第百八話 嵐の晴れ間と眠りの帳
ごぉぉぉぉぉぉぉぉ――――!
「うるせぇぇなぁああああああ!」
船長はミュートされていた音声が急に有効になり、それが激しい勢いで大きくなっていくかのようにうざったらしく、耳に、頭の奥に、少々低く、大きく重く響き揺るがされるかのようなその音に業を切らし、そう叫びながら、目を覚ました。
相変わらずの、雲一つない晴れ渡った空と、荒波と大渦。海上の異様な竜巻水柱等が見える。
明らかな天候の異常。
そして、知らずのうちに、自身を含め船員全員、このざま。
(ったくよぉ、先が思いやられるぜぇ……。出港から僅か三日目で、これか……)
甲板に見えるだけでも数十人の船員たちが、呻き声や酷い汗、のたうち回り、懺悔等、自身と同じように悪夢に見舞われているさまが見てとれた。
(どうやってこいつらを起こすか。それと、原因の排除。同時にやらにゃぁ、ならねぇ。俺もいつまた眠りに落とされるか分からねぇことからして、原因の排除が、先か。こんなおかしなことが起こるってこったぁ、モンスターフィッシュ絡みしかねぇ)
船長は甲板の中央で座り込む。
(だが、どう見てもこりゃぁ、一種類じゃねぇ。数種類。それも手を組んでやがる。共生関係の複数種のモンスターフィッシュの仕業ってぇ、ことだ。俺一人じゃあ、流石にきちぃ。そう酷そうな悪夢見て無さそうな奴を探して、叩き起こすきゃねぇな。勝手に起き上がってくれりゃぁ、一番都合がいいが。いっちゃんやべぇのは、この悪夢を俺含むこいつらに見せてる奴だ。役割が分かれてるとして、まぁ、一種。数は分からねぇな。一体か、複数か。一体なら、恐らく、海の中だろうな。その場合だと船の装備で、殺るっきゃねぇ。複数体なら、一体一体の出力は弱ぇ。船の上にいる、それも隠れて)
考えを纏めた船長はのっそりと立ち上がる。
(これ位乗り越えらえないようじゃ、やってけねぇかんなぁ。初見殺しは大量。その全部を避けることなんて無理だ。だが、死なねぇように耐えて、罠から抜けるこたぁできる。それを意識してるかどうかが、俺と、今寝てるこいつらとの違いだろうなぁ……)
周囲を見渡すと、依然起きる様子のない船員たちが各々にうなされていた。
(俺含めこいつらを眠らせた原因らしい奴らはばっと見た感じじゃぁ、見当たらねぇ。取り敢えず、こいつら全員、一箇所に集めるか。引き摺っている間に目を覚ますかも知れねぇし、ある意味こいつらを起こすような動作をしている俺の前に、こんな状況を作った奴らが現れるかも知れねぇからな。なら、アレが要るか、念の為に)
船員たちの呻き声が十分に聞こえてくることからして、どうやら船の周りの海からの音が酷く不快で大きく感じていたのは、気分の問題だったという結論を船長は出す。
(これなら、何か近寄って来ても気付けねぇってことは無ぇかもな。で、これは念の為だ)
船長は海水注入済みの蜘蛛糸水槽をその辺から幾つか取り、船員を引き摺る進路近くにばらけさせて、置いた。
蜘蛛糸水槽は、甲板の至る場所に、纏めて積み上げられて置かれていたのだ。モンスターフィッシュ捕獲用兼保存用兼船体防衛用として。
「ぅぅ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
重労働の最後の荷物の一つを、
バッ、ドサァ。
少々乱暴に置いた船長は、息をあげていた。炎天下の下でのその作業は、並みのことでは息を上げることなどない船長を息絶え絶えにしていた。
船長は肩で息をしながら、両手を両膝に当てるように、上半身をうなだれるようにしつつ、頭を上げ、目の前に集積した甲板に出ていた分の船員たちを見下ろしながら、
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……、てめぇら、誰も起きねぇのかよ、おい、はぁ、はぁ、おいいいいいいいいい! はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
叫んだ。そして、
バッ、バタン!
後ろに倒れ込んで大の字になる。
(100人をちょい超える位、か。しかも、一人も、船内の各機器や装置などの技師要員は混ざっていねぇ。やっぱこいつら、それなりに優秀だな。自力で目を覚ませていねぇ地点で、俺が引き摺っても起きない地点で、所詮、それなり、だがな。まぁ、それが分かっただけでも、まし、か……。くそっ、実質骨折り損じゃねぇか……)
それは数時間掛かりの過重労働だったのだから。そして、望む成果は微塵も得られなかったのだから。
(……、ん?)
視界の一部に影が一瞬差したような気がして、船長は不審に思い、休息を終えることにした。
一気に体を起こし、すぐさま動けるように身構えると、
「船~長~、中のもみんな~、ぐっすりお休みよ~」
間の抜けた声で、ケイトが声を掛けてきた。
「ケイトォォ……、お前なぁ……」
そう言いながら抱える船長は、
「まぁ、いい。俺以外に目覚ましてる奴がいたのは僥倖だ。しかも、言わずとも仕事してくれるったぁな。珍しいじゃねぇか。お前ぇにしたらよぉ。で、これらの現象、お前どう思うよ?」
色々言いたかった小言は彼女が仕事したのだからと差し引いて、本題へ入った。
「成程。だいたい俺の考えたのと同じだな」
ケイトの話を聞いて船長は、自身の予想や、これから取るべき方針は特に変える必要が無いと判断した。
「それは良かったかな~。ね~、船長。こんなことならさ~、メイン、こっちの船にもっと乗せとくべきだったよね~。ま~、これくらいなら何とかなると思うけどさ~、きっと、めんど~。じゃあ、もっかい中見てくるから、船長~はもうちょっと休んどいたら~?」
そう言って、ケイトは再び船内へと戻っていた。
ギィィ、ガタン!
今度は扉の音を消すことなくしっかり立てて。
ケイトが言った、メインというのは、船長の船の中でも、行動力と指揮力と自律性と知恵を一定水準以上に持ち合わせたあるメンバーのことである。船長が自身の船に少年を引き入れたときに最初に会わせた、少年と船長含めた七人のことである。そこから、少年とリールが欠けての五人が現在のそのメインである。
(確かにあいつの言う通り、配分間違った感はあるな……。こっちの船には、俺とケイト。向こうの船には、クーとポーとあと、あいつだ。茶髪眼鏡。……座曳だったな。そうちゃんと呼ぶと決めたんだから、そうしねぇとな。なんせ、任せちまったんだからよぉ、船長を、座曳によぉ)
こちら側の船、百頭号。そして、船長が元々保持していた、団の船、瑠璃色夢想者号。その二つが、同じ日に共に出港していたのだから。
しかし、その目的地は、通る航路は別。目的も、別。
船長は、大きく重い目的を、座曳に話し、自身のその役割を、託していたのだから。それの成功率をできる限り上げる為に、船長は自身の団の船員を、ケイト他数人しか、こちら側の船には乗せていないのだから。
だから、襲い来る事態に歯向かうには不安がある、ということに今頃気付いたのだ。らしくなく、遅れ、気づいたのだ。
(あっちの航路の方が危険度はやべえ……。日本近海に未だいる俺らですら、こうだ、このざまだ……。だが、気にしてもどうにもなるめぇ。信じるしかねぇ、な。それに今は、目の前のこの状況を何とかしねえ、とな)
船長はそうして、意識を現在の船の状況へと集中させるのだった。




