第百二十一話 皆殺しの夢
スタタタタ――
ギィィィィィ!
船内中央から外側へと船長は走り抜けていたが、通路の扉のうちの一つが突如、開いた。
「うぅ、あぁ。ふぅぁあああ」
と、目を覚ましたばかりの、目を覚ましたつもりの、遅ばせて夢を一層抜けただけの船員。
キッ、ザシュッ!
プシュゥゥゥゥゥゥ!
「……」
そののっぽな船員は、船長の手刀の一閃と共に、腹部から上下に切断され、
ド、ビシュッ……。
勢いなく倒れ落ちた。
(これならそう時間は掛からねぇな)
スッ、スタタタタタタタタタ――
船長は止まることなく、走り去った。
船長こと、島海人。彼は狂っている。これまでに出てきた誰よりも狂っている。
彼は狂人だ。彼は、他者からそうにしか見られない振る舞いを常にする。彼は勇敢である。彼は希望である。彼は英雄である。
だから、彼は、狂人だ。
何故か?
彼に対して他者が抱く印象、それは、人に対して抱く印象から逸脱している。それは伝説の中にしか存在しない。伝説の中の登場人物、英雄。そう見られる存在が、もし、目の前にいたとして。それはもう、人ではない。それに手は届かない。それに言葉は届かない。それに心は伝わらない。
それは、人の形をした、別の何かだ。
ある時期を境に、彼に対する人々の証言は変わった。
『彼は、何処までも冷たく合理的であった』
『彼は、次の瞬間に切り捨てるものを測る天秤を反転させていた』
『彼は、それが最小のリスクだと、尽くしてくれた友を一切の躊躇無く切り捨てた』
『彼は、自身すら、秤から降ろしたことは一度も無かった』
『彼は、自身の死よりも、仲間の死よりも、どれだけ犠牲の山が積み上がろうとも、最初に定めた目的を変えはしない』
『彼は、やると一度言ったことを、必ず遣り遂げた』
『彼は、神の理以外の全てに、肉迫するだろう』
『彼の恐ろしいところは、その一瞬の判断力でも、冷徹さでも、万人が束になってもかないはしない技量でも、人脈でも、財でも、運でもない。その全てを持たなくとも、彼は英雄であり、狂人だ』
『彼は、何があっても諦めない。そして、それを、他者にまるで洗脳のように強要させることができる。意志の狂気を伝染させる、病原体そのものだ』
『彼と関わってはならない。凡夫であれば狂気に酔い、知らぬ間に息絶えるだろう。秀でた才ある者であれば彼に心酔し、その異常さに麻痺し、全て彼に捧げ、喜んで死ぬだろう。天から選ばれた者であれば、唯、彼に触れず関わらず、嵐のようなそれが過ぎ去ることを待つことしかできない、しないだろう』
『彼に、あらゆる意志は伝わらない。どれだけ重く、相応しいものが口にした言葉すら、彼の心に響きはしない。彼の心はとうに死んでいる。彼は、目的の為だけに生きている。どれだけ多くの人を巻き込もうが、彼は自身のその核心を話すことはしなかった』
ある出来事がその核心。それが、彼をそう変えた。壊した。砕いた。彼に呪いを掛けた。だから彼は、呪われた英雄だ。
それさえ無ければ、彼は、正に人類の英雄であっただろうに。
彼は、人生における二度目の希望であった、今はもう傍にいない少年に嘗て語った。一度目の希望であった、嘗て愛した女の喪失について。だが、それは、全てではない。彼が一度目の喪失を終えたのは、更に後。そして、それは、ここでは語られない。それは余りに悲惨過ぎた。
それは、彼の、真の一度目の喪失。
彼はそれまで、有能ではあったが、人であった。誰よりも前に出て、人々を引っ張り、殆ど成功し、稀に失敗し、その失敗が為に涙する。その失敗の為に苦悩する。他人より多くを背負い、耐えきれずに泣き崩れ、それでも再び背負おうとして、だから人は、付いてくる。何があろうとも、彼に惹かれた者たちは、彼に、死ぬその時まで、付いて行ける限界まで、彼と共にあるだろう。
だが、もう、そうではない。彼は、目の前の人を救う。だが、それが目の前にいたから拾っただけに過ぎない。以前のように、助けたいと思ったから助けたのではなく、それが義務であるかのように、助けたつもりすらない。彼は目の前を見ていない。
彼が不幸だったのは、彼が半端に強かったからだ。そこでへし折れて、砕け散って、塵に成り果てるように朽ちていればよかったものを。彼は壊れただけで、死にはしなかった。壊れたが動かなくはならなかった。
彼は、独り、背負っているから。彼のその、真の一度目の喪失は、彼が優し過ぎたからこそ、人であったからこそ、残った、起こった、過ちだったから。
何度か、現れた単独~複数人を、無抵抗か抵抗してくるかに関わらず素手で斬殺し、
スタタタタタ、ギィィ、ガシャッ!
船長は甲板へ出た。
空は、晴れ渡っている。周囲一帯を覆う海は何処までも穏やかで、澄み渡っている。外の戦いは、終わっていた。
「おぉ、お前ら。俺が思ってたよりはずっと上手くやったみてぇだな。まさか、全滅させてるとは」
と、血だらけの船長は、そこに残って立って生きていた三人の船員たちにそう言った。
彼らも、船長と同じように血だらけで、真っ赤に染まっていて、
「ほぅ、そうか。そういうことか」
と、船長はその、せいぜい男であることと、三人とも同じ程度の身長体格で、船長よりも少しばかり背の低い程度の彼らを観察し、何やら勝手に納得する。
彼らは船長とは違い、腕を、目を、足を、欠損していた。傷口は新しい。綺麗な断面ではないのは明らかで、喰いちぎられたか、爆破されたか、潰れ千切れたか、そのどれかだろう。
「……」
「……」
「……」
三人共、唯、黙って、船長を睨んでいる。それを見て、船長は口を開く。口元を歪ませ、
「くくく、ふはは、ふはははは。てめぇら、未来を捨てたかぁ|。ははははは、ふはははあはは、なんつう、どうしようもなさだ。所詮、国内レベルでの一流、か。使えねぇ。んな失敗してる地点で、相応しくねぇわ、お前ら。外洋に出るには。辛うじて及第点だったのは、連れてきたケイト一人かぁぁ? なら、やっぱ俺は何一つ、間違えていねぇ。お前らは、ここで、俺の先の為の足場になるのが、正しい」
きっと、船長は、彼らが何を考えているか、きっと分かっている。理解している。だが、そんな意、汲まない。微塵も。船長の天秤は、既に裁定を終えているのだから。決すればそれは、もう、変わらない。
だがそもそも、
「俺がわざわざ手を下す意味も無ぇ。だよな」
船長の言う通り、もう、終わったに等しい。そして、
シュッ!
(ったく、長かったぜぇ……。皆殺し。そんな夢。まぁ、これが現実であろうが大して結果は変わらなっただろうがな。どうせやる事は変わりはしねぇんだから)
自身を一閃、頭を落とし、その視界が闇に包まれていき、
(さて、ケイトは砕け散らずに済んでいたらいいが)
その、敵も見方も皆ごちゃ混ぜに意識を繋げられ、作られていた世界。最も強固であり、根幹に据えられておいた、その世界に残った最後の意識が、散った。




