第百十五話 細菌性変異種
「最悪ってことではないの。だって、私たちは、短時間での致死性のウイルスに犯された訳ではないのだから。ウイルスが齎した効果、それは恐らく、私たちが見た夢。脳に影響してる。そして、それは、一度乗り越えると免疫がつく。凄く短い風邪、みたいなもの、だと思う。今回の場合は。だから、もう目を覚ましてる私たちは大丈夫。だけど、まだ眠ってる人たちの意識が戻ることはこのままだと保障できない」
ケイトは本当に、一切の情報捕捉をせず、そのまま続きを話し始めた。間延びした話し方ではない。専門家として、真剣に話している。
「だから、群れの主を捕まえないといけない。殺さず生け捕りで。ワクチン作るから。細菌型は、ハチやアリのように、群れの主の姿は他と明らかに違うようになってるから。そういう風に、設計されてるから」
ケイトがそう言うと、周囲は少しばかりざわめいた。歴戦のモンスターフィッシャーたちですら、それは、騒めいてしまう言葉だった。
『ワクチン作る』
『そういう風に、設計されている』
この二つの言葉。それは、ケイトが背負う罪を周囲に明かしたことに他ならない。世界が今のようになった原因の一つにケイトが深く関わっている、と。
一般には知られていない情報。だが、現代の情報強者であるモンスターフィッシャー、それも、一線級、各地から集めてきたとなれば、当然、知っている者もそれなりにいる。
ケイトは大きく息を吸って吐いて、吸って、吐いて、今まで以上に真剣な顔つきになって、
「聞きなさい!」
低く周囲に響くような、女性とは思えないような声で、騒めきを無理やり沈めた。
(おい、ケイト、まさか、言うのか、今ここで……)
「私は嘗て、疫病対策官としてある一人の男を追って世界を巡っていた。その男は、魚類限定で細菌型変異種を作り出す効果を持つ副作用を持つ最初のウイルスを作り出した男。私以外、疫病対策官はもう一人も残っていない。そして、その男は未だ生きている。私はだから、ここで終わりになる訳にはいかない。私がそいつを捕らえ損ねた罪を、細菌型変異種をはびこらせてしまった罪を、取るまでは死ぬに死ねない。私が憎い人、この中にもいるでしょう。けど、悪いけど、殺されてやるつもりはない。全てが終わるまでは。まして、こんな道中で何一つ責任を取らず、死ぬ訳にはいかない」
ケイトのその言葉を聞き、船員たちは全員、元のような真剣な顔つき、臨戦態勢に戻った。
ケイトはそれからも話を続けた。
知って貰う為に《・》。
心の強い者たちは、絶望的な脅威との対峙より、捕捉すらできないが確実に存在する未知を恐れると知っていたから。
船長は一切それに口を挟むことなく、一人、空を見上げている。
(やはり、主か、それに近しい存在であろうあいつも、船の周りの不気味なあれらも、動き出す気配は無ぇ、か。だが……)
ケイトが主と予想した、鉢ごと浮かび上がっていった個体は、今にも鉢を内側から弾けさせるのではないかという程に膨張していた。ただ風船のように丸く膨張するというより、細長く。
まるでそれは、巨大化の途中のようにも見えた。
(ケイト、時間はそう無ぇぞ、お前の予想通り……。行動が変化したということは、対応も変化するってことだからなぁ……。それに、一つ、割とどうしようもない懸念がある。鉢に入り切らないサイズにこいつが成れるなら、捕らえ放しにしておく術なんて、無ぇ、ぞ……。まぁ、気づいているからこそ、こう丁寧に話をしている、というのもある、か。周囲の奴らも、ちゃんと気付いてやがる。ここでひそひそ喋り出さねぇってとこが特になぁ)
全長数十メートル級の大きさになり、船の上空50メートル程度の当たりにそれはいながら、甲板上から見て見掛け数センチを保っていた。
(やべぇ……、届かなくなる。未だ、ケイトや他の船員たちには時間が要る。俺が行くしかねぇ、か……)
船長はケイトに一瞥し、そこから離れ、船のマストをよじ登り始めるのだった。
ケイトはそれに目で一瞬で反応を返しつつ、続きを話し始めた。
「これらの金魚の最近変異種群が持つウイルスは、恐らく、原種にかなり近い。効果が似過ぎている。元種は二つの側面を持つ。一つは、その開発者の男限定で作用する、成長性を維持したまま不老不死の実現を齎す、共生菌という側面。もう一つは、"蕩ける悪魔"という、名の、ある意味史上最悪の病原ウイルスとしての側面。人を含め、全ての生物が媒体となる。そのウイルスによる発病は人だけ。なぜならそれは、精神に作用するウイルス。物理的、科学的に取り除くことはできない。自力で打ち勝つしかない。そういう、ウイルス……。トラウマ持つ者の心壊す、悪夢……」
"蕩ける悪魔"。その名称を知っている者が今現在意識を保ってここにいる船員たちの過半数が知っているようだった。そして、そんな彼らにこの未知のウイルスを、既知の災厄に紐付けさせることに成功したということでもある。
それでもケイトは焦っていた。
(急がないと……。それも、唯急ぐだけじゃなくて、空のあれを引き摺り下ろす策と、拘束する策を用意しないといけない……。船長が何か思いついてくれていたらいいけど、それに期待し過ぎるのは危険。船長だって、全能じゃない……。相手はモンスターフィッシュじゃないから、せいぜい、万能止まり。結局、私が打開の起点になるしかない)
「誘眠作用に加え、悪夢構築の作用。だから明らかに、近い。だから、ワクチンは作れる。そして、確実に効く。私が生きているのは、そういうこと。だから、もう何も恐れることはない。空のあいつさえ、捕まえてしまえれば、全員無事に生きて、この危機を乗り越えられる!」
この話における最低限の目標は果たしたと言わんばかりに、巻き気味に勢いで話を終わらせ、周囲を鼓舞し、
(だけど、私はここで意固地にはならない。同じ罪を重ねてなんていられないから)
「後は、誰か、空のあいつを私たちのいるここまで引き摺り下す策は、無い? お願い、駄目元でもいい、考えて、口にして!」
そう、周囲に訴えた。




