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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第?部 第一章 静寂揺蕩う綺耽の廃墟
148/493

---008/XXX--- シュトーレンの心の天秤

自身の体よりも遥かに大きい通路を、シュトーレンは走り抜ける。


(頼む、大丈夫であってくれ。ポン君に、リール……。私のせいだ。私が二人を海中ティータイムに誘わなければ……。だが、悔やんでいる暇は無い。私には、巻き込んだ二人を救う義務がある、片方は命に関わる傷、片方は、永遠に引き摺る傷害。どうして、こんなことになってしまったんだ……)


 数々の数嬬う年前のオーハーツにこの世界の若い世代として最も触れる機会を持ち、その知識も専門家以上に豊富であるシュトーレンにとって、この島は、宝の山、夢の体現、理想郷なのだ。だが、シュトーレンはそんな喜びに浸ることはできなかった。


 今でも最も大切に思っている女性、そして、その女性が最も愛していて、自分がこの世で初めて負けをかんじさせられた男。その二人に多大な傷を負わせて、それと引き換えに得たともいえる、この奇跡の塊をシュトーレンはどうしても、喜べなかった。微塵も。


 なぜなら、釣り合わないのだから。シュトーレンの中の天秤では、決してそれは釣り合うものではない。シュトーレンにとって、それは彼自身にとって、非常に稀有な、自分の思い通りにならないもの。予想の外にあるもの。


 そんな、運命の、魂の出会いともいえる二人を失うことは何があっても許せない、そう思ったのだ。 





 途中、地表部第一層、つまり、管制室のある建造物密集部に存在する超低温冷凍特殊医薬品倉庫に立ち寄り、必要になりそうなものを持った上で、エレベーターに乗り込み、向かうのは、地下部第六層。シュトーレンはその部屋の扉を開けた。


 扉の前で、シュトーレンは一瞬立ち止まる。扉の開け方は当然、調べて把握してあるのだが、立ち止まったのだ。その答えはシュトーレンの足にあった。震えているのだ。


 どこまでも傲慢で、自身に満ち溢れて、ピエロで、折れない心を持ったこの男が。


 決して釣り合わない天秤に二人を自覚せず乗せてしまうことになったことに対して、罪悪感を、取り返しのつかないということへの恐怖、そして、最悪を、らしくもなく頭に浮かべてしまったから。


 だがそれでも。シュトーレンは数秒の後、再稼働した。元通りに。焦りに背中を押されるかのように。恐怖するには、後悔するにはまだ早いのだから。だから、焦りが背中を押した。ただそれだけ。






 限界までバンプアップしたボディービルダーのような悪魔の姿が描かれた、鉄の厚さ数センチの、重厚な扉。赤文字で扉の余白部に敷き詰めるように書かれた666。高さは4メートル程度、横幅は8メートル程度。一体何を運搬するのか扉には覗き穴が一つだけある。


 シュトーレンは息を整えることはしなかった。そもそも、息なんてあがっていなかったのだから。覗き穴から中を覗き込むと、どうやらリールが目を覚ましているらしいということを確認した。


(血は止まってはいるが、やはり、リールの片足は無くなっている……。ポン君も目を覚ます様子はなさそうだ。急がなくては)


 扉の施錠部から音が鳴る。何か重いものが動くような音が。シュトーレンは扉から離れる。


(上手くいったようだ。私の目の登録は無事に)


 網膜スキャンである。当然これも遺失技術。そして、この666号室。二枚扉なのだ。一見一枚扉にしか見えない二枚扉は、その中央を縦に二等分するかのように、赤い線が浮き上がる。溶接の光である。そして、一枚扉もどきは二枚扉になり、左右にそれぞれ自動で移動していき、開いていく。


 シュトーレンは救護器具を抱えながらわりかし大きな物音を立てながらその中へと入ったのだが、リールはそれに気づく様子はなく、少年は相変わらず意識を取り戻していない。


(不味い。先ほど映像で見たときより、ポン君の顔色は悪くなっている。最悪()()を使わなくてはならないかもしれない……)


