未だに息づいている
鈴木は両手を床につき、後ろに下がって座布団を降りると、横にいた女性二人を正面に見る形で口を開いた。
「辻さん、蒲田さん。せっかく来ていただいたのですが、お二人の参加は俺にとっては決して歓迎できるものではありません」
「それはないんじゃない?チャラくんの為に来てあげたのに」
辻さんが不満を隠さず、反論をする。彼女にとって、今日の飛び入り参加はあくまで好意という考えなのだろう。
「俺はこの場を設けて頂いた営業部の上司や同僚に、今までの感謝の気持ちを伝えたいと思っています。俺にとってはその為の送別会なんです」
「それは殊勝な心掛けね」
「鈴木くん、とても義理堅いのね。素敵だわ」
どこか居丈高な褒め方をする辻さんに続いて、蒲田さんが甘さを含んだ声で鈴木を賞賛する。今の状況には決してそぐわない言葉―――それに対して鈴木は応えずに話を続ける。
「そのお世話になった人達に対して、あなた方の行動は不快感を覚えさせるものでした。部内の飲み会に強引に参加したあげくに同僚の悪口まで言われては、歓迎などできるはずもありません」
「安藤さんの事なら、別に悪口なんて言う程のものじゃないでしょう。別に間違っていないんだから!」
鈴木の話を受け入れる様子もなく、辻さんが強い口調で断言をした。
「まだ言うか、あの女……」
私の横に座っている仁科さんの口から、ぼそりと低い呟きが漏れた。私よりも、他の人が腹を立ててしまっている。決して良いとは言えない状況だ。
「あの人達から見れば私は地味なのでしょうから、特に気にしていませんよ」
仲の良い先輩事務員さんが私を思い、怒ってくれる気持ちはとても嬉しい。でも私としては、上から下まで分かり易いブランド物に身を包み、仕事終わりにはプライベート用の濃いめのお化粧をし直すようなタイプの人達に地味と言われても、その通りと納得するばかりで反論する気も起きない。
「ここで安藤ちゃんは受け入れちゃうのか……だから先に彼が怒ったわけね」
「仁科さん?」
なるほどとばかりに頷きつつも、仁科さんは困ったように眉尻を下げた。
「私もチャラくんと同じ事を言わせてもらうわ。安藤ちゃん、ここは怒るべきところよ。あんな腹立ちまぎれの言葉を受け止めて、自分なりに解釈して心の中に押し込めてしまう必要はないの。ふざけるなって、撥ねつけていいのよ」
心の中に押し込めてしまう?
撥ねつけていい……?
思いがけない仁科さんの言葉に戸惑っていると、鈴木の強い声が耳に飛び込んできた。
「悪意がある時点で、それは悪口ですよ。内容云々は問題ではありません」
反論は認めないと言わんばかりの口調で断言をすると、鈴木は私に顔を向けた。
「安藤さん、謝罪は必要?」
彼は辻さんに謝れと諭さずに、私に確認をする。
それはあの男の中で、私の過去の言葉が良くも悪くも未だに息づいているという事なのだろう。
『謝罪をされたら、許すという選択肢ができてしまう。そんなものは絶対に受け入れられない』
彼は知っている。
誠意のない謝罪などさせたところで、彼女達にとって都合の良い逃げ道にしかならない―――私はそう判断するのだろうと。
さっさと上っ面だけでも謝らせて、帰宅させれば事は簡単に収まるというのに。それをしないで、私に筋を通そうとする鈴木を面倒だと感じると共に―――その誠意を少しばかり嬉しく思ってしまった。
本当に厄介な男なのだ、鈴木という男は。嫌いなままでいさせてくれれば楽なのに、彼のバカみたいな誠実さがそれをさせてくれない。
仕方がない。それなら私も楽な方に逃げずに、きちんと本音で答えるしかない。
「いらないわ。頭を下げて数秒後には忘れているような謝罪を受けても、意味がないもの」
にっこりと笑って伝えると、鈴木もそれにつられるように笑みを浮かべた。
「それでこそ安藤さんだよね」
どういう意味だと突っ込む間もなく、鈴木は私から視線を外し、前に座る二人へと向き直った。
「安藤さんは俺が何年も想い続けた人です。意志が強くて、外見を飾り立てる必要もないきれいな人……俺には彼女がそう見えます。辻さんと蒲田さんの言葉は、虚飾やその場限りの軽口が多くて、残念ながら俺の心には届きません。これ以上、ここにいても意味がありませんので、お引き取り下さい」
「ちょっと……!」
「ああ、安藤さんは謝罪は不要という事ですが、この場にいる人達にはきちんと挨拶をして退出してもらえますか」
声を上げかけた辻さんを制して、鈴木が再度彼女達の帰宅を促した。『この場にいる人達』という言葉に、二人が改めて室内を見渡す。出席者全員の視線が彼女達に集まっている事に気付くと顔色を青くさせた。
今までは気持ちが昂ぶって、鈴木とのみ対面しているような感覚だったのだろう。呆れや咎めるような視線が四方八方から自分達に向けられている事を知って、余裕でいられるほどの神経はさすがに持ち合わせていないらしい。
「辻さん……」
震えの帯びた声で、蒲田さんが友人の名前を呼ぶ。その声に返事が返る前に、パシンと襖が開かれる音がした。
「二人共、お帰りこちらだよ」
声をかけたのは、彼女達をここへ連れてきた石川さんだ。室内にいる全員からの視線に萎縮していた二人は、この場を離れるきっかけを与えられて、急いで鞄を持って立ち上がり襖へと駆け寄った。
「俺の浅慮のせいで、場の雰囲気を壊してすみませんでした」
営業部の面々に頭を下げた石川さんは、近くに来た辻さん達へと顔を向ける。
「駅で会った時に、営業部だけの送別会だときちんと断れば良かったんだよな。二人にも悪い事をした」
思いがけない謝罪を受けて、辻さんと蒲田さんが呆然と彼を見上げた。
「彼女達は俺が駅まで送ってきます。辻さん、蒲田さんも皆に挨拶をして帰ろう?」
「……突然、押し掛ける形で参加して、申し訳ありませんでした」
「私達はこれで失礼します。すみませんでした」
二人は石川さんに後押しをされる形で、挨拶と簡単な謝罪をした。
「石川ぁ、リターン禁止って事で宜しくな」
「はいっ」
筒井主任の緩い声かけに、元気よく返事が返る。石川さんは粗忽でトラブルの多い人だけれど、責任感があり問題の起こった後はきちんとした対応をとる。だからこそ営業として何年も続けられているし、部内でも憎めない存在となっているのだ。
「辻に蒲田、営業部で貸し一つだからな。マーケティング部で良い案を出して、営業を活気づけてくれよ」
この場で一番の上役の高梨課長がそう締めくくると、二人は頭を下げてそそくさと部屋を出て行った。
ようやく去った小さな嵐に、ほっと肩の力が抜ける。原因が去れば元の和やかな雰囲気に戻るだろう、そう思ったのもつかの間の事。
「ねえ、チャラくん。安藤ちゃんにその程度とか、良い子ぶっているとか、暴言を吐いたってどういう事かしら。その辺り、聞かせてくれない?」
私の隣に座っている仁科さんから、第二の引き金が引かれてしまった。