第九話 頂の屋敷
目的地は、町の一番高いところ。この町は、なだらかな傾斜の山を、それより大きな四角形の地面の上に乗せたような形をしている。山の頂上付近に町長の家があるのだ。
村長の家まではひたすら続く上り坂を登り切る必要がある。その道から枝分かれするように横道がいくつも伸びており、角地となっているところには各種店が並んでいて賑やかだ。
町の人々や、この町を訪れた客が買い物できるようになっているのか、観光客用の店と地元住民用の店が入り乱れている。軒先の品をぱっと見るだけでそれだけのことが分かるのだ。
観光もいいかもしれないと考えながら、少年は道中を観察している。昨日は船長を追いかけることに必死でそれ以外何も見てなかったからだ。
「俺は、目を覚ましてお前以外の全船員を起こした後な、島全体を回った。情報収集とか宿の確保は他のやつらに任せてな。」
隣を歩く船長は誇らしげな顔で少年に話しかけてくる。
『うざい。しかし、一応ちゃんとやるべきことはやってるんだよな、このおっさん。俺を起こさず船に放ったらかしにしたことはやはり許せんけどな。』
どんどん怖くなっていく少年の方を見て、目を合わせずに自然と疑問を投げかける船長。
「ここがとても、ここがあのセンカンソシャクブナの腹の中とは思えねえよ。余りに不自然だろ。こんな立派な町が広がっている。この町、溶けないのかよ?ずっと流されずにここにあるのかよ? 天井のあれは何だ? 考えるときりがねえ。」
船長は頭をぼりぼりしながら、自身の考えを垂れ流す。彼のような動じない人間であっても、このような珍妙な場所に来るのは初めてらしい。
常識では考えられないところなのだ、ここは。船長にとっても少年にとっても。疑問なぞは幾らでも湧いて出るものである。
「おっさん、おっさんの言うとおり、ここがセンカンソシャクブナの腹の中なんだとしたら、やっぱり鍵となるのはそれやろ。俺らが死んでるか、夢見てるんやなかったらな。」
船長が興味を惹かれ、両目を見開いて少年に顔を近づけている。少年は少し得意げに鼻を膨らます。
「俺が思うに、これはモンスターフィッシュを改造して、腹の中に町を作ってるんやわ。そのための仕組みにもいろいろおもしろい道具使うとるやろうな。天井の太陽とかは本当にどうなっとるんやろう。」
船長も、少年も、首を振りつつ考える。天井の太陽。その謎を。
「お前、相変わらず頭切れるなあ、それに冷静だ。昨日とは大違いだな。」
感心する船長。しかし、これは少年にとっての余計な一言だったのだ。
「おっさあああん、分かれよ。昨日あんな無様な姿見せたからこそ、今日冷静でいられるんだよ、分かれよ……」
血走った魚の目。
『おっさん許さん、絶対に。』
『やばい、こわいこわい。こいつほんとこわい。』
「落ち着けって……。そういやなあ、この町な、普通にモンスターフィッシュ出没するスポットまであるらしいぞ。お前もそれ分かってて釣りやりたいって言ってるんだろ。出没するのは、当然、センカンソシャクブナと共生関係で、腹の中に住むあいつだ。まあ、言わなくても当然分かってるか。」
少年は当然把握している。ジャリジャリバキュームヒトデ。モンスターフィッシュの一種であるセンカンソシャクブナに喰われて生き残った者たちが持ち帰ったことから詳しく研究されている。
センカンソシャクブナの胃に流れ込んできたものを食べて粉のように小さくする役割を果たしている。
大きさは、一人用クッション程度で、形もクッションのように、平たくて四角い。
と、まあ、非常に奇妙な生き物である。センカンソシャクブナと共生しているというだけでモンスターフィッシュに指定されてしまった水生生物である。
『やっぱり釣りや、観光より釣りにしよう。』
少年は自然に口角が上がる。
横道と店を見かけなくなってきた。だいぶ目的地に近づいているのだろう。少年と船長の二人はほのかに汗をかきながらもひたすら坂を上る。真っ白な町に、何にも遮られることなく射す太陽の光。まるで常夏の港町。
そうこう坂を上っているうちに、遠くに一際目立つ邸宅が見えてきた。一目でそれが、この町の有力者の家であることが分かる。
船長は目的地に近づくにつれて大きくなっていく疑問をとうとう口にした。
「おい、ボウズ。俺ら近づいてるんだよなあ、これ?」
「ああ、たぶん。たぶんやけどな。そんだけでかいってことやろうな。」
数十分坂を上っているが、見えている邸宅のスケールは変わらないのだ。船長とは違って、少年は冷静なように見える。
ただ、少年は、これはこういうもんだと、多少めちゃくちゃなことでも受け入れているだけであるが。
二人とも足に疲れが出てくる。しかし、この坂を上りきれば目的地である。さらに数十分歩き、そして――
「おい、ボウズ。……なあ、これ入り口どこか分かるか……?」
動揺する船長。少年もこれはさすがにびびる。目の前にそびえ立つのは、壁。一面の壁。その邸宅は外壁で囲われていた。背丈よりはるかに高く、中の様子は全く伺えない。
『おっさん、困ったら俺に降るの、やめようや……。』
心に留めておこうと思ったが、少年は思いの丈をぶちまけた。
「おっさん、俺に分かるわけないやんけ。壁、壁、壁。見渡す限り壁しかないじゃねえか。なんだよこれ……。それにな、おっさん。俺、あのちぃっさ~い村からこれまで出たことなかったんだから、俺に聞いても意味ないやろ。」
眉間に皺を寄せる少年。へらへらする船長。
