第百二十九話 夢覚する、遠回りで露骨な罠 前編
暫くの間が、船長にとって、闇の中で流れる。記憶の夢の時は止められている。きっと、夢の外のケイトも、甲板で夜の星の下、暗い顔をして佇んでいるのだろう。
二人共、遠回りな意思疎通を、疲れ切った体と精神で行っているのだ。長くなるなら、こういう間も、必要になる。
「じゃ、続き始め…―」
ケイトがそう言い始めたところで、
「と言いたいとこだが」
船長がそれを遮るかのように言うと、
「何よぉ~……」
ケイトは気怠げな声でそう尋ねる。
「お前がいないと今回はきつそうだ。ボウズも少なくとも傷を負っているだろうし、ここは無傷で切り抜ける必要がある」
船長の話は突然、外れ始める。だが、ケイトはそれを無視し、強引に流れに戻そうと、
「ん? ポンちゃんが死んでないって確信、あるんだぁ~」
感情の昂ぶりを抑えつつ、からかうような声でそう反応してみせた。
「あぁ。お前でも知らねぇだろうが、ボウズとリールとシュトーレン。行方不明の三人の最後の目撃情報では、この三人一緒にいたんだよ。ボウズがリールを守らない筈が無ぇ。シュトーレンも同様。で、ボウズが生きてるってことは、リールはまず無事。ボウズは、一人じゃ立てねぇよ。シュトーレンは、まぁ、どうでもいい。あれはあれでしぶといらしいから、まぁ、大丈夫だろう。だから、後回しにはしたくねぇが、後回しでも大丈夫だった、ってぇことだ。俺は仮にも船長だからだ。それくらいは弁えているさ。あのときのように、私情で全部捨てるなんて、もう二度と、したくねぇ」
船長の返しを聞いて、どうやらそこまで強行して話したいことがある訳ではないようだと安堵しつつも、僅かに不安ではあって、
「……。続き、やろっか」
「おぃぃ。何苛立ってやがる。余裕が無くなってるじゃねぇか」
……。ケイトが最初に思った通りだった。
「そういうそっちは水を得た魚みたいね」
声だけでも何故こんなに苛立たせてくるのだろうと、苛々しつつ、ケイトはそうやって棘々しく皮肉を言った。そして、
「ま、さしずめそんなとこだ。それと同時に、釣り針が口に掛かってるってことにも気付いたんだがよ。どうしようもないやるせねぇ罠に掛かってて、いつ死んでもおかしくねぇって状況らしいぜ、俺は」
どうやらまたいつものアレであると悟り、
「……何よそれ」
言葉では反抗しつつ、諦める。
「夢に囚われたこんな状態じゃ、自分の体の様子なんて分かりゃしねぇだろうが。声が出せるってことはまぁ、まだ死んでねぇんだなって分かる位でよ」
「……」
ケイトは沈黙した。返事をしないことくらいしか、自身にできる抵抗はないと悟ったから。船長がこうやって、自分から主導権握って夢に引き込んだ、落とした筈なのに、逆に好き勝手されるようになってきていて、恐らく、船長はやろうと思えばすぐに、こちらが見せる夢に浸るのを終わりにして、あっさり目を覚ましてくることもできるのだろうから。
そして、ケイトとして、どうしても見せておきたい部分までこの夢を見させることが、抵抗してしまえばできなくなる、そう感じたから。
ケイトもモンスターフィッシャーだ。船長に並び立つとまではいかないが、モンスターフィッシャーとしての実力は近い位階にいる。そして、ある線を越えたモンスターフィッシャー、具体的には、こんな世界で、外海に出ても十分に生きて一人でも航海できるクラスになると、全体的なスペックも人を超えている。大概、何か突出したものがある上で、他は欠点無く高い水準で。それは、第六感といった、事象の事前察知といったような分野にも及ぶ。
船長程ではないが、ケイトも、数十秒先から数分先まで位は、必要な範囲くらいは予知してみせる。ケイトが未だそれでも危険を感じていないということは、事態は少なくとも数十分、長く見て、数時間先。そういうことだ。
「納得して貰ったところで、まずは一つ情報を共有するとしよう」
「で、時間の猶予は?」
「リールがお前に渡したようなものを持っていたってことは、俺の予想よりもずっと多く、【方位命針】は作られてたってことになる。こいつらの絶滅の手を引いたのは俺だ。こいつらは不幸を振り巻くからな。俺が子供の頃のやんちゃでやらかした話だ。正義感こじらせてな、まぁ、それは今はいいとして、この道具、今存在している分まで台無しにしてしまうには惜しい」
「……。いつもよりも濃厚に見えてるってことね。つまり、失敗したら十中八九死ぬってことね」
「ああ。浮かんだことから順に答えないと忘れちまいそうなんだ。まぁ、お前のおかげで頭が回り始めてきたってこった。ちょっと整理ついでにお前に、このモンスターフィッシュについて、正確に教えてやる。こいつはなぁ、モンスターフィッシュの中でも特異例なんだよ。その性質でも、経緯でも、な」
「?」
「訳が分からないってかぁ?」
「無理やり過ぎるし脈絡無さ過ぎてさぁ~」
「お前が見せる記憶が全て終わった後にやらないといけないことにこれはかなり深く関係してる。優先順位は高いぜ。幸い、この夢は外からの干渉に強い。今なら丁度、気付かれることなく、話を済ませられる。だから、ちゃんと聞けよ。ついささっき気付いたが、俺は今、あるものに命を握られている。当然お前じゃあ無ぇ。だが、お前のお蔭で気付けた。目を覚ましたら早速動かねぇといけねぇが、チャンスは一度。外せば、船もろとも、俺もお前も木っ端微塵、だろうさ」
「……。その超感覚にはついてけない」
「分かってるさ。だが、俺がこういうの、外したことないだろう? 今回も間違い無く当たっている。だだから、ちゃんと、聞けよ。お前は俺とは違って、夢の外、現実にいるんだからよぉ。だからか、鮮明なんだが、鮮明じゃ無ぇんだよ。複数の可能性が見える。そして、その結果が見えねぇ。だが、失敗の形は一つに収束してる。つまり、こうやって話して一つに絞らねえとどうにもならねぇってこった」
「……。私がやらないと、駄目なの? 技量では、船長に匹敵する」
「当然だろう。俺の体にブツは付いている。らしくなく、ぬかっちまったよ。昔見たような大切な落としものを見つけたような気がし、手に、収めちまったのさ。そんなもの、ある訳無ぇのに……。ありもしねぇ希望を長く夢見てきたかのようだぜ。そんなありもしないもの、捨てちまわないといけねぇってのによ。過去より、今、未来だろうが」
「じゃ、その、取り敢えず聞いて察しろ、っていうクソ説明、たったと始めなさいよ」
(こっからやるのは、……し……い。上手……、……れよ、ケイトォォ)
最後に、辛うじてケイトに伝わるか伝わらないかの心の階層に、仕込みの言葉を船長は思い浮かべた。




