---031/XXX--- 形作られる空気の形、それは脅威、だから二人は覚悟する
「……リールお姉ちゃん、知ってるんか?」
「……ええ。えっとね、バ…―」
「いや、そこは儂に聞けよ……」
呆れ気味に割り込むようにそう突っ込まれた二人。
「ごめん、でも待ってくれへん?」
「ごめんなさい、でも待ってくれませんか?」
リールの老人に言葉遣いが変わっていた。
「お嬢さんに免じて赦してやろうかのぉ、フォッ、フォッフォッフォッフォッ、――」
そう言って顔だけの老人は微笑み続けながら、その場から離れていくかのように浮上し始め、すうっと消えた。
「……」
「……」
二人は同じように沈黙しつつも、その表情は大きく違っていた。
「ねぇ、リールお姉ちゃん」
老人が一見いなくなって、先に口を開いたのは少年。その口調は、
「俺ら、逃げ時、誤ったね……」
不安を反映するように、弱々かった。少年の方を向いたリールは表情を変えた。
まるで青褪めたような顔色の悪さと、こめかみを流れた一筋の汗と、少しこわばった目と、その奥に見え隠れする恐怖。声と同様に、少年の表情はそんな有り様だったから。
「ポン、ちゃん……? ……、どうしたの、急に」
、少年のその言葉に、反応して、一瞬下を向いて考え込んで、すぐさま顔を上げて、敢えてそんな風にほんのりと尋ねる。正念が直前に口にした言葉の意味について。
それに、今しがた少年が発した言葉は、老人が聞いていたら悪感情を抱かせるに違いない類である。だというのに、ここにきて口にしたということは、何やら意味があると、リールは考えてみたのだ。その上で、少年のその言葉の意味が原因が、結局分からなかったからこそ、このような反応になった。そして、
「まさか、気付いてないんか……。あのおじいさんの声、どんどん鮮明に、人の声っぽくなっていってるって……。まるでモンスターフィッシュと対峙しているときと同じような気配、どんどんして来えへんかった……?」
少年は、事態が動き出していた証拠を、そういう口にした。
「……」
リールも沈黙して、思い詰めた顔になる。
「どうやら、俺だけに、やってた、みたい……。リールお姉ちゃんが気付かんなんて、あり得んし」
「ポンちゃん、どうしよう……」
「逃げられんくなったてのは、あのおじいさんがヤバいっていうだけじゃなくて、シュトーレンさんのこともあるって、分かってるよね」
「……」
「確定かぁ……。リールお姉ちゃん、あれ、人間じゃない」
それから二人がどうしたかというと、やったことは情報のすり合わせ。
「バウムクーヘン・マークス・モラー。それは、マークス家の初代当主の名前。今では知る人もいなくなった、私やポンちゃんが生まれるよりも昔に亡くなった人だった筈なんだけど……」
「それって、氷河全融解より前?」
「確か後。その数年後って辺りだったと思う。ごめんなさい……。はっきりと私も覚えてないの。シュトーレンから一度聞かされただけだったから……」
「リールお姉ちゃんでもそのくらいしか知らんってことは、まず、ほぼ誰も知らないってことやんな? じゃ、そんな名前をここで出してきたの、やっぱり……」
「ええ。絶対、偶然なんかじゃないわ。あんな名前を出してくる時点でねぇ……」
「後さ、シュトーレン、俺らに何か隠してたって考えるべきやと思う。あのおじいさんと関係があるというんやったら。ここを、シュトーレンが知らんかった、ってことは嘘で間違いないと思う。だけど、シュトーレンが俺らをここに連れてくることになったのは、偶然の事故やと思う」
「私もそれは同じ。でも、あのおじいさん、シュトーレンに見せて貰った、初代の似顔絵と顔が違うのよ」
「……」
少年は沈黙し、
「……」
だから、リールも沈黙してしまう他なかった。そうやって、暫く沈黙が続いて、
「なぁ、リールお姉ちゃん」
また先に口を開いたのも少年。老人はまだ再び姿を見せてはいない。この場をずっと何処かから見ているか、本当に消えているのか定かではない。
「なに? ポンちゃん」
そして、少年は、
「もう、ぶっ込んでええ? 化けの皮一枚めくってみな、あのおじいさんの正体はどう足掻いても分からんで、これ」
まるで追い詰められるように、覚悟を決めていた。まるで生き急いでいるかのよう。それ位に、追い詰められている、と少年は考えている、ということだ。
だが、そうやって、リールに同意を取ろうとするのだから、未だ、僅かばかりの猶予はある。刃物を振り翳そうと懐のそれに手を掛け、それを出す直前程度には。
「分かったわ。ポンちゃんに、私、合わせるから。そうする以外、本当にどうしようもないと思ったら、お願い」
そうやって、リールも覚悟を決めて、そうして、
「……」
「……」
二人は言葉なく、見つめ合う。もう、その顔から恐怖は消えていた。覚悟を決める、というのはそういうことだ。
「もう、よいかのぅ?」
突如、背後離れたところから聞こえてきた、そのあり得ない聞き覚えある声が、二人の背後から聞こえてきて、二人はすぐさま同時に、ザッ、と振り返る。
二人は、震えない、驚愕しない、狼狽しない、怒り狂わない、殺意を乗せない、暴走しない、泣き叫ばない。
声の聞こえてきた方向、未だ何の姿も見えない、この部屋への通路の一つを、二人は目に力を込めて、これまでとは違って、明らかな臨戦態勢で、冷たく睨み付けるように、見る。
その声は、シュトーレン・マークス・モラーそのものの声でありつつ、その口調は全くもって別の存在のものだったから。




