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序章 壮行式  作者: や
49/69

3の結び、ここに鼓動だけおいていて

「炎の魔法は実質時の魔法だって説があるんです。火は発生まで時間がかかります。高温だからって必ずしも発火するわけじゃないんですが、火魔法だといきなり火から出せますから。あの炎が何度なのかは計測出来てないんです、色々挑んだ記録はあるんですが」

「そうか、それとお前らが遺跡に大穴掘ったのとどういう関係がるんだ。建築法違反だぞ」

剛二郎は巧妙に隠された扉や幌をくぐって先導する部下の背中を、呆れ半分、感心半分でついて歩いた。扉も幌も、ひとめではそうとわからないように偽装されている。崩れた跡のような瓦礫や、壁と同じ石を写実的に描いてある。剛二郎は、(多分これアーティスト街の連中も一枚噛んでるわ、祭が終わったら一斉摘発かな)と遠くを見た。

どんなに遠くを見ても、今は同じような石の通路しか見えない。

「建築法は地下遺跡までカバーしてません。遺跡は旧跡等文化遺産保護法です」

「そういう話をしてんじゃねえよ。自警団員が法に触れるなって言ってんだ」

剛二郎はきみ仁とふたり。自警団詰所の地下にある遺跡から、本来繋がっていなかったはずの教会に向かっていた。

遺跡にはどうやってくり抜いたのか問い質したいくらいあちこちにトンネルが掘ってあり、遠回りだった道はむしろ近道に、隣接していた石壁同士はもれなく横穴で繋がれていた。自警団保管の地下遺跡地図を書き直さなくてはならないだろう。

道はすべて、蓮李=大飛ときみ仁が掘ったという。

前を行くきみ仁は「そんな覚えてない時のこと言われましても」と天気の話みたいに言った。剛二郎は二の句に詰まる。蓮李ときみ仁が一緒にいたのは、きみ仁の記憶があった頃だ。記憶喪失ネタはいじりづらい。

「大体、この街の遺跡は旧跡等文化遺産保護法の対象ではありません。外されたんです。その理由がなかなか奇抜で。蛇の抜け殻はひとの生産物じゃないから遺産じゃない、むしろ代謝による排泄物だっていうんですよ」

地下遺跡は完全に地下にあるはずなのに、明るく、空気は冷んやりとしているが、地下特有の湿り気がない。遺跡は白い石でできており、白粉のように汚れを知らず、手触りはなめらかだ。まるで真っ白な蛇の表皮のように。

「屁理屈じゃねぇか」

地下の遺跡は、地元では地下道とか地下遺跡で通るが、お年寄りの中には、蛇の脱皮跡と呼ぶひともいる。石に見える壁面は、全て八岐大蛇の脱皮した皮だ、という昔話があるせいだ。川の治水工事を龍退治に喩えるような話で、言いたい事といえば「だから西園領は、邪神のようによこしまなこころをもつ罪人の流刑地となったのです」。後世に遺したい話でもないので、剛二郎の親はあまり話したがらなかった。

「その屁理屈が通ったんです。世界議会との裁判で、最高裁まで争って」

「なんで地元民の俺が知らなくて、お前がそれを知ってんの?」

「神職の日誌に書いてあったからです。教会には古い日誌がたくさん残ってますから」

その古い日誌を、今から自分たちは取りに行く。

きみ仁は記憶を失って間もない頃、神職の日誌を片っ端から読んで、自分の出自、なにがしかの記録がないかをそこに求めた。浄化能力があるなら、天教の人間かも知れないと思った、という。

家人が寝静まった夜、ひとりで書庫に籠り、ひたすら自分が誰かを記録に問う。

そういう生活が、天教会が街に来てから今日までの約8百年分続いた。その間、きみ仁は自警団に復帰して、働き始めていた。子どもの食うもんが少なすぎるので、とか言って。

きみ仁の探求の結果は言うまでもないが、彼はその中でブラッドサッカーズに関する古い記録を数多く見ていた。「当時はブラッドサッカーズに構ってる余裕はありませんでしたが、おかげで土地の歴史は大体わかりました。何でも読んでみるもんですね」きみ仁は出自の手掛かりがどこにもなかった時の感想を、ひとことも語らなかった。

