---006/XXX--- 油断の代償
リールは考えていた。この絶望的状況から抜け出す方法を。
(武器になるのは、このナイフだけ。ポンちゃんは動けない。逃げられないわね……。)
いい考えなんて浮かぶはずもなかった。状況を打開するために打てる手段があまりに乏しい。それに、少年という足枷もあるのだから、もうどうしようもなかった。
こうなることは、もう、どうしようも、なかった……。
ざっ
ドン
魚人たちのうちの一体がリールに飛びつく。とはいっても胴体にではない。腰付近にである。まるでラグビーのタックルでもするように、低姿勢での、確実に捕えるための、突進。
それは、リールが予想していた動きの範疇の外にあった。跳ねるように上から喰らいついてくるような動き、つまり、先ほど少年が貫かれた動きをリールは最も警戒していた、いや、それだけに意識を向け過ぎていたのかもしれない。
相手の観察を怠ってしまったのだから。この結果は致し方なかった。いくつものミスの累積によって訪れる、どこまでも尾を引く失態。それがリールに降りかかった。ただそれだけのことなのだ。
運命は残酷である。それは、リールの未来を壊す一撃でもあったのだから。
ぐぃぃぃぃぃ
ごっ、ブチィィィ、バキバキバキバキ、ブチィィィ
紅色の液体の噴出とともに、リールは右足膝から下を失った。
「きゃああああ、痛い痛い痛い痛い痛い、あ、足が、私の、脚が……」
大量の紅い血をまき散らしながら、リールは地面を這う。そして、自身の傍にいる倒れた少年に依存するように寄り添う。
痛みに少しでも耐えるために。もう、終わりが見えたのだから。せめて、最後は少年を見ながら、死にたい。そう思ったのだろう。
すっかりと、少年をなんとしてもここから助けるという志を忘れて……。まだ、完全には大人へなりきれていない少女であるリールは、さらにしくじった……のだ。
「あああああああああああ、駄目、ポンちゃんは、それだけは、」
魚人の一体が、リールの抱える、少年を奪う。引き剥がすように、少年の上着を咥え、引き摺り、去っていく。
当然言葉の通じるわけもないリールの懇願など、聞き届け分けられるわけもない。そして、リールも……。
すっ
どすっ
「う……、ぐほぉ、……」
魚人の一体がリールの胴体に向けて頭突きを放ったのだ。そして、リールは血の混ざった吐瀉物を吐く。
(苦……しい。意識が……、ああ、ポン……、ちゃ……ん、ご、め、……)
そして、様々な液体を垂れ流しながら、リールは目を開いたまま、意識を失った。
硝子の荒野を歩く人影。それは、魚人たちの集団。
二人は運ばれていく。魚人たちの餌として。魚人たちは知っていたのだ。肉の味を。その理由はまた後で明らかになるのだが、それは今ではない。
リールの足は、リールの着ていたドレス状の服を裂いて、括って止血することによって血の流出を防がれていた。それをしたのは、当然、魚人。
彼らには知能があった。原始的な人並みな知能が。それに二人が気付けなかったこと。気付けなかったにしても、警戒を解いてしまったこと。それが今回の敗因。
魚人たちは狡猾だった。これまでのモンスターフィッシュの比ではない程。なぜなら、彼らは演じてみせたのだから。
無防備な低能と、単独行動を演じた。
姿を現したのは、狩りする魚人の群れたちの中で最も間抜けな顔、つまり、油断を誘える顔をしている者。
人の持つ観念の一部を彼らは理解しているのだから。
彼らの狩り。何かと似てはいなかっただろうか。そう。人の狩りのスタイルそのものなのだ。獲物を釣って、引き寄せ、囲って、仕留める。
彼らは自身の棲家へと二人を運んでいく。御馳走として。
ポトリ
ポトリ
ポトリ
少年の体が揺れるたびに、血が僅かに滴る。
少年はさほど血を流していなかったため、止血されていなかった。魚人たちは少年たちを生かす気などないのだ。もう少しの間だけ、生きてくれていれば、それでいいのだから。
周囲の光は弱くなっていた。
ここは海の底。とある特殊な空間。光源は海中に差す光をある場所から集めてきたもの。だから、夕日なんてものは存在しなかった。
ただ、コントラストが弱くなるように、光量が減り、明るいまま、褪せるように暗くなって、いくのだった。




