第百二十四話 嘗ての仲間、捨て征く場所の守人
ザァァ、ザァァ――
そこは、波の音しかしない、白い砂浜の島。船から見える景色は、一面の白い砂浜。そして、中央部にある、ロッジのような小屋。そして、後は、何処までも海と空。
まだ昼間であり、そのシンプルな風景は太陽に照らされて、何処までも明るい。
「到着だ。お前ら、降りろ」
船が止まって、船長が出てきて、そう声を上げた。が、彼らは誰一人動きはしない。大半の心折れた者たちは、震える始末。極一部の心折れていない者たち、つまりシュトーレンの従僕たちは船の停泊の為の作業に勤しんでおり、甲板にはいない。
「……。そう怯えてくれるなよ。別に、ここにお前らを捨てるなんて言ってねぇだろう? ここには、今お前らにとって必要な奴がいる。お前らの心をケアしてくれる奴がよ。そいつは嘗て、今のお前らと同じところまで落ちた、折れた奴だ。だから、お前らのことをよく、分かってくれるだろうよ。そいつがお前らを、治して、本土に送り届けてくれるだろうさ」
(まぁ、交渉するのは今からだけどな。どうせ通るのは分かりきっているから別に変わりねぇ。こうして会うのも久方振りだ。もう二度とないと思っていたが、また、会うことになるとはな、青。お前は今も、引き摺っているのか? まぁ、人のこと言えねぇがな……」
そう言って、船長は、
コトン!
甲板から飛び、船着き場の床に着地。そして、
コトン、コトン、コトン、コトン、
(マスト3本×2枚計6帆のガレアス船か。中々良く手入れしているようだ。ってことは、あいつ、あのとき言ったしたい仕事ってやつを、まかりなりにもちゃんとやれているってこと、か。俺とは違って)
ザッ、ザッ、ザスッ。
(さて、後ろのあいつらはどうしたもんか)
砂浜に足を踏み入れ、振り返る。誰も後に続かなかったから。
「ほら、早く来いよ! これからお前らが世話になる奴に会いに行くんだぞ? 顔見せは必要だろう? なぁ。……。まぁいい。先に行ってるぜ」
(まぁ、駄目だよな。……。どれだけ冷徹に振る舞えたとしても、俺も所詮人の子だぜ? 堪えるんだよ、そういうのは……。俺だってしたくてしてる訳じゃねぇ、そうしねぇと結局皆死ぬからだ。取り返しはつかねぇ。今回は極めてラッキーだった。だというのに、このざま、だ……。未だ、俺は未熟だ。だからやはり、連れていける奴は限られる。そして、そんな弱音を俺は吐いてはならねぇ。それ位はやってみせねぇと、責任感ですら、立っていられねぇ)
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ――
船長は、ゆっくりと歩き出した。船長にも、葛藤は、ある。彼らだけが苦難を受けた訳ではないのだから。船長は背負っている、責任がある。唯、その責任というところは、最低、生還させるところにある。そして、外の海では、それすら、どうしようもなく難しい。船長であっても。
外海を知らなかった彼らには理解できはしないだろう。言い換えれば、国内一流のモンスターフィッシャーだった彼らにすら理解できなかった。
だから、船長は孤独だ。
(あいつや、ボウズみてぇに、分かってくれる奴は、もう、いねぇ……)
そこは、小笠原フロート群、南白鳥島。嘗て、日本の最東端であった、今や遥か海下の南鳥島の跡地に建設された、白鳥の形をした、砂州のような島である。
島の大きさは、一辺50メートルの正方形に入る程度しかなく、西端である、白鳥の嘴の先に当たる部分である船着き場と、島の中央付近の、周囲に比べて30メートル程度高くなっている、白い盛り土の高台とその上のロッジのような建物以外、全て砂浜のようなものである。
ほぼ無人島である。常駐しているのは唯一人のみなのだから。そして、船長は、その一人の元へと――
ギィィ、ガコン。
そのロッジの扉を開けた。それは、随分殺風景な部屋だった。そのロッジの中は一室しか無かった。だから、そこは広く、高い。
だからこそ、余計に目立つ、物の無さ。住む者の色の無さ。そこにある調度品は、僅か。部屋左奥のベット、布団、枕。部屋中央の安楽椅子。そして、それに座っている人物が手にして見つめているボトルシップ。たったそれだけなのだから。
部屋の中央の椅子に座って、ボトルシップを手に取って眺めていた、青い髪の細みですらっとした中性的な青年は扉の開いた音にも、入ってきた船長にも反応しない。
それはとても絵になる光景。座っている青年が手足がすらっと長く、スタイルが良く、その長くて、右目を隠すように流れた前髪含めた黒い頭髪が光を浴びて、暗い青っぽさを出している。
「よぉ、久しぶりだなぁ、青」
「……。うん。久しぶり、船長」
アイボリー色の麻の服一式を着たその青年は、数秒の沈黙の後、そう、微笑を浮かべつつ、返事した。その顔には、懐古と哀愁が漂っていた。
