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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第二部 第一章 外なる海へ
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第百三十八話 ケイトの日記

 甲板。


 そこにはケイト一人。満天の星空を独り占め。だが、ちっとも心は弾まなかった。そういう風情が好きな自分がそんなであるということは、それほど落ち込んでいるからだ、と冷静に分析する自身が恨めしいのだろう。


 右手に手にした、古ぼけた一冊の日記の背を、ぎゅぅぅ、と握る。爪が罅割れ、血が滲むくらいに。赤黒く、硬いその本の表紙なら、そうやっても、壊してしまうことはなく、八つ当たりにもならない。そうだとケイトは知っている。その、両掌を合わせたより一回り大きい程度の、厚さ5ミリ程度のその本は壊れはしないのだと、知っている。


 パラッ。


 開く。中の紙は、微塵もひしゃげていない。折り目すら碌についていない。一枚一枚の頁がやけに薄く、光は透けるのに、ぎっちり書かれた赤い文字は透けない。それでいて、ところどころ、黄ばんでいる。虫食いのような跡もところどころにある。


 明らかに異様な本。


 パラパラパラパラ、パッ。


 文字がそこから先は書かれていないというページを見つけ、開く。そして、


 クプッ、パキッ。シュポッ、ツゥゥ、ポトッ、ポトッ。


 インクとして使うは、自らの血。右手人差し指の爪を歯で先端から縦に僅かに割り、流れた血。紙面に垂らし、具合を確かめる。


 髪の毛の中に収納してある、一本の、灰茶の斑模様の、片端が鋭利に尖った細い針のようなものを出し、作ったばかりの傷口に、尖って無い方を刺す。一センチ程度、しっかりと。


 ケイトは、顔を歪ませすらしない。それに慣れきっているかのよう。そして、針先を紙面に当てると、赤いインクが滴り出した。


(順序が、記憶が、映像が、ごちゃごちゃ……。でも、忘れてしまったら、それこそ、どうしようもない。人でなしだ……、私は……)


 独りっきりのときのケイト。彼女は、そういうとき、どうしようもなく、影に沈む。そして、今は、普段よりもずっとずっと、深い。


 針が指先に刺さっていることなど、ピアスをしていることと変わらないとでも言わんばかりに、右手一刺し指に刺し繋げた針先を走らせる。


 そこに書かれる彼女の記録は、きっと、どうしようもなく救いようのないようなもの。






【船長は、元のケイトがそのモンスターフィッシュ知ってることにして夢の話を進め始めたのは、それが読者に、ケイトが夢改変した、→それが演技半分になったということを示している。】


【ケイトに向けて肉刀の一翳しを放つ船長と、船長に向けて、鋭い一刺しを放とうとするリールが交差――――そうして互いに背中を向けて着地した二人は――にぃぃ、と笑った。】


【パリン。】

【パリン。】


【二つの粉砕音が響く。】

【船長とケイト。二人とも、()()だった。→以上のことから、夢での話は分かった上での演技であることが分かる。だが、それでいて、全て虚構の話という訳でもない。だからこそ、どうしようもなく、糸はこじれている。切っても、ほつれたままの切れ端は残る。】





【「鍵であるボウズが生きてんだ。大切な大切な、あのボウズが生きてんだ。ならぁよぉ、過去と後悔の()何ぞ、立ち止まる理由になんて、ならねぇ」】


【(俺には、あいつが、必要なんだよぉぉ! ()()()()()()()()()()! 愛した女を携えても届かなかった。それは、愛した女が至高の相棒を兼ねていなかったから。俺の進む理由は、変わらねぇ。今のこの世界になった、全てのケジメを、俺は、つけなきゃ、ならねぇ)】


