第百十八話 歪識、空海鞭
スタタタタ、カスッ!
甲板の上の、船長含め、活動可能な十人に満たない数の船員たちは、散り散りに走りながら、各々の手段で火を起こす。大概は火打ち石。手袋に何か火種を仕込んで発火させた者や、掌サイズの何かの先端を手の端から露出させて赤紫の炎を出した者など、色々であったが、誰も彼もが、
ブッ!
一切の躊躇無く、手当たり次第に火を付けていき、
ボッ、ボンッ! ブゥアァッ、ボッ、ボンッ! ブゥアァッボッ、ボンッ! ブゥアァッボッ、ボンッ! ブゥアァッボッ、ボンッ! ブゥアァッボッ、ボンッ!
破裂、爆発、焼けて白変した肉欠の飛散、炭化して崩れ落ちて塵となった形成途中の透明卵の中心部の影。そして、一際大きな、船内への最も大きな入口前の卵と中身が今、
ブゥアァッ、ブゥゥゥ……
無事、塵に変わった。成功したのだ。際どくもあったが、想定以上に、理想の想像を辿るかのように、大掛かりな見世物さながら。そして、船は燃えなかった。全く。木材でできている部分に焦げ付きすら無かった。
(……。信じたくはねぇ。だが、ここまで、何もかも、上手く行き過ぎている。何一つ失敗していない訳でもない。危機には何度も陥っているし、だが、だからこそ、何故、どれもこれもが、取り返しの付く範囲で収まってしまっている?)
「よくやった。だが、気ぃ、抜くなよ。あの塗り壁張っ倒して、竜巻起こしてる奴らまで何とかしねぇと、俺らは終わりだ」
(……。やはりこれは……、まだ……)
船長はそう、一言の賛辞の後、すぐさま、船員たちの空気を引き締めた。それだけで十分。わざわざ説明するまでもない。彼らは一流。それだけで事足りる。
それよりも、無視できない頻度で続いた、まるで調整されたかのような不都合。致命的でなく、不可逆でない、失敗。それが頭の中を渦巻き、無視できない違和感となる。だが、確信には至らない。だからこその、声掛け。
彼らに対して、理由なく短かな引き締めの言葉だけで足りると判断した証拠は、活動可能な彼らのうち、誰一人が厳戒態勢を解いていないこと。
状況はすこぶる悪いのだ。あくまで最悪を逃れただけ。二手に分断され、船員の半分以上が戦闘不能。死亡しているのでなく、大怪我を負って意識がある訳でもない。そんな、戦闘不能な彼らは、自分たちを捨ておくようにとか、お荷物にならないように消えたりなんて、選択できはしない。意識がそこにないのだから。
それが何よりたちが悪い。
(……。続かないな。らしくねぇ……。優先すべきは、目の前だ。背負ってるんだろう、俺は!)
「今ので分かったが、恐らく、火は効く。あの塗り壁にも、な。そして、奴らは仲間を庇わない。指揮系統や上下関係があるからという可能性も拭い切れねぇが、火が効くのは確かだろうさ。だから、そこのお前。ほら、お前だよ、お前。その、糸目のお前だよ」
「分かっている。あんたなら、これを無駄にせず決めてくれるだろうさ。一応言っておく。外すなよ。次弾は無い」
ポスッ。
船長はそれをまるで押し付けられたかのように渡された。
(……。おかしい……。まるで、何もかも予定調和のような……。一見予想外のように見えて、致命的な損失には至らず、薄い薄い、ニッチな打開策が何故か、手の届くところに、いや、まるで、差し出されているような錯覚すら、ある……)
掌サイズの、紫色の、二枚貝。その端から、薄ピンク色の二本の柔角のようなものがにゅきっと出ている。モンスターフィッシュ、漠日光。砂漠と海水の接触域に生息する、太陽光のうち紫外線を利用し、角先からレーザービームのような強度の光を放つ。それは不可視で、何かに被弾した際に紫色の炎を放つ。
これは、それなりに使い込まれているようで、出力が若い個体に比べて低いがそれでも十分な火力がある。だが、船長にはそんなことどうでも良かった。今重要なことはそれではないからだ。
それを手渡して数歩後ろへ退いたその糸目の若い男の目の奥を、覗き込むように、船長はその距離のまま、見た。
(見ているのは、俺じゃねぇ……。何でこいつは……、……、こいつの名前は……何、だ……?)
ギュゥゥゥゥゥ。
漠日光を握り締めながら、流れ始めた冷たい汗を、偽る。
(糞ったれがぁ……)
疑念は、もはや、疑念の域を、越えた。
コトッ、コトッ、
「……。あぁ、」
コトッ、コトッ、
船長は十歩分程度の距離をそうやって詰めながら、
「外しはしない」
距離を詰める。
コトッ、コトッ、
「だから、」
コトッ、コトッ、
そして、あっという間に手の届く距離。だから、
ガシッ!
糸目の男の肩を片手で強く掴み、
ギュゥゥゥゥゥゥ!
もう片手で、漠日光を握り直す。
(答え合わせだ。間違っていてくれても、まぁ、謝りゃいい。だが、そうは、ならないだろうなぁ……)
ギィィィ!
歯を噛み締め、
「安心し、っぅうう!」
トンッ!
ドゴォォオオオオオオオオオオオンンンンンンンン!
ブッ!
「うぉぉぉぉあああああああああああああああああああああ――――」
糸目の男は、見えない何かに振り払われるかのように、甲板から、海へと払い出され、泡すら上げずに、海に沈んで浮かんで来なかった。
船体に入ったまるで、巨大な鞭の一撃にでも見舞われたかのような縦長の凹みが船を横断していた……。