地下を使ったのは貴族警察の目をかわすためだった。自警団詰所の外から見張っている彼らは、自警団詰所内部から地下に降りた自分たちは追えない。

「ああ…それとおそらく、裁判が行われたのがブラサー伝説の陰で領民攫われてた時代だったから、団長たちそれどころじゃなかっ」

剛二郎の足が凍り付いた。剛二郎自身は、肺も凍って呼吸が止まったかと思った。領民の誘拐。

そこはきみ仁の記憶と同じくらい、接触に適さない温度をしている。

きみ仁が機敏に振り返る。

「申し訳ありません」真摯な顔だ。

「んん、いい。単なる事実だ。あいつが領民攫ってた時代は長いぞぅ。いつの話だ」

剛二郎は、あえて歯を見せて笑った。

「40年程前だったかと」きみ仁はきびきび答える。

ブラッドサッカーズによる行方不明事件が起こり始めた辺りだ。

剛二郎の親友が帰って来なくなった頃。

「詳しくは、これから日誌を当たりましょう」

それからはしばらく、足音だけが響いた。

自警団支給のブーツの底は硬い。戦闘用に、金属を仕込んであるせいだ。きみ仁の足取りは軽く、気をぬくと、剛二郎との距離は開きそうになる。きみ仁がそうならないように、歩調を調節し、剛二郎は遅れを気取られないように気を張っていた。

老いたな。

剛二郎は実感する。

若い部下の天に針さす背中を見ていると余計に、自分はあれほど高間に楯突くように、傍若無人な背筋をしているだろうかと考える。

一歩先が敵の屍でも平然と踏み越しそうな足取りの確かさ、床面への無遠慮さ、一寸先も俺の人生と疑わないから出来る歩き方。

きみ仁の居ずまいは、自分の若いころより、戦友だった現領主の若かりし頃を思い出させる。

カルト信仰で領民をにえにした父に、剣をふるった友人の背中を、剛二郎は今も思い出せる。ばりっとした亀裂が最初からそこにあって、友人はそこを辿るように切っ先をふるった。

大根比古がカルトを信仰していたというのはあくまで現領主が拾った断片的情報から得られた仮説に過ぎない。信仰の証拠は今以って出ていない。祭壇も経典も、なにもない。ただ、信仰していた神の名だけが明らかだ。エグゾデュス。

『全てをエグゾデュスに捧ぐ』『エグゾデュスのために』『エグゾデュスには必要なものだ』

大根比古の日記に頻出するのが、この神の名だった。日記を書いていたということは、天教を信仰していたということではないのかという意見もある。

真相はわからない。

大根比古は語る前に討たれた。街を囲んだ光の魔法を解く鍵は、術者・春日守かすがもり如月光逸きさらぎこういつの死ではなかった。春日の大老は、大根比古側にいながら大根比古に呪いをかけていた。光のカーテンの存在は、大根比古の血と連動していた。あのカーテンを折りたたむには、大根比古を殺すしかなかった。大根比古の血を引く現領主の手で。

戦塵も届かない玉座で、現領主・梟帥たける比古が大根比の息の根を止めるのを、剛二郎は後ろから見ていた。

そして聞いていた。『エグゾデュスはそれでも、善だよ。梟帥比古』大根比古の最期の言葉だ。とても柔らかい口調だった。大根比古は抵抗しなかった。玉座にひとり、悠然と息子を待っていた。


やっと終わる、と思ったものだった。

そして虚しかった。

戦って失ってここまで来て、結局は血によって討てるものと討てないものに分かたれたこと。親友の居場所を吐かせるより、今危機に曝されている家族のために、光の魔法を解くことを優先しなければならなかったこと。親友のためだけには生きられないんだよと言われたようだった。家族を愛する一方で、親友のために立ち止まっていてあげたかった。永遠に摑まれる日なんかこなくても、彼女のいたほうに、心臓と結ばれているという左手を、自分の胸には魂と結ばれているという右手を当てて跪いて、帰還を信じて待っていたかった。自分勝手な感情だということはわかっていた。それでも、親友が帰ったときに、竜宮城で過ごしすぎて故郷を失ったお伽話の主人公みたいに、帰るところが変わっていたら悲しいだろうと思ったのだ。

そして、武力衝突を避け、平和的解決を目指して長い期間活動して、その間ずっと石を飲まされるような思いだったのに、結局は剣をとって国民同士で殺し合わなければならなくなったこと。