「未だ、そう、呼んでくれるんだな」
「僕にとって、船長は船長さ。いつまで経っても、立場が関係がどう変わっても、それは変わらない。少なくとも僕の中ではね」
(へっ、背ぇだけ伸びて、中身はまるで変わらねぇ。何処か達観したみたいな、固まった、完成し切った価値観。壊れても、折れても、変わらねぇ、か。やっぱ凄ぇよ、お前は。だからこそ、今、会いたくはなかったが、こうする他無かった。それに、丁度航路に、この島があったんだからよぉ。……やはり、偶然じゃ、無ぇ、か。こいつは。)
ギィィ。
椅子から立ち上がった青年は、
「その人たちを、癒せばいいんだよね」
と、船長の後ろ、開いたままの扉の向こうの、やつれた数十人を見た。
(シュトーレンの従僕たちだけ、か)
「あぁ、頼む。それと、船に、精神的にキちまって、降りて来れない奴らもいるから、そいつらも頼む、というか、そっちを重点的に頼む。分かってて乗せてちまったんだ、俺は……」
とうとう零れた、本当の意味での船長の弱音。だからか、青年も、敢えて言わずにいたことを口から零してしまう。だから、
「……。この海域の危険さ、……、やっぱり船長、あの日のこと、覚えてなかったんだね」
憂える。
「?」
船長は首を傾げるばかり。ずっと昔、青年が少年だった年の頃、船長と共にいた頃、それが終わりになる頃、起こったある出来事。それについて青年は仄めかしたつもりだったが、後悔する。
船長がそれを覚えていないなら、それは唯の愚痴でしかない。それに、それを覚えていないことは、船長の責任ではない。不可抗力であると青年は知っている。恐らく自分しかその時のことを覚えていないと気付いている。だが、口にした以上、
「こうなるのは二度目ってことだよ。この海域で、同じやられ方して、何とか戻ってこれて……。僕が折れた理由、そのとき戻ってくれた理由、……、ごめん、忘れて。そんなこと言ってももう過去は変えられない。貴方も、僕も」
すぐには止まらず、無為に言葉を吐いて、無理に締めた。
「……。言ってくれなきゃ、分からねぇよ、今も、あのときも……。済まん、やめておこう……」
「じゃあ、船長は、ケイトさんでも迎えに行ったら? さっき、颯爽と東の方へ駆けていくのを感じたから」
いつの間にか扉の前のシュトーレンの従僕たちの後ろに置かれていた、船長の刃を現実で食らって意識が戻っていない老人を、シュトーレンの従僕たちが運び、青年に許可を取って、ベットに映し、彼らが老人を心配そうな顔で見守っている中、青年は船長にそう言った。
それは、船長をその場から追い払う為の方便でもあり、船長のその、青年が知る限り最も酷く荒れた時期以上に荒んだ感じの船長への心遣いでもあった。分かりそうな人に吐き出すべきだよ、と。
「ああ。そうする」
それを読み取った船長は、そう返事し、動き出した。
コト、コト、コト、コト、ギィィ。
だが、開いたままの扉から出て、それを閉める手を船長は止めた。
「一つだけ聞いてもいいか?」
「いいよ、船長」
ザァァ、ザァァ――
海の音が響き渡る。二人以外にも人がいるのに、酷く静かだ。僅か十秒足らずの間が、やけに長い。二人は視線を交わし合い、互いの心境を読み合う。そして、
「お前は、自由に生きているか?」
船長から出た質問は、そんな月並みな質問。
ザァァ、ザァァ――
波の音を数拍子挟み、
「うん。もう、僕は、貴方という理想に縛られることも追い掛けることもしていないよ。あのとき貴方にやけになって語った嘘夢。あれは、本当に、僕の真の夢だったみたいだから。だから、安心して。そして、もう、僕は貴方の誘いには乗らない。でも、また誰か壊しちゃったら、ここに連れてきて。後は引き受けるから。それ位の恩は今でも感じているから」
青年はそう、真っ直ぐ答えた。
「あぁ、頼む。俺にはできないことだからな」
(嘘は無ぇ、か。良かったな、青。お前はもう、本当の意味で立ち直ったらしいな。自分が立つ為の軸を、自分の中に持ってるんだな。誰に寄りかかるでもなく。あのとき、お前が船から降りることを許可したのは、間違ってなかったのか……。箱の底に残る、一欠けらの希望、か。あるんだな、そういう救いも。全てが無駄だった訳じゃねぇって訳だ。俺の失敗だらけの人生も)
船長が頭をそう下げると、
「……。知ってる」
青年は哀しそうに微笑しながらそう言って、椅子の上にボトルシップを置いて掘っ立て小屋を後にした。そのボトルシップのネームプレートにはこう刻まれていて、
【瑠璃色夢想者号 偽物だったけれどとても素敵な夢の跡】
かの船の模型がその中には浮かんでいた。
尚、その過去は、この物語では語られることはない。だが、それでいいのだろう。掘り返すべきことでもない。過去は変わりはしないし、二人共、既にそれに決着を付けているのだから。