【「クスッ」】


【ケイトは、そんな船長を見て、狂気覗かせた目で、笑った。】


【(だって貴方には、未だ、先導して貰わないといけないからねぇ)】


【→それはケイトの嘘に混じった真。夢の中であったからこそ、双方のうち片方が、若しくは両方が忘却したであろう記憶が存在する。ケイトにはやらねばならないことがある。それは、義務であり、命を賭けることすら強要される程の強迫観念が根付いている。だからこそ、嘗ての恩人にすら非情になれる、というが、それが非情であるかはもう彼女には分からない。】






【船長、耳につけたそれを、ケイトに斬り払ってもらう。ケイトを首締めて馬乗りで殺す演技を、殺気を出して殺す気で。ケイトは足掻き、船長の首を掻っ切るつもりの本気の一撃で、船長はそれを首を傾けて交わし、自身の耳に当て、拾った方の耳飾りを壊す。そして、気付いたもう一つも、壊す。】


【声が聞こえた。】


【「海人、何……で……」】


【「お前と俺の夢は交わらないどころか、真逆だった。そういうことだ。だからもう、半端にお前を救おうだなんて俺の願いは捨てるべきだったんだ。知ってるぜ、お前が俺をあの生還不可能な深度の夢から連れ出してくれたってことも。だが、それでも、やはり、俺はお前と同じ道は、もう、行けない。もう決めた。だからこその、本当に、お別れ、だ」】


【スゥ、パリン!】


【「ケイト。これが俺の予知の正体だ。嘗て交わった女からの呪われた贈り物。魂の半分。あいつは半分は人で、半分は、あちら側、だったんだからな。あいつが、世界を、こうしちまっている元凶なんだよ。そして、その半分を、救うんじゃなく、終わらせること。それが、俺の命に代えても、いや、やるまで死ぬ訳にいかねぇことだ。何故こいつを今更割ることができたかといえば、お前が見せてくれたそれのお蔭だ。もう、躊躇していて、迷っていて、届かなくなるなんて、悲しい別れしかないなんて、嫌なんだよお"お"お"、くぅ"う"おおおおおおおあああああああああああああああああああああああああ」】


【二人しかいない、鉄の船の甲板の上、満月の下、船長は、過去から本当の意味で前に一歩を踏み出したと共に、決別し、殺し合うことを選んだ。過去、それだけが真に、自身が思う唯一の宝物、自身よりも唯一大切だったそれを、否定する道を、呪いから解放されると共に、祝福を捨て――もう、彼に、奇蹟の助けは起こらない。】


【そうして、一人の呪われた、本来英雄でない筈の英雄は、その座を、降りた。】


【その願いは、彼の手ではもう届かない。そこに届くには、運命の力が要る。その者だけは何があっても最後には失敗しない。そんな事象の中心が、要る。世界を変えた者から再び世界を取り返す力が、要る。彼は、既にその鍵を、見つけている。二対二組の鍵を。】


【少年と、リールを。未だ、彼は、少年の方だけしか鍵だと気付いていない。】


【何だろ、これ……。余りに美化し過ぎている。夢が変質した。記憶が変質した。綺麗な嘘。しかし、そんなものは読者に残す意味は無い。→ボツ。】


 そして、その見開きページに大きくバツ印を付ける。それを徐々に太くしていって、太さ2センチ程度まで太くした。まるで、甘美な夢を、彼女がそのとき、そうであったら、なってくれていたらよかったのに、と望んだ夢を、抱いた事自体を悔いるように、自罰するように、印を付ける。


 まるでそれは、罰の印だ。


 ブチッ、スゥィッ、ボンッ。スッ。


 そうして、指先から針を抜き、本を、左手で裏側から背から握り閉じ、針を仕舞った。まるで俯瞰するような視点と、まるで当人のような視線、そして、著者たるケイトの感情がト書きのように併記された、思い返した記憶を書き殴ったかのような支離滅裂な規則で書かれた日記の背を持ち、月に翳す。


【モンスターフィッシュ】


 背表紙には、まるで傷のような跡で、そう書かれているのだった。

本日中にあと一話投稿し次章に入ります。予定より話数増えてしてしまい申し訳ありません。

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