 それは、シュトーレンがリールと少年を放ったらかしにして夢中になっていた、この研究所の禁忌の研究の一つである。


 それは、シュトーレンが現在取れる数多くの手段の中での、最後の手段だった。


(頼む、()()を使う事態だけはどうか勘弁してはくれまいか。もしこの世に存在するというのなら、祈ろう。神とやらに。私が最も忌避する行為。ただ祈るということ。今ばかりは信念を曲げてでも……)


 心の中で人生初の祈りを捧げつつ、シュトーレンは座り込んで、意識の戻らない少年を膝枕したリールの肩を叩いた。






 動揺しつつ、周囲を警戒するリール。まるでシュトーレンなど見えていないかのように。そして、少年を傍に寄せつつ、いきなりナイフを出して少し振り回して構え、周囲を警戒するように虚ろな目で周囲を見つめている。


 シュトーレンはリールの持つナイフを素手で掴む。その手からは血が滴り落ち、リールの腕へと伝う。それを感じたのか、リールはやっと、シュトーレンの存在を認識するのだった。


 目に光が戻ったことを確認したシュトーレンはリールに話しかける。優しく、しかし力強く、励ますかのように。 


「もう大丈夫な筈だ。遅くなって済まない。怪我などはないか? ここからではよく見えないものでな」


 そう言いながら、シュトーレンはリールの患部を確認する。魚人によって、強く布を縛ることによって止血されている。


 だが、その傷口は痛そうだ。きっと、リールは痛みに耐えているのだ、とシュトーレンはすぐに悟った。


 リールの顔から流れる汗の量が尋常ではない。少年が意識を取り戻さないことへの焦りからだけでは説明できない、滝のような量の汗。


 そして、患部のが緑に変色し、腫れあがっている。


(なんだ、この病状は……。分からない、分からない……。私は一体、どうすればいい……)


 シュトーレンは必死に焦りを隠す。そして、リールにこう尋ねた。


「ポン君は、意識、取り戻さないかい……。リール、どうなんだ? 一度は意識取り戻していないか、意識を失ってから」


 そう、力強く、真剣な面持ちで迫るかのように尋ねる。多少同様していても、それに答えてもらう必要があったからだ。


 なぜなら、少年を貫いた魚人は、特殊な毒持ちとして作られていたから。一度意識を失ってから、一度意識を取り戻し、再度意識を失って意識を失ったままになり、やがて死ぬというのが、その毒の効能だった。新種の毒であり、名前すらつけられていないありさまであった。


 だ幸い、それの解毒薬があったのだ。だが、その毒にかかっていない状態でこの解毒剤を使うと、また別の毒として作用し、死に至る。


 だが、リールは叫ぶ。大声で。正気を失い、膝をついて、狂ったように涙を流しつつ。


「ポンちゃんが、ぽんちゃんが、あああああああああああ!!!!」


 こうなるのは致し方ないが、なんとしても、答えが必要であった。シュトーレンには何としてもそれを聞いて対象する義務があった。


 だから、こうしたのだ。


 バーン


 グーで拳を思いっきり、リールの鳩尾に向かって振りかざしたのだ。あまりの威力に血反吐を吐きつつ、リールはなんとか狂うのをやめたが……少年が揺れて地面に頭をぶつけるようにリールの膝から落ちてしまった。


 ゴーン、ボキイイイイイイ


 無事な方の足を立て、すっと拳を構えて放たれたリールの反撃がシュトーレンの鼻を打ち抜き、砕いた。激しく鼻血を流しつつも、シュトーレンはリールに向かって、同じように尋ねた。


「ポン君は、意識、取り戻さないかい……。リール、どうなんだ? 一度は意識取り戻していないか、意識を失ってから」


 リールもそれには毒気を抜かれたらしく、怒りは霧散したらしく、


「一度も目を覚まさないの……。腎臓刺されてから……」


 と、ひ弱な声で答え、小さくすすり泣き始めた。

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