第百十七話 破裂増殖
ガガガン! ガスッ!
場面を変えて、ケイトたち。ケイトと数人の船員たち。船の右舷後方、釣り竿を発射する三人を、ケイト以外の全員で分担して足首辺りから足の甲辺りにずっしり乗っかるように固定し、空に向かって振るわれた三本の竿の、空を走るように伸びていく糸と針のうち、二本が弾かれ、一本が刺さり巻きついたところだった。
船員たちは成功した、と安心するが、
「よし、やったわね。外した二人、後処理とか考えなくていいから、引っ掛かった一本目の上に重ねるようにやって頂戴! 早くぅううううう!」
ケイトは、万全を期す為に、そう叫んだ。相手は学習する。その恐ろしさを、ケイト組の中で理解しているのが、ケイトだけなのだ。一度失すれば、一気に不利になる。同じ手は効かない。もし逃げられでもしたら、その手は、菌を介して、他のどうということのない魚の脅威度までを、どうしようもない位に上げてしまう。
一撃。必ず、それで終わらせなくてはならない。
ガスッ、ガスッ、ギスッ!
「よし」
「成功」
「ん……」
「おい……」
ギススス、プゥゥゥゥウウウ――――
貫かれたにも関わらず何故か、破裂せずに、逆に、それは膨れ上がっていき、
「あぁあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!」
これまでの経験則、保持する知識から、ケイトは今の一撃が、相手にとってでなく、こちら側にとって致命的であったことに気付く。
スサッ!
金魚風船に大して、紫色の薬液の入った注射を投擲しながら、ケイトは叫ぶ。
「誰か、止めてぇええええええええええ! 私だけじゃ、足りないぃいいいいいいいいいいい!」
他の船員たちからの救援は、
パァァァァンンンンンンンン!
間に合わなかった……。
「っぅうぅぅううっ! ぎりりりり。全員んんん、船内へ、走ってぇぇえええええええええええええ! 押し潰されるわよおおおおおおおおおおおおおおお!」
噛み締めた唇から血を流しながら、ケイトは血走りつつも潤んだ目をして、周囲の船員たちに向けて叫んだ。
ビチャチャチャチャチャ、ビチャチャチャチャチャチャ!
増え続ける、何かが弾ける音。上から聞こえてくるそれに目を向ける時間は無い。
ドタタタタ――
スタタタタ――
一目散に駆け出す船員たち。ケイトがこのような緊迫して冷静でありつつも焦った、シリアスな感じなど、当然彼らは今回が初めてな訳であり、その上、ケイトのモンスターフィッシャーとしての卓越した腕、訳知りな風であること。
そこまで揃って、従わないような、疑うような愚か者は、ここにはいない。
ケイトは蹴躓いてしまった壮年の船員を起き上がらせて、最後尾を走って、
(船長たちは、間に合わない。けど、船長なら、何とかするでしょう。それに、恐らく、即死は無い。一に圧迫、二に強制睡眠。その後に窒息死、と来るかしら。だけど、大丈夫。全員が強制催眠状態にならないだけ、最初よりも状況はずっといい。ここから船内への最も近い入口までは十数メートル。まず、大丈夫)
タンッ、ゴロッ。
共に、扉の中に転がり入った。
ビチャチャチャチャチャチャ――――
ボチャボチャボチャボチャ――――
そして、勢いよく扉を閉める際、船長たちが、上手いこと、大量に降り注ぐ巨大な半透明の中に何も無いように見える人一人分程度の大きさの、恐らく、弾けた金魚風船が発生させた卵を避け、いなし、しかし大半の外の船員たちが、眠りに落ちていったり、避け切れず、その中に閉じ込められ、一瞬もがいただけで気を失っていく様を見た。
(私がもっと、早く、気付いていれば……)
背負い込むケイト。この因縁は、この危機は、自身が招いたものであると思って疑わない。だが、そこで塞ぎ込まず、直視する。逃げない。
「絶対後で助けるからあああああああああああ!」
ケイトのその叫びに、外の生き残っている船員たちは、ちらりと、笑みを返したかと思うと、
ガコォォオオオオンンンンンンンン!
扉は固く重く、閉じられた。
ブゥッチャァァアアアア!
一際大きな、ねっとり音と共に。閉じかけた扉の隙間から一瞬見えたそれは、他のものの数十倍の大きさの、透明な巨大卵だった。
「船長、船内にも何人か割かないと不味い。中におびき寄せられたって可能性は無視できない。あいつらは明らかに、統率された動きをしている。戦略を駆使している」
「だな。新たに中に何か出るかも知れんし、目を覚ました者がいれば説明も要る」
「よし、行け」
船長がそう言うと、髭もじゃなおっさん二人が別の入口から船内へと入る為に、卵の合間を縫うように、飛び跳ねるように掛けていった。
スタタタタ! タンッ、スタタタタ――
「残りは、各自、考えて動け。お前らなら、できるだろう。別に俺じゃなくてもいい。他の指示を邪魔しない指示なら、ガンガン出してけ。そうじゃない指示が必要そうなら、俺に言え。俺が間違ってそうな時があれば、遠慮なく言え。俺が崩れたら、そこの爺さん。あんたが指示取ってくれ。俺も爺さんも倒れたら、他の奴が適宜頼む!」
「引き受けようかのぉ。じゃが、儂の出番が来ないように、足掻いてもらいたがのぉ」
と、巨躯総髪の御老人がそう答えたが、船長はそれに言葉を返すことも、頷きを返すこともしなかった。必死に頭を働かせ、事態の把握、先の予測に努めていたからだ。
ケイトと完全に分断された以上、この中で最も、これらについての知識を持っているのは船長ということになる。他の者たちが決して無知と言う訳ではないが、今回の相手は、特殊にも程がある。
モンスターフィッシュでない、普通の魚が、他の何かの影響でモンスターフィッシュに匹敵する危険存在になった姿。ケイトから以前話を聞いていなければ、この歴戦の船長であろうとも、誤った判断をしただろう。
(つまり、こいつらは、強制関係ではなく、従属関係。頂点はこいつ。相当厄介だ、これは。本拠地で相手したアレと同じように、高い知能を持つということだ)
一番知っていたケイトですら、やらかした。やらかしたことにすぐさま気付いたから何とかなった。ケイトの声が無ければ、船長たちは、漏れなく、空からの急襲にやられていただろう。
(人の言葉を超能力的な何かでであるが、発したのは確か。で、明確な悪意でなく、目的は、遊び。稀有なことだ。そして、非常にたちが悪い。捕まえたいところだが、それにもリスクが伴う、か。ってぇか、そういうこたぁ、今は考えるべきじゃぁ無ぇな。ケイトには悪いが、やり方を変えるか。長旅に、リスクは背負えねぇし、これは俺の旅じゃぁ無ぇ)
「おしっ! お前らぁああああ! この邪魔な真ん丸透明に火ぃ付けろやぁあああ! あぁん? 船、燃える? 構わん! やれ! ここで全員おっ死ぬよりましだろう。それに海流の流れからして、船の沈没に巻き込まれなきゃ、死にはしねぇ」
と、船長は、叫んだ。というのも、半透明な卵の中心に、薄くだが、影が、何かの形を取り始めたから。




