これが少年が見る初めての巨大都市となった。何と出会えるのか、少年は胸を期待に膨らませ、その島を見つめていた。




