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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第二部 第一章 外なる海へ
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第百三十五話 長い夢の終わりの日 前編

 ザァァ、ザァァァァ――


 並んで座る、()()の船長とリール。しゃがみ込むようにそれの前で、佇んでいる。


 ほー。それが、船長の~いー人だった人~?

 あぁ……。悪いがケイト、()()()の延命、頼めるか。できるなら、でいい。延命だけだ。()()()()()()()


 二人は声も出さず、そう会話した。未だ続く、金魚風船の影響を利用して。


 ケイトが船長の指示に従い、


 はいは~い。


 そう言ってケイトは立ち上がる。

 

 ストストスト、ポッ。


 甲板に転がっていた、海水の入った鉢の一つを持ってきて、一旦床に置き、再度持ち上げ、その中身を、砕けた二つの緑色の耳飾りの珠の断片をかき集めたエメラルドの砂と石の掌程度の山に、慎重に、


 ポシュポポポポポポ――


 掛けた。ばらばらに流してしまわないように。しかし、全体が素早く液に浸るように。


 お前、何処まで気付いてやがる……。


 船長がそう問いかけると、


 全部~。本当に、()()。私にこれ以上言わせないで。水を差すなら、()()()()にしなさい。奇蹟の砂が、その意味を成す前に流れ落ちてしまうわよ。


 ケイトは、冷たく鋭く、釘を刺す。らしくもなく、詩的で意味深な表情で。


 ありがとう……ございます……。


 そう、そこにいるもう一人、二人が刺し砕いたもう一人がそう言ったのは、誰に向けてなのか。


 ……。

 ……。


 二人共、沈黙するだけだった……。それを確認した、彼女の表情は、誰にも見えはしない。





 ザァァ、ザァァ――


 それで……、どうして……、気付いた……の……。気付……けた……の……?


 彼女は唯、尋ねる。もう彼女の使命は終わったのだから。だから、後は、心残りを埋める時間。彼女にとって、彼と触れ合え、そのことを覚えていられる最後の時間。もうそんなことは無いだろうと思っていた、彼との会話という奇蹟。


 ……。


 船長は何も言わない。言えない。何もかも全て、彼女という過去を切り捨てて、それでも欲しい、別の宝物が見つかったからだなんて、言えはしない。思うことと、それを心の表層に浮かべ声にすることとは違うのだ。喩え、彼女がそれを難なく読み取っていると分かっていても。


「私~、疲れたから一抜け~。ごゆっくり~」


 スッ。 


 ケイト。気を利かせ、その場からはけていった。残された二人に、感覚的に伝わる。ケイトが、二人と繋がる、他の全ての残滓の糸を断ち切ったのが。そして、見えもしない筈のそれらの切れ端を、二人間の糸に絡ませ、太くした。


「終わるまでは保たせたげるから」


 羨ましい限りだわ。私には、そんな奇蹟も、奇蹟の前の普通の別れの言葉も、無かったのだか―…


 一つ誤りがあったことに船長は気付く。ケイトは、人差し指に、二人へ繋がる糸を僅か一本のみ残していたことに。そしてそれが、二人の遣り取りがケイトに伝わる、覗き見られるには不十分であると分かった。ケイトのその心の声は、最後、途切れるように消えたのだから。


 ギィィィィィ、ゴォォォォ、トタン。


 ほんの僅かの風音が立つことすらないように音を立てずに扉の前まで歩き、開き、そっと閉めた。そして、やっと場が整い、二人の最後の逢瀬。奇蹟による、望まなかった逢瀬。しかし、共に拒む気になれはしない逢瀬。


 ()()。貴方が、貴方自身を閉じ込める為と、決めて作った、檻を。どうして今になって、壊そうとしたの? 聞かせて……ちょうだい……。


 砕けた船長の両耳の耳飾りの珠の中に宿っていた者の正体は――緑青。喪った筈の、彼女の魂の残り香。







 ザァァ、ザァァ――


 扉の向こうから伸びている一本の糸を、金魚風船たちの入っていた鉢の水が垂れることなく伝ってきて、ゆっくりと、掌に収まる程度のエメラルドグリーンの欠片の小山に、


 ポトリ。


 落ちる。


 それが、ケイトの施している延命。話が終わるまでと言ったということは、話が途切れたとケイトが思えば、この処置は終わるということを意味する。話題が尽きれば終わり。それか、延命処置での限度を超えて緑青の命の灯が消えても終わり。そして、いつ吹くか分からない海風での突然の終わりは十分に考えられる。突如の俄雨の可能性も僅かながらある。


 だからこそ、二人は焦らない。これはあくまでもロスタイム。そう理解しているから。だが、できれば、語り合いたいのだ。知りたいのだ。伝えたいのだ。共にずっといたいのだ。


 語ることなど、何もない。ずっと、見てたんだろう?


 海人……。 


 俺がお前の名前を終ぞ呼ばなかったのが答えだ。


 ザァァ、ザァァァ――


 カラッ、スゥ。


 船長が、小さな小さな今の緑青の依代である、エメラルドグリーンの砂の中から、半ば崩れた二つの珠を、左手で掬い上げる。立ち上がって、歩き出して、


 カタン、コトン、カタン、コトン、コッ。


 そこは、船の淵。左手を手摺りの上、船の外へと出し、ひとたび見つめる。震える手。あと二動作なのに、それができない。そうすべきなのに。決めたのに。その二動作の為の左手は、どうしようもなく、重い。


 駄目でしょ。決めたんでしょ。


 ……。


 思い出したんでしょ……? 私の死と貴方も私も誤認した、あの日の唐突の別れが、私のこの命と体を分離する為に仕組まれた規定事項イベントで、船を託され、団を抱える何も知らなかった貴方はそれでも船長として、海へ出た。


 ……。


 ねぇ、海人。私、意識は無かったけど、見てたのよ。貴方が、再び私を失うことになってからのことを。貴方の傍、右の耳と、私色の髪の下から、ずっと、見てたのよ。


 ……。


 ザァァ、ザァァ――


 ブゥオオオオオオ――


「くっ……!」


 ゴッ、ジャリッ、ズゥッ!


 大丈夫だから。あの人が与えてくれた液で、私の意識の大方は、砂のような破片から、貴方の握ってくれている大きな欠片に殆ど移ってるから。ありがと。


 ……。


 声を出すと、泣き出しそうだから、何も言わない。とっても貴方らしい。記憶が貴方に戻るとして、私はそれがとても恐ろしかった。貴方がこの地で拾ったものの全てを捨ててしまうかもって、思ってたから。


 ……。


 貴方が私の為に泣くことはないの。貴方を捨てたのは、私。裏切ったのは、私。貴方の命を捨てても果たしたい望みを邪魔しているのも、私。


 していた、だろう……。言うな、そんなことは……。


 それは、とうとう零れた弱音。

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