「まあ、探すかあ。どっかに門あるだろうし。俺、右。お前、左。探すぞおおおお~。」
船長は走り去っていった、全速力で。少年はしぶしぶ壁に沿って左へと歩き出す。船長の謎の元気さに呆れながら。そして、ゆっくりと歩きながら、ふと疑問に思う。
『そもそも、この壁のどっかに入り口あるんか?いろいろおかしいとこやし、わけわからんとこに入り口あったりしてな……』
船長が正面から走ってくる。二人で合わせてこの外壁を一周したということだ。しかし、入り口らしいものはどこにもなかった。
『さて、どうする。』
少年は船長を見る。汗をだらだらと流してぜえぜえしている。当然である。この外壁、一辺辺り数kmはあると少年は踏んでいた。
少年の視線に気づいた船長。少年は目を合わせられる。船長は笑っている。少年はさっと目を逸らした。
『入り口がどこにもないなら、どうしようもないやんけ。』
「おっさん、これどうするよ。」
「俺に言われても困るわ~」
すっかり息を整えて、先ほどよりも余裕ある笑顔の船長。
『なぜ俺はおっさんに振ったんや、意味ないのわかってるやんけ。』
いつの間にか、船長といっしょのことをしている自分。そのことに気づいた少年は少し苦い顔をしたのだった。
二人で外壁の前でいろいろ話し合って数十分。結論は出た。
二人は溜め息を吐きながら、
「帰ろう。」
肩を落としながら帰っていく。
「あはははははっはっは、ひゃー。諦めて帰っちゃうんですか? もうちょい粘らないんですか~?」
『え?何この声、ちょっと高くて、生理的にいらつく声やな。はじめの笑い声なんか、狂気染みているでえ。それにこの煽り……。考えたくないけど、こいつ、外壁の向こう側にいるやつやな。』
少年は船長の顔を見る。眉間に大きな青筋が浮き上がっていた。
『うわあ、おっさん……。自分が普段しているようなことなのに、自分がやられたらこうなるんやな……。あほらし。』
少年の頭は冷え切った。
「おいいいい、てめええ、町長かあああ。入り口どこだあ、言え、言え、言えいぃぃぃ。」
喰ってかかる船長。子供のようにその場で足踏み。
「無駄やって、相手姿も見せてないのに。」
船長をあやす少年。
『もしかしてやけど、こいつ、俺らの様子ずっと見てたんちゃうんか? 諦めて帰るとか、粘らないのかとか、けっこう長いこと俺らのこと見とかないと出てこない台詞やんなあ。でも……今のおっさんに言っても無駄かあ。』
「すみませーん、あなたおそらくこの町の町長ですよね。申し訳ありませんが入れていただけませんか? お話したいことがありまして。このおじさんは、私が責任持って静かにさせますので。」
すまし顔で、丁寧に、少年は声の主へと話しかける。船長への配慮は当然ない。横で船長は自身を必死で抑えているようだ。顔の青筋を、手で鷲掴みにして抑えている。
「あっはっはっは。すみませんね、悪ふざけが過ぎたようですね。入り口開けますので、どうぞ入ってきてくださいね。入り口は、あなたたちが登ってきた道と城壁の交点の部分になります。では、お待ちしております。」
客をからかう町長。そんなのがいるなんて少年は考えたくもなかったが、いるところにはいるらしい。それを知った少年はまた一つ大人になった。
少年は船長を励ましながら入り口へと向かう、来た道を引き返して。これではどちらが大人でどちらが子供か分かったものではない。
入り口の向こう側、敷地の中に立つ男。船長は視界にその男を据えつつ、何とか青筋が出るのは抑えている。
少年は少し戸惑う。この男が町長らしいがどう見ても町の長の格好ではないからだ。
180cm程の身長で細身。くすんだブロンドの髪でオールバック。碧眼。イギリス系のインテリのような上品な顔。細身でしゅっとした美形。
白衣を羽織り、青いシャツと黒いスラックスと茶色の革靴を履く男。この町の格好としては浮くが、まだ理解できる範疇なのだが、なぜかその上に白衣を羽織っている。
『白衣。ということは、この男は――』
「ようこそ、お越しくださいました。私がこの町、ライムストーンの町長、Dr.(ドクター・) Lime Sodaです。」
ドクター。研究者のこと。決して医者だけのことを指すわけではない。少年は確信した。この男は研究者であると。前時代にいた、世界の理を明らかにしたり、利用したりする方法を探す者たち。もはや生きた化石である。
「なるほど、そりゃ変なやつなわけだ。今のご時勢にそう名乗るということは。」
船長は少しバカにしたような口調でドクターに話しかけるが、全く動じない。悔しそうな船長。少年も少し悔しかった。
「お招き頂きありがとうございます、ドクター。私は外からここに招かれた者の代表です。分かっていますよね。いろいろお話ししていただきたいことがあります。」
明らさまな作り笑顔で声色を作る船長。聞き終わったドクターは少年の方を向く。少年とドクターは目が合った。
「私は、ただの付き添いです。お構いなく。」
そうして、少年と船長は取り繕った挨拶を済ませた。形だけの。名前を告げないのは、悪戯へのちょっとした意趣返しだった。
「お二方、普段通りでいいんですよ、普段通りで。」
棘のある言い方。しかし、狐につままれたようにも二人は感じた。ドクターは腕を後ろで手を組みながら、二人の方を向きながら歩き回る。そして、背を向ける。
「ついてきてください。中で説明させていただきますので。長い話になりそうですからね。」
ドクターはそう言いつつ、建物の中へ。二人もそれに続いた。