最初からさいごまで、振り回される腕に対処療法的に動くしかない、高電圧を帯びた大縄跳びを覚束無い足で跳びきるようなたたかいだった。


「......トンネルを掘るときは、火薬を爆発させるものというのが俺の常識なんですけど。団長はこの道、どうやって作ったと思われますか」

「は? あ。ああ」

突然沈黙が破られて、剛二郎は面食らった鳩みたいに瞬いた。しかし、咄嗟の質問に答えられないような無様は見せない。

「蓮李=大飛なら火薬なんてバレる手使わないだろ。魔法だろ。火薬で吹っ飛ばせる石だとも思えんしなぁ。

あとはお前の浄化。浄化なら、穴あけて出てくる土も石片も消せるだろ。担当エリアを決めて、二人別々に作業すりゃ、お前の浄化能力は蓮李の魔法を妨げない」

こんこん、と壁を叩いて聞かせる。我ながら名推理だ。

「俺もそう思います。ただそうなると、疑問が残るんです。なんの魔法なのかなって」

「そりゃ土だろ。石は土属性なんだから、くり抜くなら土だ。それくらい俺でもわかる」

きみ仁が足を止めて振り返った。

「石ですか? 脱皮した蛇の皮が?」

剛二郎は一瞬黙った。きみ仁はさっき謝った時と同じ顔をしていた。周囲を見回す。どこまで行っても白い石だ。

「......いや石だろ。蛇の皮なんてお前。土地に詳しくなったっていってもな。お伽話との区別はつけようぜ」

「ブラッドサッカーズだってお伽話ですよ。俺たちは今、お伽話を紐解こうとしてるんです」

は、と剛二郎は瞠目した。そう、なのだろうか。外の人間から見たら、ブラッドサッカーズを信じる自分たちは、遺跡を蛇の抜け殻と話したじいさんばあさんと大差ないのだろうか。じいさんばあさんがどこまでそれを信じていたかは測れないが、少なくとも真相究明に貴族警察をまいたりはしなかっただろう。

きみ仁は踵を返し、前進を再開した。

「寓話なら、なんで世界議会はこの遺跡を排泄物だって認めたんでしょう。

俺たちは何を知らなくて、世界議会は何を知ってるんでしょうね?」

「……お前は、だから皇都に行くのが都合がいいって?」

きみ仁は顔を少しだけこちらに向けて、小さく頷いた。

「情報の非対称性に負けて、りゅーちゃんをしょっぴかせるわけにはいかないんです。上澄みが動いてるなら、さらに上から見下ろさせてもらいます。少なくとも皇都なら、ここよりひとが多い分、情報も集まるでしょうから」

剛二郎はまじまじときみ仁の背中を見た。自警団に入団した当時に比べて、ずいぶんと広く、たくましくなった。

「団長、蛇がスムーズに動けるのは、からだの表面に不揮発性の油膜があるからだってご存知ですか」

剛二郎は話が飛び過ぎて一拍分乗り遅れた。よく考えてから、ものを言う。

「ふきはつせーがわからん」

「揮発しない性質です。揮発は常温、常圧で液体が気体になることです。

蛇の体表はナノ単位の薄さの、擦れても減らない油で覆われてまして。それが蛇の大地での滑らかな動きを可能にさせます。

蛇は自警団演習で何回か捕まえて食ってますけど、この壁」

きみ仁は歩きながら壁に片手を添えた。

「おいやめろ。手触りが蛇に似てるとかいうのは、感覚に過ぎないからな」

「いえ、この壁、」

ここん、ときみ仁の足元に黒い石が落ちた。浄化石だ。

「こうして浄化すると、討伐遠征で蛇の毒を浄化するときに視える鱗状の細胞と、組織の並びが同じだってわかるんですよね」

「......なんだって」

自警団は定期的に街道の外まで出て、魔物討伐をする。魔物は魔物が斃された地に、一定期間現れない性質があるからだ。これをすることで、街の外から来るひと、街から出るひとの安全を少しでも確保し、内外の交流を保つ。これを討伐遠征と言った。

「日誌読み漁ってた時に、蛇の皮のお伽話も知って。好奇心で地下書庫の壁浄化してみたことがあるんです」

「おい、猫が好奇心でなんでも噛むノリでおめーの能力は振るうな」

「教会の敷地下なら遺跡は教会の所有物なので。大丈夫です」

「そういう話をしてんじゃねぇよ」

きみ仁は笑って剛二郎の忠告を流した。これだから最近の若い奴は、と剛二郎は奥歯を噛む。

「でも同じなのは並びだけで。蛇表皮にある、タンパク質やエナメル質に見られる分子配列とか、ないんですよ。生き物ではない。とはいえ無生物である鉱物よりは、生き物に近い、生存効率に配慮のある組織の並び方です」

