第百四話 船出、曇天の空の下
就任演説が終わり、出港準備を既に終えてある、"鉄の船"へと船長は移動していく。島の南側に停泊されている、そう呼ばれるオーハーツのへと。
数々の武装が付いたその船は、現在主流の帆船などとは比べ物にならないくらい、無骨で、威圧的で、巨大で、異形だった。
傾斜をつけて上へ突き出される槍の如く、聳える、巨大な大砲。それがどれだけの破壊力を持つか、前時代を知る者以外、誰も想像できない。
これは、モンスターフィッシュとであろうと、戦える船として用意されたものなのだから。
集まった者たちは、既にその船を何度か見せられているため、腰を抜かしたり、奇声を上げるほど感動したりはしない。そもそも、彼らは肝が据わっている。モンスターフィッシュはある意味この船以上に珍妙なものなのだから。
見掛けは、巨大な巨大な重々しい、無骨な船。金属で覆われている、黒い、非木材の船。それがどうして浮かぶか説明できる者は、世界でも数十人程度。20世紀に作られた、戦艦という分類の船である。それも、超弩級の。
マストとそれに付随する帆の無い、船。それがどうして海の上を風に逆らって進むことができるのか、大概の者は理解できない。
マークス家が密かに海中からサルベージし、修復し、改造した、海の上で戦うための船。数百人もの人員と必要物資を載せられる船。風に頼らず、時には逆らい、進む船。この長い旅路にはこれほど相応しいものは無いだろう。
全長263メートル、全幅38.9メートル。積載限度については考える必要は無い。それを軽減するための手段は数多く用意されており、そもそも、積載限界までの余裕はかなり大きい。極めて重厚な機関を搭載されていたオリジナルの状態のときですら、想定された搭乗人数は3000人を超えていたのだから。
機関部は原型を留めないほど改造されており、石油や電気で動いたりはしない。蒸気機関搭載なんてこともない。この新時代の技術によって、石油や電気以上に効率よく、長く航行できるようになっていた。当時ほどの最高速度は出せないが。
その船はかつて、戦艦"武蔵"と呼ばれていた。
そんな、シュトーレン・マークス・モラーがこれでもかと手を加えた船。厳密には、シュトーレン・マークス・モラーが、狙ってサルベージし、狙って当時のスペックを再現し、その後に中身を弄くり回したのだ。
つまり、この船は、見掛けは"武蔵"な別の何か、なのだ。
その内部を知る、専門の技師たちは全員、集まった者たちの中にきちんと紛れていた。尚、彼らの大半もモンスターフィッシャーである。船の改造には、数多のモンスターフィッシュ素材が使われているのだから当然ではあるが。とはいえ、彼らは職人としては一流であるが、モンスターフィッシャーとしてはいいとこ二流、殆ど三流であった。だから、シュトーレンは船団員として一流所のモンスターフィッシャーを集める羽目になった。
船長は誰よりも先にその船に乗り込んで、集まった者たちを見下ろしながら宣言する。
「まだこの船に名はない。本当はシュトーレン・マックス・モラーがこいつに名前を付ける筈だったが、その役目は俺に回ってきた。俺がこいつの名前を決めることに異議がある奴はいるか?」
それは確認の意味も込めていた。この、島海人を長として据えても本当にいいのか、という。
様々な声が飛び交う。だが、その中に否定の言葉はない。
「この船の名は、"百頭号"。百頭というのは、百頭魚から取った。この国の幾つかの旧い作り話に出てくる、空想上の魚のことだ。外見はそうだな、この船と同じくらいだ。そんな巨大な魚だが、当然、普通の魚ではない。馬、猿、犬、豚、虎、狐、羊、蛇などの頭が、土台となる魚の頭に当たる部分から100もの異種の頭が、生えているわけだ」
殆どの者は知らないらしい。だが、一部の老人は知っているようで、彼らが周囲の、分かっていない者たちに説明してくれているようだ。
(先行きは良さそうだ。空の色とは違ってなぁ)
船長は空を見上げる。相変わらず澱んだ雲で覆われている。
「そんな化け物魚。土台となる魚は諸説ある。どの説でも巨大で屈強そうだがよぉ。はっ、モンスターフィッシュなんて、もっととんでもが幾らでもいる今の世界では化け物っていうほどでもない、か。ははははは」
そう言って、船長は豪快に笑う。そして、真面目な顔をして、笑うのをやめて、続ける。
「俺たちは、全員、違う人間だ。掲げられたお題目とは別に、それぞれ違う目的を持って、ここに集まった筈だ。だが、俺たちはそれでも、一つとなって、同じ方向へ進んでいかないといけねえ。そうしなければ、死ぬだけだ。無為に、死ぬだけだ。俺は御免だ、そんなのは。だから、戒めとして、これをこの船の名とする」
歓声が上がる。この日一番の大きさの歓声が。
船長はやっとのことで、集まった人々一人一人のチェックを終えた。探す。少年を、探す。それが無駄であることは予感していたとはいえ、そうせずにはいられなかった。
(……、居ねぇ、か。くそぉぉぉっ……)
それでも船長はそれを顔に出さない。それは許されないことだと理解しているから。船長は、目を閉じ、気持ちを切り替える。
「お前ら、出港だぁぁぁぁぁっ! 乗り込めぇぇぇぇぇっ!」
船団員たちはその号令とともに、船へと乗り込んでいく。流れ込むように。そして、船は錨を上げ、出港していった。誰にも見送られることなく。
曇天の中の、出発であった。




