最大の地雷
「あんな地味でかわいくもない、つまらない女のどこがいいの?」
賑やかな場に一瞬にして沈黙をもたらしたその言葉は、奴と私にとって最大の地雷だった。
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去年の春から私を悩ませ続けた鈴木は、来月から北関東営業所に異動する。今日はその送別会だ。会社からほど近い和風居酒屋の座敷を一室占領して、営業部の賑やかな飲み会が始まっている。
数ヶ月前の私なら、鈴木の為の送別会など出席するのも嫌だと拒絶したか、あるいは逆に、これからは鈴木と顔を合わせないで済むようになると喜んで参加したんだろうなと思う。
でも今の私は、自分でも意外なほどに感情の乱れはなかった。
鈴木に対して好意を持つようになった訳じゃない。ただ、見るのも嫌と毛嫌いするほどではなくなったという、それだけの事で。別にいてもいなくても、気にしないという程度。
そんな胸の内を仁科さんに話したら、「好きの反対は無関心だと言う人もいるけど、とことんブレないわね、安藤ちゃんは」と笑われた。
配属早々、私に告白をして「チャラ」というあだ名を付けられた鈴木は、最初の内は他の営業マンから睨まれていたものの、生来の真面目さと明るさでいつの間にか部内に馴染んでいた。
「支店に行って、俺らの目がなくなるからってハメを外すなよ」
「向こうの女性社員に初日に告白なんてしたら、ぶっとばすからな」
「そんな事は絶対にありませんから!」と、いじる先輩社員に反論しつつも、鈴木は楽しそうに笑っている。彼にとっても、この営業部は居心地の良い場所だったみたいだ。
「遅くなりました」
「おう、お疲れー!」
襖を開けて顔を出したのは、若手営業員の石川さんだ。客先との打ち合わせが長引いたので、直接店に行くからと連絡をもらったのが定時近くだったから、急いで来たのかもしれない。額の汗を拭う様子にそう思った時、「お邪魔しまーす」と高い声が耳に飛び込んできた。石川さんに続いて部屋に入ってきたのは、他部署の女性社員二人だった。
「石川、どういう事だ。営業部だけの送別会だと通達していたはずだが?」
部外者の登場に課長が鋭く問いかけると、石川さんが困ったように眉尻を下げた。
「すみません。二人とは駅で会ったんですが、鈴木の送別会の話をしたら一緒に行くと言われて、断りはしたんですが……」
「私達も鈴木くんの送別会に出席したかったんです」
「営業だけなんて、そんなつれない事を言わないでくださいよ、高梨課長」
石川さんの話を遮るように声をあげた二人は、鈴木の両脇に膝を付く形で腰を下ろすと、顔を覗き込むようにして話しかけた。
「鈴木くん、お疲れ様ぁ」
「チャラくんの送別会は参加を希望する人が多かったのよ。私達は石川さんに案内してもらえて、良かったわ」
満面の笑顔で話しかける二人に答える事なく、鈴木は遅れてきた先輩営業部員に顔を向けた。
「……石川さん……」
恨めしげに名前を呼ぶ鈴木に、営業随一のトラブルメーカーと名高い石川さんは両手を合わせて、謝罪の意思表示をした。どうやら押しの強い女性二人に抵抗しきれないまま、ここまで連れてくる形となってしまったみたいだ。
鈴木の横に座っていた社員も、半身を割り込ませるようにして座る二人に呆れ顔で立ち上がり、場所を明け渡す。
この状況で二人を追い出しても返って場の雰囲気が悪くなり、祝いの席に水を差す事になる。課長の小さくついた溜め息が、そう語っているようだった。
鈴木は女性受けする容姿で、社内でも人気が高い。だからこそ、こんな事態になってしまうんだろうな。本人にとっては、不本意なのだろうけれど。
「鈴木くんがいなくなるなんて寂しいな」
「本社に来た時には、私達の所にも顔を出してね?」
「北関東営業所に配属になったらマーケティング部とはほとんどかかわりがなくなりますから、行く用件がないでしょうね」
穏やかな声音でありながら、その言葉の意味するところは完全な拒絶、一刀両断だ。
右にストレートのロングヘアで美人系の辻さん、左にはゆるくしゃパーマの可愛い系の蒲田さんを侍らせて、本来ならば両手に花なのだろう。でも残念な事に、根本的に女性不振である鈴木の表情は、大輪のラフレシアに囲まれているかのような苦々しさだった。
「安藤、お疲れ」
ひょいと横からビール瓶が現れ、同時に声をかけられる。先程まで鈴木の横にいたはずの筒井主任だ。他部署の女性に席を譲る形になった主任は、どうやら他の社員にお酒を注いで回る事にしたみたいだ。
「ありがとうございます」
三分の一程、ビールが残っていたコップを手に取り、注いでもらう。
「主任、追い出されちゃいましたね」
「お蔭で安藤の側に居座る事ができるから、構わんけどな」
本気か冗談か分からない軽そうな声で言うと、主任は私の斜め後ろに座って胡坐をかいた。
「ああいうのが来るから営業部だけの送別会にしたんだが、意味がなくなったな」
「石川さん、押し負けちゃったんでしょうね」
「営業として、それは問題だろ。しかもマーケティング部の辻なんて、面倒くさいのを引っかけてきやがって。適当なところで帰らせた方が良さそうだ」
鈴木に目を向けると、話しかける二人に構わず黙々とお酒を飲んでいた。かなりはっきりとした拒絶だ。両脇にいる女性達の顔も引き攣っているように見える。
「チャラくんってば!私と蒲田さんはあなたの為にここに来たのよ。ちゃんと話を聞いて!」
あまりにも我が道を行く主張に、彼女を相手にするのはさすがに気の毒だなと少しばかりの憐憫をもって見ていると、辻さんから顔を背けた鈴木と視線が合ってしまった。
それに気づいた辻さんが、私をきつく睨み付ける。
ちょっと待って。
嫌な予感に、思わず待ったをかけた私の心の声が相手に聞こえる訳もなく、それは見事に的中した。
「チャラくんが『好きだ』って宣言したのって、あの人よね?」
隣の男に向けられていたはずの眼差しが、鋭く私に固定される。
「あんな地味でかわいくもない、つまらない女のどこがいいの?」
―――そして彼女は引き金を引いた。