第百四十九話 見落とす異変
「同時出現か、一体ずつかは分かりません。雑魚は同時にそれなりの数出現するでしょうが。それらを屠った上で、船に縛り付けます。そうすれば、この船は、目的地へと誘われます。そこは、どうあっても変わらない筈です。この儀式は、僕の知るものとは少しばかり形を変えている可能性があります。そして、そのことについて彼女は話すことができない縛りがあるようです」
そこまで言って座曳は反応を見る。
(杞憂、でしたか。ありがとうございました。いや、お礼は、この儀式を無事終えた後、ですね。自分で言っておいて先走ってしまうとは)
結・紫晶が彼を見つめる。一見普段通りの無表情。だが、久々とはいえ長年その表情を見慣れた座曳には、その目は憂いを帯びているように見えた。
「前もって色々説明しておくべきだったのでしょうが、こういう形になって申し訳ありません。独断に走り、あまつさえ、責任を放棄するかのように死に行こうとして、申し訳ありません。ですが、僕は、もう、揺らぎません! 綿密に計画を立てる時間はありません。中途半端な情報は混乱しか生まないのですから。ですが、これまで以上に慎重を期します」
随分と矛盾した物言い。感情先行の、青い演説。だが、それでも問題ないのだ。彼が無理をおしていることを、彼らは知っている。彼が絶対にしなさそうな行動に出る程に、彼の隣の彼女が重要だったのだと分かっている。この船に乗っている者なら誰しもが持っている、命に代えても成し遂げなければならないもの。座曳のそれが、この今であった、ということを受け入れているから。
彼らは、今ここにいない船長、島・海人に心酔はしている。だが、それは、何もかもに優先するものでは決してないのだ。彼らの最優先目標は、この船に乗って、この団の一員であり続けることでしか到達できなさそうな、命に代えても成し遂げたいもの、なのだから。
だから、彼らは、何があろうが、崩れはしない。たとえ、誰が最後の一人になったとしても、その最後の一人ですら、前のめりに死んでいく。
座曳のこのときの予想は当たっていた。結・紫晶は、儀式の内容に何か自身の知らない変更が加わっていることに気付いていた。しかし、それが何であるかに全く予想がついていなかったのだ。更に、それに根拠はない。座曳が立ち去る前の儀式内容から元から加わっていた変更は、彼女は全て知っていた。だが、到底それだけでは説明がつかない現象が、あった。
それは、霧。余りに止むのが早過ぎる。濃度が、設定されていたものに比べ、最初の辺り濃過ぎた。モンスターフィッシュとしては雑魚クラスの大群の量が1割程度多かった。それらのクラスでは本来あり得ないはずの、不意打ちという知性の鱗片がそれらに見られた。
等々。色々ある。色々。
そして、彼女がそれを彼に言えなかったのは、一応起こる出来事の流れが儀式の流れの範疇に沿っていたこととが大きい。そして何より、それらの理由は心当たり、予想、もしそうだとした場合の未来の予測が、全くできなかったのだ。
彼女特有の、異様な勘が働かなかったから。
(言いたいけど、言えない……。座曳を惑わすだけだもの……。それに、何だか、とっても、眠くて、身体が、重いの……。私の予想の外を行く何かが、起こり始めているような気がして、ならない……。だから、……言えない。座曳は、ここで失敗したら駄目だから。脆いんだもの。ほんと、バカ……。何処までいっても、善人なんだから。たとえ、半ば狂っていたとしても、それでも、善人でいちゃうんだから……。ほんと、バカ……。でも、だからこそ、)
クシュッ。
彼女は自身の右頭部上辺りの髪をまさぐり、それに手を触れた。
(足手まといになる位なら、お別れを早めないと。座曳とずっと一緒にはいられない。それが私の運命。けど、それでも、座曳の道になれるなら、私はそれで、構わない)
安易で無代償な救いの手段など、ありはしない。それでも、救うかどうか選べるということは、どうしようもなく不幸なように見えて、それでいて、幸福で恵まれたものであるかも知れない。喩えそれが、苦渋の決断だったとしても。
彼女はそうして空を見上げた。
夕焼けの色合いが強くなり始めていた。もうすぐ真っ赤に染まる。
(もうすぐ、分かれ道、ね。座曳)
彼を見ずにそう心の中で呟いたのは、彼女なりの意地。それは卑怯だと、ずるいと思ったから。
(! 、今のは……?)
一瞬視界が、緑色に苔生して見えた。
ゴシッ。
視界の確認と共に、擦った指先の確認。
(……。気のせいね)
すると、彼の顔が、彼女の視界に割り込んできた。柔らかく微笑んで、言葉もなく、伝えてくる。
『心配しなくてもいいんだ。大丈夫だよ。ちゃんと最後まで完璧に成し遂げてみせ、僕の手で最後まで君を助け出すところまでやるから』
そうして彼女は空を仰ぐのを止め、下を見る。用意された次なる敵の出現に警戒の目を向ける。彼と共に。そうして彼女は、それに手遅れになる前に気付く最後の機会を、見落とした。