剛二郎のこめかみを汗が伝った。魔法物理学の話だろうか。だとしたら、その手の話は正味なところわからない。

「これが石なら、蓮李=大飛が使うのは土の魔法です。でも、蛇の抜け殻なら、使う魔法ってなんなんでしょう。

油があるなら火か。それとも神なら、火に見せかけたシンの魔法か。

シンの魔法って、人為的に消されたものだからどういう字書くかわからないんですけど、神の魔法って書くんじゃないかって説が黄道会では最有力です。

蓮李=大飛の使った魔法がシンの魔法なら、少なくともこれは蛇の脱皮跡なんじゃないかと、俺は思うんです。八岐大蛇かどうかはさておき。

だったら俺はその蛇を捕まえたいです」

話が子どもの昆虫採集みたいな方向に飛んだ。

「は、は? なんのために」

「そんな大きな蛇が手に入ったら、食費が浮くじゃないですか」

話が一気に生活臭を帯びた。剛二郎は呆気にとられてきみ仁を見た。

「食わすのか。子供に。蛇を。俺も演習で食うけど。美味くねぇじゃねぇか。骨多いし」

「ひき肉にして肉団子にしたらいけると思いませんか。骨は煮て、小骨は砕いて挽いて小麦粉代わりにできないでしょうか。骨髄液も取り出してゼリーにして。栄養価は高いと思うんです。今、弟妹成長期だから、なるべく肉食わせたくて」

「そんな具体的な調理計画まで」

剛二郎は眼頭をおさえた。知ってはいたが、自分の一番年若い部下はすでにして所帯染みの人だ。

「そのためにも俺、なんの魔法でできた道なのか知りたいんです。この街って山に囲まれてるじゃないですか。ブラッドサッカーズよりは大蛇の方が現実味があると思うんですよ。

掘削に使われたのがシンの魔法ならワンチャン、大蛇の子孫が山に潜んでるんじゃないでしょうか」

「魔法物理学とこんなに着地点が違うなんて思わなかった」

剛二郎は盛大に鼻水をすすった。

「あ、ここから教会の敷地です」

きみ仁が行き止まりにカモフラされた幌をめくった。今まで白かった壁が、一気にカラフルになって剛二郎の視界に飛び込んでくる。

一瞬外に出たのかと思ったが、違う。全部子どもの落書きだ。中にはえらく本格的な壁画もある。多分たまに家出して自警団に保護されるレイクレスだ。

「おい、教会の教育はどうなってんだ」

「のびのび自由に。地下書庫はここ曲がってすぐで……すん?」

二人が角を曲がると、なぜか机や本棚で入口が塞がれた部屋が現れた。剛二郎は、こうした家具山は内戦時代に散々作った記憶がある。バリケードだ。

二人はしばし呆然と、バリケードを見上げた。

「本当に教会の教育はどうなってんだ」

「うす。すんません」


***


今では誰とも語り合うことのできなくなった記憶を、生まれたての仔猫を乗せるように両手にそうっと抱えている。


『では、貴女の願いに神は絶対必要条件ではない。

貴女に必要なのは、協力者。貴女の心情を汲み、呼ばれたら応えて、一人では達成困難なミッションの遂行を助け、完遂確率を上げられる実在のひと』

セリアが呆気にとられていると、彼は絵本で見た騎士のように膝を折って、手を差し出した。

『もしくはもっと簡単に、友達というもの。俺とかどうかな』


ひととひとが関係を結ぶうえで、最も困難なのは出会うことだという。

友達が申告でなるものじゃなくても、作るものじゃなくても、宣言するものじゃなくても、きっかけなんて何だって良いのだ。妙に格好つける必要も形式にこだわることもない。

会ったことが重要なのだ。

だからセリアはもういい。セリアはもう出会ったから。呼んだら応えてくれるひとに。


「できたね」

出水がこわごわ言った。

「頑張ったなゃ」

レイクレスがしみじみ言った。

「セリがね?」

セリアは仰向けでぜいぜい息をしながら言った。


地下書庫にバリケードは完成した。

想定外だったのは、書棚が重くて、女子3人の力ではびくともしなかったことだ。あさぎ園の薄っぺらいカラーボックスとは木の厚みが違ったのだ。

結果、セリアは魔法を駆使することになった。土の魔法で棚をぐらつかせ、浮いたところで風の魔法で運ぶ。吹っ飛ばして壊してしまわないように運ぶのは、荒っぽい暴風で魔物と戦うより神経を使った。

(魔法って、細かい動きの方が、難しいんだ)

この先の戦闘を見据えて魔力は温存しておきたかったのに。

(敵は、いつ来るんだろう)

セリアの予想では夜だ。

新聞記事では、いつも朝一で遺体が発見されたと出る。そして夜までは目撃情報が集まる。

であれば、犯行は夜だ。

(それまでに、回復と。魔法陣を張りたい)

