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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第?部 第一章 静寂揺蕩う綺耽の廃墟
142/493

---002/XXX--- 空の海と硝子浜の海岸 

 少年は瞼を開く。視界はまだぼんやりとしていて、遠くは見えない。近くのものにすら焦点は合っていない。


「リール、お姉、ちゃん?」


 かすかにたなびく赤い髪と、漂う海の匂い。少年はそう判断した。少し自身なさげに。もっとも、頼りない声を上げた理由はそれだけではないのだが。


 目の前の人物の輪郭が頷くように動いたように見えたため、少年は、すっと顔を上げた。少年の目には、その谷間から顔をのぞかせるリールだった。


 意識を取り戻した少年の顔を見て、ほっとしているようだが、疲れも見える。


 近くにあるリールの顔ぐらいは認識できるようになってきた少年は、リールの顔に疲れの痕跡を見た。それなりに長い時間そうしていたのだろう、と少年は想像した。


 そんなことをしているうちに、少年の視界に映る周囲の風景が鮮明になってきた。少年は目を強く見開いた。そして、数回、目をこすっては、同じことを繰り返す。


(これは! 一体……)


 はるか頭上に広がっていたのは、海。不自然に明るい夏の水面のように、光を乱反射し、青い水と白い波がまばゆく光る。


 だが、波の音はしない。磯の香りもしない。海風やそれが運ぶ熱も、感じない。そして、そう感じているのは少年だけではない。


 そんなもの、ここには存在していないのだから。


「リールお姉ちゃん、ここって……」


 リールに焦点を合わせ、少年はごくりと生唾を飲み込む。一体何なのだ、ここは、と。頭の中がそれでいっぱいなのだから。


「海の底のはずよ……。ごめん、そうとしか言えないわ……。でも、見て」


 リールは目線で合図する。地面を見ろ、と。


 少年はそれに従い、寝返りを打つように横を向いた。するとそこには――――明るくてどこまでも透き通るような青い海と、さざなむような白い波が反射して映っていた。


 まるで、硝子のような地面、しかし、真っ平というわけではなく、凸凹がある。砂浜のような地形。だが、海は足元にはない。荒野とでもいえばいいのだろうか。そんな地面。鏡のように上空の海を映し出す、奇妙な地面。


 少年とリールはそんな地面の、周囲よりも少し高くなっている丘のような地形の中腹くらいのところにいた。


「ごめん……。こんなん、知る奴いるはずないよな……。……、あ、あれ? あ――」


 リールに謝りながら、その途中で何か思いついた少年は勢いよく立ち上がろうとした。当然、埋もれる。リールの胸に。


 少年は言いかけたことも、口から出なくなり、動きを止めた。


(……、どうしよ、俺……。でも、落ち着く……)


 リールは突然のことに、固まってしばらく反応できなかったが、やがて少し遅れて頬を赤く染め、顔を真っ赤にし、感情に任せて怒り出――――さなかった。


 リールは初心な乙女ではあるが、一応この時代においては大人である。だから、まだ子供な少年に、セクハラかました少年に対していきなり怒鳴りつけたりはしない。


「……、ポンくん」


 ただ、少し厳しい目をして、少年にそう一言、強めに言う。だが、自身の頬が緩んでいて、顔が真っ赤だったことには気づいていないのである。そんなことなのだから、少年からお姉ちゃん呼ばわりされているのである。良くも悪くも。


 そして、少年はそういったことに大変疎い。


 少年は、埋もれた顔をリールの胸部から放し、リールの顔を見ながら、謝る。


「……、ごめんなさい。」


 こう、子供っぽくしょんぼり謝るしかできないのである。今回は、少年の顔は特に真っ赤になってはいなかった。申し訳なさが勝ったのだろう。


 まだ、自覚できていないのだ、色々と。


 そんな、お似合いの二人は、気まずさからしばらく黙っていた。少年は元通り、リールの膝を枕にして横を向き、リールは少年を膝枕したまま、空を見ていた。


 天の海の様子も、地の硝子丘も、何の変化もなかった。






「ね、ねえ、リールお姉ちゃん。続き、ええ?」


 できる限りそっけなく、少年は話を切り出した。無垢な少年であっても、先ほどの行動が、やってはまずいことの一つであることを知っている。


 ただ、なぜ、という理由の部分が分かっていないのである。だから、子供なのである。自分から間を見て切り出す、といった心遣いができるとはいえ。


 リールは何か言おうとしたが、声が声にならないようだった。まだ顔を赤く染めているのだ。その心臓は大きく音を立ててばくばくと鳴っていた。


 乙女の胸のときめきはそうたやすく収まるものではないのだから。


 だから、リールはしおらしく、こくんと頷いた。ついでに目でその意を示した。少年はそれを上辺、いや、一部だけ読み取り、続きを話し始めた。


「あの人は? シュトーレンさんは。あの人なら知ってるんちゃうか?」


 リールは大きく溜息を洩らした。わざとではない。自然と出てしまった、そんな溜息。少年がシュトーレンの名前を出すときに、少年自身のシュトーレンへの複雑な心境が出ないように、心を抑えたことを感じ取ったからというわけでもない。


 溜息の理由は、乙女な事情である。リールは胸の谷間の上から、少年に向けて返答した。


「シュトーレンは、今、周囲の探索に行ってるわ。何か手掛かりが掴めたら戻ってくるって言ってたわ。でも、この様子だと、当分は戻って来ないわね」


 リールはそう、平坦な感じで、平静を装って少年に告げた。


「ふーん、そっか」


「そーよ」


 リールは少年の頭を優しく撫でていた。少年もされるがまま、撫でられていた。


「代わろっか?」


「何を?」


「俺が膝枕するから、リールお姉ちゃん休んどいたら?」


「……、お願ぃ」


 リールは再び、心臓の鼓動を大きくし、顔を真っ赤に紅潮させ、舌足らずな感じになりながら、その提案を受け入れるのだった。


 そして、少年が膝枕し、リールがそこに頭を乗せて寝そべる。


「とりあえず寝ちゃって、リールお姉ちゃん。シュトーレンさん帰ってきたら、起こすから、ね。」


「……うん」


「やっぱ疲れてるんやな、リールお姉ちゃん。おやすみ」


「……おやすみ」


 舌足らずな返事を、ただの疲れと勘違いした少年は、眠ることなど到底できないほど心臓ばくばくで、顔を紅潮させたリールの頭を撫でていた。安らかに、ゆっくりと眠れるように、と。


 結局、リールは砂糖のような甘い時間を過ごせたが、全く眠ることはできなかったのである。

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