第百五話 漂着
……、……、……、ザァァ、……、……、ザァァ、ザァァァ、ザァァァァァァ。
「うぅ……、ゲホッ、ゲホッ、ゴヒャァァ、ブフゥウウウウウウウウウ、ゲホゲホッ、くぅぅ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、生ぬるしょっぺぇ……。他の……奴ら……は……、くぅぅ、目が、禄に、見えねぇ……。体が重ぇ……」
目を覚ました船長は、飲み込んだ大量の海水を吐き出しながら未だ重く、霞んだ視界で頭を上げることもできない有り様であったが周囲を見渡す。
匂ぃから分かる。ここは海だ。海岸だ。磯の匂ぇがすっからなぁ。つまり、最悪の結果。そういうこったぁなぁ……。
この未だ霞んだ視界でも十分分かる。ここは何処かの島らしい。それも無人の。で、俺はここに漂着、した。でもって、他の奴らは少なくとも近くにいねぇ……。
まだ当分動けそうにねぇとはいえ、頭が回るだけ、まだまし。とはいえ、それも長くは保たねぇだろうが……。体が熱ぇ……。熱が出ているという訳じゃあねぇ。この海岸が、日差しカンカンてこったぁ。手の影から分かる。日は最も高い時間の少し手前ってとこ。つまり、あと数時間はこのまま蒸し焼きってこった……。
掛かる海水は温いを通り越して、熱ぃくれぇだ……。どちらにせよ海からは出るとして、
ザァ、ザァ、ザァ、ザァ。
はぁ、しんでえ……。だが海から完全に出た以上、このままだと、
干乾びる……。
くそっ……、這いながらでも、あのぼやぁぁっとした木っぽい塊の辺りまで進むしかねぇ……。距離も分からねぇが、このまま干乾びるのは、御免だ……。
多少無理してでも、日陰……。時間は掛かったが、やって、よかった。凡そ1時間から2時間ってぇとこかぁ……。我ながらよく辿り付けたもんだ……。
必死に辿り着いたそこは、木が密集して生えている地点だったが、視界がバカになっていた船長はそれが何であるか特定どころか、推測すらできなかったのだが、
あぁ、何とか視界は、戻ってきたかぁぁ……。木が見える。ヤシの木の類か。見掛け通り、なら、だが……。
少なくとも、俺の知らねぇ島だ、ここは。
そうやって、先ほどまでよりも少し安心し、大きく息をついた。
でもって、未開領域の島の一つだろうか? 場所は分かんねぇ……。候補が多過ぎる。それに、どれだけ流されたかも全く分かんねぇ……。
船が動いた距離も禄に分かんねぇ……。
当然と、いえば、当然か……。
あれは、シュトーレンの野郎が乗ることを計算に入れた船だ。
奴しか使えねぇ、理解していねぇ設備や装置の類が余りに多過ぎた。集まった人材が決して、シュトーレンの奴に劣っていたとは言わねぇが、あいつの知識が余りに広範に及び、一級の専門家の集団の域に達していたからなぁ……。
分かっていた。分かっていただろうが、俺ぁ……。冷静になって考えてみりゃぁ、分かる、ことだった筈だ……。
船長はこみ上げてくる涙が止まらなくなった。それはこんな事態になったことに対する自責の涙。仲間を失ったであろう悲しみに対する涙。シュトーレンの代わりを引き受けておいてよりによってこんな序盤の序盤で果たせなかったこと。
そして何より、そんな普段なら絶対やらないことをやったのは、それをだしにして少年が、あの、ある種モンスターフィッシャーの神にでも(そんなものいないと船長は分かっているが)愛されたかのような、あの少年がひょっこり出てくるのではないか? 何か出て来れない理由があるかも知れないが、ひょっこり出てくるのではないか? それか、出港の瞬間、不意に姿を現すのではないか、そんな愚かで何の根拠も無い自分勝手で船を出港させ、難破、いや、恐らく沈没、させてしまった、ということに。
船長が船を出して、七日後のこと。座引に任せた船と進路を別に分かれて四日が絶った日のこと。一件何ともない晴れ渡った穏やかな地平線が広がる海。それが突如荒れ出した。
空は一瞬で、まるで、映像でも映し出すかのように、雷雲と黒い雨雲が一面を埋め尽くすかのように展開したのだから。その間、一秒にも満たなかった。
明らかな異常。
そして、そうなる数分前。船の中央にある船長室にある、直径2メートル程度の巨大な円形の球のようなものが床面に半分程度めりこんだ装置。そこには、船の位置と、その周辺にある障害物の大きさを現す装置があった。
船長も乗組員たちも、それが何であるかを知らなかった。
今は行方不明の、恐らくもう亡き者となっているであろうシュトーレンのことを船長は回想する。
シュトーレン曰く、『これは、"ソナー"と言ってだな、海中の障害物の存在を教えてくれる道具だ。この、キィィン、キィィン、という音は、こいつが正常に作動している際になる音だ。で、画面に映る点の見方は、これは、当日までの内緒だ。分かるだろう? これの見方と、この船の操縦の仕方を知っていれば、実のところ、この船は一人で航行可能。だから使い方が漏れる可能性は避けねばならんのだ。ふははははは。当日になれば、全員に教える予定だ。だから楽しみに待っていろ。ふはははははは!』
と言っていたが、もうその声を聞くことはもう無いのだと、船長はまた、大きく溜め息をついた。
船長は、それが旅の鍵となる道具であると知っていて、それが何か分からぬうちに、検証すらもせずに船出してしまったのだから。シュトーレンが若しかして戻ってくるかも知れないと期待していたのもある。その本来の期待目的は少年とリールであり、シュトーレンはおまけでしかないが。
だから、船長は自身の罪は重罪であると判決を下していた。
恐らく、世界が洪水で衰退してからそれは最も危険な旅の一つといえただろうと、彼は分かっていた。それでいて、万全でない状態と分かっていつつ、オーハーツの塊であるがその使い方を分かっていない部分も多々ある状態で出港した。それも、貴重な知識やスキル持ちの大量の船員を乗せて。
死刑なんて判決が無いのは、それが、この自分一人しかいない状況では唯の自殺でしか、逃避にしかならないと、こんな状態でも彼は狂わず、弁えてしまえているから……。
誰が彼を、唯の愚か者、と責めるのは少々……、いや、それどころか、彼はそれを望むことも拒絶することも決してできない。だから、今のこの彼の状況は、彼の全てを否定する責め苦、悔いつつ、一人生き続ける地獄に他ならない。




