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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第?部 第一章 静寂揺蕩う綺耽の廃墟
141/493

---001/XXX--- 闇の水面揺らすもの

「……ん、……ちゃん……」


 少年の耳に僅かに、ノイズのような音が聞こえる。それとともに、海の、波の音も。静寂の世界に、何かが生まれた。


(なんや、一体……)


「……ん、んちゃん……」


(誰やろう、何なんやろう? 声が降ってくる。上から……。聞き覚えのある声。でも、思い出せない……)


 虚ろな意識のまどろみの中、その声を聴く。闇の中で終わることなく落下し続けていきながら。際限なく、いつまでも、いつまでも、落ちていく……。


「……ちゃん、ねえ、ねえ……。こんなの……」


 ポツン……


 闇の中で少年は目を見開いた。暗闇の中、あるはずのない落下の終着点、不可視の地の面が視えた。水面が同心円状に広がっていく。揺れる。


 そして、それは、上から降ってきていた。一粒の雫が落ちたあと、さらに、二粒、三粒、四粒、と、音と波が音を奏でる。


 そのうちの数粒が少年の肌に触れた。それは体にしみわたって、溶けた。そして、体に迸る熱が、衝動が押し寄せる。


 それまで虚ろな目をしていた少年、思考の靄に包まれていた少年は、天へ向かって手を伸ばす。ただいつまでもそこで佇んでいるつもりだった少年は、届かない天に向かって、何もない闇の天に向かって、ただ、手を伸ばす。


 伸ばした手の先に、雫が触れた。


 闇が晴れていく。光とともに。闇のとばりが晴れていく。






 薄水色の、透き通った、底の見えない水面。その上に少年は立っていた。地面の役割をしている水面以外は、真っ白。そんな場所。


(……)


 少年はただ、前へ向かって歩き始めた。そうしなくてはいけない気がしたから。


 足を踏み出したにも関わらず、足音、水の跳ねる音はしない。だが、水面は波を描いている。


 前に進んでいくにつれ、雨が降ってきた。進むたびに少しずつ強く。そして、大振りというほどではない、並程度の強さで、水面に垂直に降る。


 少年の肌に触れたそれは、冷たくはなく、ある程度の熱量を持っていた。温い、生温い、人肌程度の熱を。


 少年は降り続く雨によって、ずぶ濡れになる。


(こんだけ濡れてるけど、不快……じゃあないな。むしろ――)


 そして少年は足を止めた。






 雨が止んだ。


(止んでしまったんか……。もっと、浴びていたかった。不思議と。)


 少年は溜息を吐いた。


「さて、行くか」


 再び前へ少年は歩き出した。行く宛などない。右も左も前も後ろも、白い空間がどこまでも広がっているばかりなのだから。


 だが少年には、なぜかどこへ行けばいいか分かった気がしたのだ。体に残った熱、雨の雫に込められた熱に誘われるように、少年は前へと進んでいく。


 すると、天から降って来た。雨ではない。声が。声が降ってきた。先ほども聞いた声。あの闇の中で聞いた声と、同じ。前よりは鮮明ではあるが、途切れ途切れな声。


 しかし、それは、とても暖かい、しかし、どこか悲しそうな声。それに少年は聞き覚えがあるように感じた。


 そして、頭に一人の女性が浮かぶ。少年の目に光が灯った。そして、これまでの虚ろな表情から一転し、何かに急かされたような、逼迫したような顔をして走り出した。


 少年は全力で疾走する。水面を。どこまでも続く白い空間を。


 降ってくる声は、進むにつれて徐々に鮮明になってくる。


「ポンちゃん……」


 自分のことを呼ばれている。少年はそう感じた。それは少年の本名とは一致してはいない。だが、それを聞いて、心が揺れた。先ほどよりも大きく揺れた。


 感情が揺さぶられる。涙が目から溢れてくる。どうしてかは少年には分からない。走りながら、目をこする。だが、とめどなく、それは溢れ、流れていく。


 少年の体から離れて落下したそれは、水面をかき乱した。そして、雨がまた降り出した。やはり、それは生温い雨だった。


 声は徐々に大きく、鮮明になり、反響するように周囲に響き渡る。それとともに、闇の中で聞こえたような、波の音が聞こえてきた。


 濃厚な磯の香り。それが、背後から吹き始めた心地よい風とともに、少年の鼻孔に触れた。


(戻らんと! あれ? でも、どこへ?)


 少年の頭の中に、強い意志とともにそんな疑問が浮かんだ。


「ポンちゃん、お願い……、お願いだから――――」


(リール、お姉、ちゃん……。すぐ行くから、すぐ、すぐに行くから)


 少年がそう心に思い浮かべたのは、遠く向こうに、リールの姿が一瞬見えた気がしたから。少年の頭が熱くなる。だがそれは疾走による熱によるものではない。


 押し寄せてくるのだ。少年の頭に。それは、記憶の、ほん流。


「リール、お姉、ちゃ~~~~んんんんっ!!!」


 少年は大声でそう叫びながら、手を伸ばした。はるか前方の何もない空間に向けて。それはきっと、手を伸ばせば届くと思ったからだろう、彼女に。


 それは正しかった。


 少年は伸ばした手を何かに優しく包み込まれる感覚を感じた。そして、白と水面の世界は霧が止むようにかき消える。


「おはよう……っ」


 ぽたり、ぽたり。


 夢から覚め、少年は意識を取り戻した。

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