「ね、ねぇ。お水取ってこようか」

出水がおずおずと切り出した。

「ひとりでうごく、だめ、いちおう」とセリアは目を閉じ、次の瞬間、かっと開く。

たった今セリアが気づいたことを、レイクレスが言った。

「いや、出らんねーべ、これ」

唯一の出入り口は塞いだばっかりだ。

「え? えっ‼︎」

出水がうろたえ始める。

「じゃ、じゃあ、おトイレ行く時とか、どうするの? ご飯は? お風呂だって、行かなきゃ怒られるよ」

「いいべや1日ぐれぇ」

家出常習犯はどっしりとセリアの頭の横に胡座をかいた。

「セリア、大丈夫が? 脱水だげは心配だなゃ」

レイクレスがお姉さん風を吹かせて覗き込む。

セリアはうっと言葉に詰まった。泣きそうになる。(ぜったいまもる)

「だから水持って来るってば! ね、すぐ戻るから、魔法で一旦、この棚戻そう?」

簡単に言うな!!!

と怒鳴りつけたい衝動を、セリアは飲み込んだ。出水は何も悪くない。彼女はひたすら巻き込まれただけだ。

立て篭もろうという時に、食糧も水も簡易トイレも持参しなかったセリアが悪い。そもそも二人とも、今も立て篭もるつもりなんてさらさらなく、ただただセリアに付き合ってくれただけだ。

わかっているのに、疲労は感情を野放図に飼う。そわそわ落ち着かない出水に、

ひりひりとした感情が積もる。

(抜け穴、空けなくちゃ)

子どもしか抜けられないくらいの、小さいやつがいい。しかもしゃがまないと抜けられない高さで、空けた穴は、本を積んで隠す。セリアは石壁を見据え、狙いを定めて土の魔法を口にした。

何も起こらなかった。

なのに、体がぐっと重くなる。

失敗だ。

(魔法、細かい動きの方、難しい)

「だめ。ちょっと、やすむ」

セリアが目を閉じると、出水が悲鳴をあげた。

「ちょっと!? ちょっとって、どれくらい!?」

そんなのセリアが知りたい。

「低血糖起こしたらどうするの!? 熱中症は!? 最後に水分取ってからどれくらいたったっけ!?」

「出水。ちょっと落ち着がぃん」

「ダメだよできない! 汗掻いたから水分ちょっと出てっちゃってるもん! やっぱ一回戻そう!」

出水がバリケードに駆け寄る音がした。出水ひとりではびくともしないはずだが、セリアのこころならバリケードよりずっと動かしやすい。セリアはひどく耳障りな声で、「やめて!」と怒鳴りつけている。

出水が怯んだ気配がした。

レイクレスが肩をすくめた気配がする。

しん、と静まりかえる。

(やっちまった)セリアは一瞬で自分が嫌になった。(でも今一番嫌な思いをしてるのは、間違いない、出水だ)

次第に、出水がしゃくりあげる音がしてくる。

「で、でも、密閉空間では、い、息してるだけで。空気、が、なくなっちゃうんだよ。あぶな、あぶないんだから」

「みっぺい、ない。バリケード、すきま、ある」

レイクレスが寝転んだ気配がする。あんまり興味がないんだろう。レイクレスはそういう奴だ。ふあぁ、とか欠伸も聞こえた。

「ねぇ、どうしてここから出ちゃいけないの?」

ぐしゅぐしゅの声で出水が問う。

(それはまだ言えない。少しでも、ばらされるリスクはおかせない)

(本当はこんなこと杞憂であったら一番いいんだ)

