第百話 海月夜海
少年は椅子から立ち上がろうとはしない。倒れた二人をただ見ているだけ。主にリールを。時計がなく、時間を図る術は、差し込む光の量のみ。
そして、その量は次第に弱くなってきていた。少年は、天井から入ってくる微かな光を、焦点の合わない目で眺める。
実は、部屋の四墨の上下に、計8個、電球のような構造がある。丸い、透明な、直径5センチ程度の球。だが、ただの綺麗な玉にしか見えないそれをどう点灯させればいいかは、少年には分からなかった。そもそも、これが電灯であることにすら気付いていない。
だから、天井の中心についている半透明な突起を押そうとはしない。
少年はこれのことを、海上から差し込んでくる光を集めるための突起としか思っていない。
この時代、電灯なんてものは、立派な遺失物だ。スイッチを押すだけで、光を発する構造物であるということを知っている者は一部の例外を除いて皆無といってもいいのだから。
少年はぼんやりと思考していた。椅子に体をすっかり預けながら。もはや、リールやシュトーレンの様子を見てはいない。
(どれくらい経ったんかなあ)
それすらもう把握する術はないのだから。全く。自身の感覚でしか、体感できない。だが、時間の感覚なんてものは、外からの情報無しに、自身の感覚のみで性格に図り取れるものではない。
少年は、その静寂漂う場所で、溜息をつく。
(考えるだけ、無駄か……)
少年は目を開いて、前を見ている。だが、それは無意味なこととなっている。なぜなら、今は夜なのだから。太陽の光はもはや、少年たち3人がいる、この透明な密室の中には一切届いていない。
静寂が漂う。
あまりにも静かだった。周囲の水が伝えてくる音もいつの間にか消えていた。
そう。
ここには、今、何もない。
今の虚ろな少年の心の中のように。
ただ、暗闇に漂うばかり。
見えはしないことは分かっているが、透明な壁の向こう側を少年は見つめる。ここは海なのだから、きっと何かしら、魚が近くにいるはず。それでも見ていたら、少しは気が紛れるかもしれない。そう思ったのだろう。
だから、少年は意識を目に集中して見えるはずのない魚を見ようとする。視力が異様に高く、夜目もたいそう効く少年ではあるが、それでも見えない。
ここは元々、人が周囲の様子を見ることがかろうじて可能である程度の限界深度すれすれなのだから。夜ともなれば、人の目ではもう、何も捉えることはできはしない。
根気強く前を見続けた少年であったが、眼球の乾燥を感じ、とうとう諦めた。
(もう、疲れたわあ……)
少年は、そっと瞼を閉じた。そして、ぼそりと呟く。
「はじめからこうしとけばよかったんかなあ……」
頭の中で、色々なことがぐるぐる回る。
阿蘇山島から出たときのこと。東京フロートまで来てみて、一度打ちひしがれたこと。でも諦めずにがむしゃらに頑張ってなんとかリールに手が届いたこと。と思ったら、それは自分勝手の極みみたいだったと思い知ったこと。
自分が傷つけた者たちからその傷を見せつけられたこと。そもそも、自分がリールを追いかけてきたのは、当のリールは歓迎していなかったのではないかということ。自分はただ勝手に舞い上がっていただけで、結局、島を出る前といっしょ、独りぼっちなのではないのではないかと……。
そして暗闇の中で、少年は音も立てずに涙を流した。いつまでもいつまでも流し続け、やがて、疲れ切って、意識を手放した。
 




