---039/XXX--- 先見の深度
「何もなかったね……」
「リールお姉ちゃん。通路よりも怪しいのは各部屋だって。だからそんな凹む必要ないって!」
二人は、管制室に戻ってきていた。シュトーレンと違い、二人は、そこにある装置の動かし方なんてまるで分からない。そもそも、シュトーレンに、『むやみやたらに触れないように』と言われていた。そして、それら装置が、恐ろしく強力なものであることは、二人は、現に目にしている。だから、触れようとも思わなかった。
だが、だからこそ、この場所の地図は表示できない訳で。だから、少年は、自身の持つ【モンスターフィッシュ大典】の余白部分にこの場所の地図の記入をリールと共に協力して行った。
二人共、記憶力も方向感覚も空間認識能力も高かったので、あっという間に、多層構造な地図ができ上がった。
「恐らくやけどさ、何か、ここみたいに、大きい装置が置いてあるとこが怪しいと俺は思うんやけど、リールお姉ちゃんはどう思う?」
「私もそれでいいと思うわ。本当は総当たりで、全部屋見ていくべきなんでしょうけど、ここ、色々と仕掛けあり過ぎるし、立ち入ってない場所に踏み入れるのは一段と危険な気がするのよね……」
「じゃ、今まで行った場所を回っていく、ってことで。それでも駄目やったら、一度ここ戻ってきて、どうするか考えよっか。危険に足踏み入れてもええし、敢えて、建物の中じゃなくて外探しに行くってのもありやと思うし。あとそれとさ、リールお姉ちゃん。俺らの最終目標は、こっから脱出することやってこと。それだけは忘れんといてな」
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そして数時間後。
管制室に戻ってきていた二人。壁にもたれかからせているシュトーレンの抜け殻。つまり、
「何もなかったね……」
何も見つからなかった。そういうこと。だが、少年は一つ、
「ねぇ、リールお姉ちゃん……。俺一つ気付いたんやけど……、いい?」
少年がそう言いにくそうにリールに何か話し出そうとする。それはきっと、不味いこと。だからこそ、それは、リールに、不味い現実突きつけていいか、という意思確認そのもの。
「お願い」
「あのおじいさんか、それに類する存在、間違い無く、おるで、未だ……。だって、魚人たち、余りに、訓練され過ぎてへんか?」
「……」
リールはそれを聞いて無言になる。何やら考え込み始めたが、顔面蒼白になったり、涙目になって狼狽えたりしている訳ではない。
「……」
少年はリールの出す結果を唯、黙って待つ。
(いらんこと、言ってもたかなぁ……)
不安を感じつつ。
そして、リールが口にしたのは、
「ねぇ、ポンちゃん。少し、休みましょう。もたないわ、これじゃあ」
意外な答え。
(意外に冷静やな、リールお姉ちゃん。それに、確かに、)
「ん~、ふぅ。確かにそうやな」
(俺自身も意外と疲れてるっぽいんだよなぁ。これくらいなら大丈夫と思ってたけど、やっぱ、意識集中させ過ぎ…―)
グラッ、
(っ、つぅ……)
ガシッ。
支えたのはリール。実は倒れる寸前だったのは少年。リールは少年を後ろから支えるように首後ろとお腹の前辺りに回していた。
「……。ありがと」
無言で振り向いた少年はそうやって、強がりなんかせず、結局素直にお礼を言った。だが、その顔は何やら思い詰めているような風で、
「いいのよ」
ギュッ。
リールはまるでそうするのが当然とでもいうように、自然と少年をぎゅっと背後から抱きよせ、少し背を丸め、包むように。
(あぁ、何だか、とっても、)
「おやすみ、ポンちゃん」
(心地いい…―)
少年はそのまま目を瞑り、眠りについた。
それが夢であることは直ぐに分かった。
眠り横たわる自身。自身の意識はそこから出て、まるで視界だけがゆっくり浮かび上がってゆくかのよう。残った自身の体は、膝を差し出したリールに預けて。自身もリールも体の一切の動きを止めている。まるで、絵の一場面のような。そこは全体的に黒い空間。リールの体を中心として、暖かな薄紅色の光が周囲数メートルを淵のぼやけた円形に照らしている。そして、白い光。
これは、先に進むにつれて広がる光の線のような、それが自身の視界と同期していることに気付くのにそう時間は掛からなかった。
そして、自分の視界の、存在の外側。この場。遠く、何かに覆い、囲われているかのような気配を感じる。それは、この場所と海を隔てる境界。
だが、壁なら、この建物にもある。
ブゥオゥゥウウウ!
白と赤の光が消え、闇が、晴れる。
そこは、確かに少年が寝る寸前からいた管制室。そして、そこに今見えている光景は――
(白昼夢?)
少年は疲れで寝落ちた筈の自身の意識がこうやってしっかりあることが、何であるかはっきり分からなかった。
(何がどうなってるんや……? 下で確かに、俺が寝てる。リールお姉ちゃんの膝を枕にして。リールお姉ちゃんは俺を撫でている。ん、何か言ってる? 何、や?)
リールの口元。息づかいの熱と匂いと湿気まで感じてしまいそうな距離。暖かく柔らかで湿ったそれが、音を発する。
「ちょっと眠った方がいいわよ。ポンちゃん。」
あっさり、視界は都合よく移動する。音も何処までも都合よくはっきり聞き取れる。それは、夢というにはあまりに現実染みた光景でありつつも、非現実な体験でもあって。
(すごい夢っぽいのに、妙に現実染みてる。これもしかして、使える? ……。ん? これは……?)
妙に感じていた、見られている感覚。それは、この場所に来てからずっとあった。そして、あのおじいさんがシュトーレンから体を奪って少年たちの目の前に現れた頃から弱まって、少年たちの感知力の鈍りは収まり、そこから少年は、今、こうやって、やけに鋭くなって、とうとう気付く。
(もしかして、シュトーレンさん、この場所そのものに、存在を、入れられたんちゃう、か?)
この場所、海との境目の内側を漠然と覆うもの。それがシュトーレンの気配そのものであると少年は感づき始めていた。