セリアは眉根を寄せて、話をそらすことにした。

「いけない、ちがう。いま、出口作れない、だけ」

「そうじゃないよ!!!」

ばん、と顔の横で本がバウンドして、セリアは目を開けた。レイクレスがセリアと本をはさんで平行に横たわり、尻をかいていた。

「閉じ込めるならいい加減教えてって言ってるの! 納得させて! 何が起こってるの!?」出水のキレ方は烈火だった。

「まだ、ひみ」二冊目の本が飛んでくる。

ハードカバーだった。当てるつもりはないんだろうが、休んで魔力の回復に努めたい今は、やめてほしい。ひりひりが積もる。

何のために魔力を回復させようとしてるのか、言えたらセリアだって楽だ。

誰を置いて、これから何をしようとしてるのか、セリアだって言ってしまいたい。

セリアが失うものと、焦げるような不安と、まもりたいあなた達について。

「この後に及んで秘密なんて、通らないよ! バカじゃないの!」

「出水、さっき、本だいじ、いった。今なげてますが」

セリアは言ってから火に油だったことに気づいた。疲れている。感情のセーブができない。いらつきが先行する。

本が飛んで来る。二冊連続で。

「いでっ」

「「レイ!」」

二冊のうち一冊がレイクレスの頬を裂いていた。ぶつかった本に、上質紙が使われていたようだ。

セリアは疲労を忘れてレイクレスに這い寄った。くわんくわんと世界が回ったが、無視して進む。

出水が消え入りそうな声で「ごめん」と言ってその場に泣き崩れる。

「なんでもねーべやこんくれぇ」

「でも、血、いっぱい出てる」

「顔だがらだべ。いーずみー! 気にしねくていーどぉ!」

「セリアのせいだよ! セリアがちゃんと言ってくれたら、私だってこんな、こんな……」

「レイきずつけるの、出水のふあん、かんけいない! 非合理! バーーーカ!!!」

セリアはやっぱり失言をした。

出水が傷ついた目をこぼれそうなくらい見開いて、セリアを見る。

「……じゃあ、わたしがわるいの」

セリアは首を振った。いよいよ目が回って、セリアまで泣きたくなってくる。涙を閉じ込めるようにぎゅっと目を瞑った。

「いーずみー。だれも悪ぐねーがらやぁ」

ぽんぽん、とセリアの頭を撫でて、レイクレスが立ち上がる気配がした。

数歩、出水のほうに歩んで行く。


その時、歩行の振動でレイクレスの頬から血が滴ったのを、セリアは見ていなかった。


「うぅわぁ!?」

でん、とレイクレスが尻餅をつく。

「きゃああああああ!!!!」

出水の悲鳴とセリアが事を把握したのは同時だった。


白い腕が床から生えて、レイクレスの足首を掴んでいる。


「きゃああ! きゃあああ! きゃあああああ!!!」

出水は恐慌状態だった。

(敵襲! このタイミングで!!)

「レイクレス!」セリアは駆けよろうとしてその場に崩れ落ちた。

(魔力疲労!)

回復してないのに動きすぎた。ようよう指を敵に向けるが、獲物は女性の腕ほどに細く、レイクレスに近すぎてへたに撃てない。

そもそも。

(細かい動きの魔法の方が、難しい!)

レイクレスは尻餅をついたまま、足首に絡む手を見つめていた。

セリアに見える横顔は、どこか慈悲に満ちている。

「レイ、にげて!」

セリアが叫ぶ。

レイクレスはなにも聞こえていないかのように、そっと白い手のほうに身をかがめた。


「おめぇ、へいわの手だべ。スケッチで会ったな。ひさしぶりだ」


レイクレスの声に、手は反応するようにびくんと動いた。

かがめたレイクレスの頬から血が滴る。

すると、滴った小指の爪ほどの血液から、蔓が伸びるように太く白い腕が生え、レイクレスの腕を掴む。

掴まれたのは、右腕だ。

レイクレスの顔色が変わった。

(筆を握るほうの手!)

「あっ」

レイクレスの体が前に傾ぎ、肩から硬い石床にぶつかる。

ごん、と鈍い音がした。

次の瞬間、硬い音が嘘だったみたいに、白かった床はレイクレスの下だけ赤黒く濁り、たわんで、泥沼のようにじりじりと、力を失ったレイクレスの右腕から呑み込み始める。レイクレスが抵抗らしい抵抗を始める。

二本の腕は、家に帰るように赤黒い泥に無抵抗だ。

敵は、レイクレスをどこかに引きずり込もうとしている!

「おらあああ!」

野太い声が、太い腕を根本から折る。

ぱきん、と音がして、腕が放物線を描く。出水がスライディングキックをきめたのだ。ばしゃしゃじゃあ、と赤黒い泥が散った。出水の服が汚れる。演劇の惨殺シーンみたいに、白い床にどす黒い赤が咲く。腕だけが白く、しろい。

しかし、キレた出水は烈火だった。

「っらぁ! あぁ!」

出水がレイクレスの足首ごと細い手を何度も踏みつけた。そのたびに泥は散って、少しずつ出水も沈んでいる。レイクレスは悲鳴をあげたが、白い手は怯み、足首を放す。レイクレスは痛みにべそをかきながら、腕から距離をとった。

「ああああああ!!」

すかさず出水がハードカバーの角を白い掌の付け根に叩き込む。

白い腕は痛覚があるようだった。動きが鈍った瞬間に、出水は力任せに腕を引き抜いた。

ぱきん、と音がして、呆気なく腕は折れた。

腕を失った床は、同時に泥を失った。泥は灰のように乾き、風もないのにさぁっと散った。腕の帰る路は閉ざされた。ように見える。

沈みかけていた出水は五体満足でーーしかし、セリアの位置からでしかわからなかも知れないが、靴底が不自然にがたついていた。そこだけ持って行かれたみたいに。

「マキちゃああん!」

出水は誰かの名前を叫びながら、思い切り腕を壁に叩きつけた。

腕は粉々に割れた。

太い腕は沈黙したままだ。

危機はしのいだのだろうか、と全員が息を飲む。

(これが、敵なの)

