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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第一部 最終章 東京フロート
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第九十九話 暴と傍観

 少年はただ、見ている。結末を見守っている。


(俺は、当事者、ちゃうかったんか……。分からん、ほんまに、分からん、見てても意味わからんし、俺はこのままだ黙って見ているのが正しいかも分からん……。ただ、俺に入る余地は、今は無いんや。あの間には。)


 虚ろな目で二人を見つめている。


(俺は、自分勝手なことをした。そのはずやった。そうだと分かった。だから、本心から頭を下げた。ほんまに悪いと思った。でも、もう、シュトーレンは俺を見ていなかった。リールお姉ちゃんも、今は、あいつしか目に入っていない。俺なんて関係なかったんや……。おらへんのと同じ……。だから、こうなってるんや)


 少年は二人に視線を向けたまま、手だけを動かし、自分のカップをテーブルから持ち上げる。そして、ゆっくりゆっくりと、それを肘の高さまで、胸の高さまで、上げていく。


 透明なカップの取っ手の継ぎ目付近に罅が入り、その割れ目から、少し赤みを帯びた琥珀色の液体が姿を見せた。だが、零れてはいない。


 少年はそれに気づくことすらせず、さらにカップを握る力を強めていく。そして、首元辺りにきたところで――――


 ゴッ、ツゥゥゥゥゥ……


 少年はそれに全く反応しなかった。






 同時だった一発目からは、どちらかが一発ずつ拳を放つ展開となる。


 二発目。


 グゥアアアアアアンンンンン、

 

 リールの拳が炸裂する。シュトーレンの顎を下から斜め上に向かってごすりと上げるような一撃。巨大な振り子を描くような、テレフォンパンチを、シュトーレンは避けなかった。


 ゴキィィィィ!


 何かが砕ける音がした。だが、二人とも、平然としている。だからきっと何もないのだろう、と少年は判断した。


 三発目。


 ザッ!


 素早いジャブのような、シュトーレンの一撃。だが、フェイントも入れず、曲げもしない、まっすぐなジャブのような一撃。


 グゥン……

 

 ポタポタポタ……


 リールの鼻からは鼻血が出始めた。


「リー――――」


 思わず声が出そうになった少年は、はっとして自ら、自身の手で口を塞いだ。なぜなら、リールはその声に対して、一切反応を見せなかったからだ。


 つまり、ここでも、少年は邪魔者でしかないのだ……。


 四発目。


 ゴォォォォォォンンンン


「ブゥゥゥゥゥッ」


 シュトーレンの口に、リールのラリアットが炸裂した。どうみても避けれそうな一撃を、シュトーレンは、避けないだけでなく、打点をずらすことすらしない。


 激しい血飛沫がシュトーレンの、後ろにのぞけった顔についた口から放出され、少年の座っている机まで飛び散る。


 顔にその飛沫の一部が付着した少年はそれを一切拭おうとしなかった。


「ぺっ」


 シュトーレンは何かを吐き出した。それは、へし折れた奥歯だった。


 五発目。


 ゴォォォォォンッ!


「ぐほぉ……」


 シュトーレンの拳が狙ったのは、顔ではなく、ボディ。腹。強烈な一撃によって胃を圧迫されたリールは、血の混じった吐瀉物を吐き出した。


 口を拭うことも、色々なものが混じった鼻水を拭うことすらせずに、彼女は強い目つきのまま、男を見据える。


 まるでいつまでも続くように感じられる、少年からしたら、どこまでも遠い、辛い、しかし目を背けられない光景。


 どうして二人を止めようという気に一切なれないのか、まるで少年には分からなかった。


(これまでならきっと、俺は咄嗟に間に入れ……入ってしまってたんやろうな。だけど、もう無理や。何かが俺をそうさせないんやから。でも、そんなもやもやとしたものが、絶対のような気が、どうしてもするんや……)


 少年は、取っ手だけになったカップを強く握り、握り、握った手の下からは、どくどくと血が滴り落ちていた。


 それがテーブルの上の紅茶と混じり、滲み、溶ける。


 六発目。


 二人は同時に拳を放った――――かのように見えた、が。直前でシュトーレンが手を引っ込めたのだ。そして、リールの拳が、男の顎を、脳を、揺らす。


ゴォォォォン!!!


「ぐっ……。ど、うして、な、なにも、い、わな、い……」


 とうとう、シュトーレンがリールに向かって、途切れ途切れになりながらそう言い、そして、ばたりと地面にその眼を見開いたまま、倒れ込んだ。


 そして、びくりともしない。気絶しているのだ。


 リールはシュトーレンの傍へと近寄り、しゃがみ込み、耳元で何か小声で囁いた。距離が離れた少年にその声は聞こえない。


 そして、リールはくるりと、少年の方を向いた。


 とても優しそうに、でも儚げに、悲しそうに、血で汚れ、衝撃でところどころ腫れた顔で、リールは少年の方を向き、言った。


「ポ、ポン、ちゃ、ん……。ごめんね。後で、ちゃんと、説明す、る、か、ら……」


 きっと、最後に、『ね』と言おうと思ったのだろう。唇がそういう動きを見せていたのだから、きっとそうなのだろう。


 リールは、すっかり、普段通りのリールに戻り、そして、すぐさま気絶したのだ。シュトーレンと同じように。


 取り残された少年は、ただ、二人が目を覚ますのを、椅子に戻り、じっと待つのだった。虚ろな目で。スラックスの大腿部から臀部辺りが、零れた紅茶で濡れていたことにすら気付かず。


 ただ、虚ろに……。

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