第百四十八話 俯瞰布陣
ガスリッ。
そうして、到達する。頂上へ。結・紫晶が自身の背を登って上へ降り立ったのを背で確認した後、座曳自身も頂上へと登った。
俯瞰すると、下はすっかり静まり返っている。船員たちは、臨戦体勢を崩すことなく、適度に肉体と精神を弛緩させている。モンスターフィッシュ由来の血濡れの床に図太く大の字に寝転がる者や、数人で集まって討伐数を競い合っていたり、モンスターフィッシュの死骸の中から有用なものを数人で協力し合ってばらしていたり、今回出現したモンスターフィッシュの傾向や特異な点を話し合っていたり、唯々モンスターフィッシュの死骸を観察していたり。
クーは激しく疲労しながらも、数人の船員たちと、どうやら自身の下した指示についての反省会をしているようだ。ポーは疲れ果てて、大の字になって眠っている。若い船員たちほど、疲れが甚大で、年を重ねた船員程、余力を残しているようだった。
恐らく数百単位、いや、千に届くかも知れない程の多種多様な、比較的小型のモンスターフィッシュの死骸が転がっている。風に乗って、生臭さがたち上ってきていた。霧は更に薄らいで、もう気のせいといっていい程度になっていた。霧が光だけでなく、匂いすら封じ込めていたのだ。腐敗臭すら混ざっているよう。
今更になって、手先が震え始めた座曳。自身の勝手が仲間たちに無駄な苦労を強いたことを、この半壊した常識人は半端な良心で今更、悔いる。
声にはしない。表情にも出さない。だが、抑えきれてはいない。
(想定していたよりも、ずっと熾烈ですね……。労力の量が普段と比べて多い訳ではなさそうですが、濃度がきつかったのでしょうか……。才あろうとも、未だ経験の足りない指示で動いたのなら、見えていた結果ですね。……。そして、僕はここから更に酷くなる戦場での指揮を、クーさんに、ナビゲートを結に、押し付けようと、していたのですね……)
彼は恐怖に震えたのではない。その半端な良心故に、半歩ずれて、見当違いに、自身が理不尽を課すことになるかも知れなかったことを悔いるのだ。
(そして、だからこそ、僕は……。今、こうやって想定外に立っている僕は、押し付けた荷を手元に引き戻して、こう、立っているんです。船長のように、僕は、やれるのでしょうか……。ここぞというとき程に完璧にやってみせたあの人のように……)
そして、そこに置いてある【ウェーブスピーカー】から、呼吸を置かずに声を飛ばす。彼は逃げることの恐ろしさを知っている。だからこそ、やろうとしたことからは逃げない。
「皆さん。お疲れさまです。特に、クーとポー。僕の想像以上にうまくやってくれましたね。これで終わりです、と言いたいところですが、未だです」
下の船員たちは、緩めていなかった気を、更に引き締めた。僅かに籠もった座曳の声の震えを感じ取ったから。尤も、そのすぐ直後に、結・紫晶が彼の手を握ったので、自然とその震えも止まる訳だが。恐怖の比較。過去の最大級の恐怖と、今の、それなりに大きくはあるが過去のそれには及ばない恐怖。そして、今は隣に彼女がいる、ということをこの上なく実感できたなら、彼が震える理由など、霧散する。
「何もかも、終わってはいません。未だ何も祝えません。何もお礼は言えません。それらは全て、生き延びて、成し遂げた後のことですから」
「ここからは大物との連戦となります。気付いているとは思いますが、雲と霧が完全に晴れ、辺り一帯に茜色の夕焼けが降り注げば、この戦いは、儀式は終わったも同然です。恐らく、大物がこの後に三体控えています」
そして、隣の結・紫晶に座曳は尋ねる。
「変わりありませんか? 貴方が知る範囲では、で構いません。勘のようなものでも構いません」
儀式の難易度が、予め設定されていたものから明らかに上がっていることに、座曳は感づいていた。そして、彼女が未だ何か、秘めているものがありそうだと予感していたから。
自分は死して、全て後は投げるつもりだったが故に、そこを問い質すつもりはなかった。だが、こうやって、船員たちに生かしてもらえ、こうやってここに今立っている訳であり、完璧にやり遂げる必要に迫られた今であれば、もうそれは無視できやしなかった。
だが……、
ガシッ。
「……。言えないわ」
彼女はそう言った。それでも彼は憤怒などしない。彼女がそう、【ウェイブスピーカー】越しに、他の船員たちにも聞こえるようにわざわざそう言ったからだ。
(答えられない。そういう枷がある。そして、変更点は大いにある、という訳ですか。他の船員たちも、恐らく同様に気付いてくれたでしょう。……ですが……、これは少しばかり、意味が違うようにも……。いや、ですが、もう時間がありませんし。どちらにせよ、追及はできません。進めることとしましょう)
船員たちが追及して来ないということは齟齬は無い。そう判断した座曳は、見切り発車を始める。完全なる策を用意することはできない。だが、完全なる場は整えておかねばならないから。突発的な指示に素早く対応して動いて貰えるような、疑心なき場を。