セリアは戦慄しそうになった。

(対人戦を、想定していた。まさか、だってこんな、こんなの)

まるで魔物か、高度な魔法だ。

(敵は高位の魔法使いなの)

勝てるだろうか。

まなうらに、魔法をものともしない友人がよぎる。

彼はよく晴れた南の空みたいなウェルミーアブルーで、セリアの目をじっと見ていうのだ。

『貴女に必要なのは、協力者。貴女の心情を汲み、呼ばれたら応えて、一人では達成困難なミッションの遂行を助け、完遂確率を上げられる実在のひと』

(だめ。頼ったらだめ。巻き込むことになる)

その時、セリアの背後でバリケードが音をたてた。

全員が息を飲む。「セリにげろ!」叫ぶのはレイクレスの番だった。

セリアは這って進もうとして、体の向きを変えるのが精一杯だった。

レイクレスが駆け寄ろうとして、たたきつけられた右腕を抱えて膝をついた。

ヒビが入っているのかも知れない。

出水がセリアとバリケードの間に飛び込んで、仁王立ちする。

出水はしゃくりあげて、念仏のように何かを呟いていた。「マキちゃんマキちゃんマキちゃん、ぃっく、マキちゃ」

出水とバリケードの距離は、30cmない。

刃渡りのながい刃物がきたり、バリケードが内側に崩されたりしたら、ただでは済まない。

「出水、どいて、セリなら」

「どかないもん!」

出水はがたがたいうバリケードと対峙したまま答えた。セリアには背中しか見えない。

「ここでは私がいちばんお姉さんなんだから! マキちゃ、マキちゃんみたいに、私、わたしは」

たたっ、ととうめいな雫が床を濃くした。

セリアは心臓を撃ち抜かれた心地がした。

(セリは間違ってたんじゃないだろうか。本当に、打ち明けないことだけが、彼女らを守ることになるの)

一人では達成困難なミッションの遂行を助け、完遂確率を上げられる実在のひと。

ともだちというもの。

「セリア!」

腕を押さえながら、レイクレスが駆け寄り、庇うように膝をついてセリアを抱き込んだ。

見ると、折られて沈黙していた太い腕が、みみずのように指を動かし、腕部を引きずるようにこちらに向かって来る。

セリアは食道と同じ太さの氷をづるんと飲み込んだ。

がが、とバリケードが一際大きな音をたてる。

レイクレスは足元の本を腕に投げつけるが、腕は自らそれをはじいた。

(自律してる!?)

もしくは遠く、どこかからこちらのしていることを見ながら操作されている。

(無理だ。遠くにいる敵は、今ここからじゃ討てない。どこにいるか見当もつけられない)

「来んな、来んな!」

レイクレスがつま先に迫る腕に、追い払うように蹴りを繰り出す。

セリアはレイクレスを庇うように、力の入らない腕で彼女の腰に巻きついた。

(勝てないなら一緒に行く。その先で、セリがどうなったって)

あの赤黒い泥の中で酸欠に焼かれたとしても。


力尽きるまでともだちをまもろう。


セリアは一番慣れた言語で叫んだ。

『連れてくならセリも連れてけ! 箝口令でひとをしばって、ブラッドサッカーズで脅したって! 冒険者は絶対屈しない!


ここは罪の園なんかじゃない、シオンの出口なだけ。魔法使いが命がけで築いたひとをまもるための街。それを伏せて、自分たちだけ助かろうとするなんて、てめぇはただのくそったれの人殺しだ!』


腕が止まった。

そうしてゆっくり、レイクレスの腰元からのぞくセリアの顔にむけて、人差し指を持ち上げる。

その指は断罪するように、まっすぐにセリアの眉間を指した。

セリアの心臓が凍りつきそうにちぢみあがる。


その時。


「「せーの!!」」

低いハモリののち、バリケードの隙間から二本の剣がにょんと伸びる。「あっやりすぎました」

うち一本は勢いよく飛び込んできて太い腕を射った。

ぱぁん、と腕が砕ける。

破片がきらきら光り、その落ち方は、蝸牛かぎゅうの歩みのようにゆっくりに見える。

(この声)

セリアはぐっと硬いものが喉に詰まった気がした。

「えっこっからどうすんの?」

「梃子の原理を使います。剣をがたがたいわせて下さぁーーー、団長梃子わかります?」

「馬鹿にすんな。わかるわけないだろ。おーい誰かいるかー」

「「きみ仁!!」」

レイクレスと出水が叫んだ。

セリアの背に、どっと汗が噴き出した。かっらからに喉が乾く。

(いま、きみ仁、いつから、いた?)

「いっちゃんとれーちゃんだ? 珍しい組み合わせ。剣当たったひといるー?」

セリアはレイクレスに助けられて、バリケードの方に体を寝返らせた。

「いねぇ! いねがら助けでけろ!」

「はやく! きみ仁おぉ!」

出水の声はあまりに切羽詰まっていた。

ばぁん。

苦労して積み上げたバリケードが、水の泡よりうんと輝く黒石ジェットの粒になって、金平糖が降るみたいにきらきらと落ちる。浄化石だ。ごん、と浄化されなかった剣だけが重い音をたてた。

ぱらぱら、浄化石が軽い音で転がる。拍手の音みたいに。

黒いきらめきの向こうで、きみ仁のあおい目がセリアを見た。

『貴女の心情を汲み、呼ばれたら応えて、一人では達成困難なミッションの遂行を助け、完遂確率を上げられる実在のひと』

その目は、もうセリアしか抱いていない思い出の中のきみ仁と、なにも変わらない。

『友達というもの』

(聞かれただろうか。きみ仁は古い言葉がわかる。

せっかく忘れていたのに。

この街で守らなければいけない秘密のこと。

知らなければ気にかけずに済んだこと)

きみ仁が投げた剣が敵を砕いたのは、偶然だろうか?

「おい何があったんだお前ら! 何をやってた!!」

きみ仁の隣で自警団の服を着たおっさんががなる。第一師団のひとだ。団長の、剛二郎。きみ仁と誠慈の上司。たまに差し入れを持って来てくれる。

出水が飛び出して、きみ仁の腰に巻きついた。そのまま大声で泣き始める。出水の服に泥はなく、靴だけががたがたに持って行かれていた。

きみ仁は勢いに圧される事なく飛び込んできた出水を受け止めて、おぉなんだどうした、と間抜けに頭を撫でた。

「で。えー。その二人は何やってんの?」

きみ仁が問う。レイクレスは一瞬考えて、「知らん!」と正直に答えた。それはそうだ。知らないだろう。セリアはなにも伝えていないのだから。みんな、セリアに付き合ってくれただけだ。セリアが言わなければ、誰も、何も知らないままだ。


知らないままでいられた。


知られたくなかった。


知らせたくなかった。


「え、っと。セリは」


まもりたかった。


負わせたくなかった。


いまもなお。


「セリたちはね?」


こめかみを氷菓みたいな汗が流れ落ちる。

きみ仁は言い淀むセリアを思案気に見つめると、にっと嘘くさく笑った。

「なんだ。新しい遊びなら混ぜてよ」

「えっ」

セリアは何を言われているかわからなかった。

「遊びぃ?」

剛二郎が怪訝な声を出す。

「冒険者の遊びは過激ですので。れーちゃんは怪我したな。ごめんな」

「許さね」

レイクレスは何も訊かなかった。

「遊びじゃない……」

きみ仁の服に押し付けられてくぐもった、出水の涙声が、氷柱みたいにセリアの胸を刺す。

「そうだな。ごめんな。

セッちゃんのそれは、魔力疲労かな」

「魔力疲労ぅお? 冒険者は遊びに全力過ぎないか」剛二郎は引いている。

セリアがリアクションできないでいるあいだに、世界はどんどん動いている。

きみ仁は出水をまとったままレイクレスのそばに来ると、ポケットからハンカチを出して頰の傷を拭った。

「書庫の備品は買い直しだな。結構いいやつだったから、ちょっと大きいとこでないと手に入らない」

きみ仁は言いながら剛二郎に目配せした。剛二郎が表情を変える。そして書庫中を見回してから、硬く頷いた。

きみ仁は微笑んで告げる。


「みんなで大きい職人の工房に行こう。皇都みたいな」


セリアの時間が止まった。泥の中から咲く蓮の花が、セリアの心の中でひらく。

涙が一筋ほおを滑る。


『貴女の心情を汲み、呼ばれたら応えて、一人では達成困難なミッションの遂行を助け、完遂確率を上げられる実在のひと』

でもそういうひとだから「ここ」に置いておきたかった。


(まもりたかった)


セリアに呼ばれても応えられない、セリアの心を汲まなくていいところは、安全だったから。






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