1、 presage/闘うということ(2) ともだちの往く夢
太陽神天照もこの式典の観覧席で、力を尽くしてくれているのかも知れない。
金管楽器が煌めいた。
人々は眩しさなどどこ吹く風、よみがえった楽隊の演奏に歓声をあげた。
鉄砲玉のような音が短い音楽を奏で、ふっと静寂ができる。
すかさず、広場上空を漂う成人男性頭部ほどのルビーから、女性の声が告げた。
「凱旋広場にお集まりの我が誉れ高き西園領民の皆様! 遠路遥々この日高見市においで下さった武勲輝かしい冒険者の皆様! 遠く領地を離れてお越しの皇大国の同志、そして諸外国よりお越しの来賓の皆々様、とってもお待たせいたしました!
これより日高見市武闘祭実行委員会主催、第五回勇士隊遠征ツアー、壮行式を開催致します!!!」
季節は新緑。
せめて桜でも散っていてくれれば良かった。
けれども同時に旅の始まりに相応しいきれいな日だ、と龍一は思う。
ぐるりを囲む空席に、葉擦れが着席した。
みどりの風が吹く。
音楽が鳴り始めた。
葉擦れが木っ端にされる。
(凱旋広場。そういえばここはそんな名前だった)
地元では「広場」で通じる場所だ。
広場の入口に立つ三勇士の像は待ち合わせスポットになっている。彼ら三勇士がこの街の継承戦争を終わらせてからたった七年しか経っていないのだが、ありがたみの劣化は歳月よりも早い。よく見ると三勇士全員の鼻下には、ヒゲと鼻毛を描かれては消され、消されては描かれた不毛な追いかけっこの跡がある。
東に貴賓館と小さな庭園、北東に井戸、それ以外は八方にわずかな植樹とベンチ。普段はそれだけしかない素朴で質素な広場は、今や過剰装飾の見本市になっていた。
花道の終点、この日の為に設えられたステージ前面にはいくつものタペストリが垂らされている。それらは来賓の貴族や協賛する団体の徽章が刺繍されたものだが、単に献金額順に並べられているため各タペストリの荘厳さが足を引っ張り合い、色彩の妙はない。奇しくも権謀術数踊り狂う社交界を体現しているようだった。
ステージ後方には櫓群が聳えるが、今年に限り高さの上限を決める教会の櫓がないためか、建設中は非公式に高さ比べが催されていた。教会の櫓を建てない事が決まったのは五日前、どの団体も櫓の建設は既に始まっており、ほとんどの団体が土台や基礎を築き終えていた。どの団体から始めたのかは定かでないが、地元住民が気づいた時には、各櫓、突貫工事的に高さを盛っていた。
結果、突端が予定外の飾りのつけ過ぎで、重みに耐えきれず傾いている櫓が散見される。噂では、装飾品入手の為に櫓大工が地元の細工職人を囲い込もうと、買収し、接待合戦を続け、賄賂が横行し、職人が連日連夜不眠不休で細工物を作るハメになり、職人街周辺では夜通し響く作業音による騒音トラブルと過労による緊急搬送が相次いだとのことだった。
心情的にも見た目的にも醜い高さ争いを制した櫓は、ステージ真後ろに立つ冒険者ギルドの黄金の塔(という名の全面金箔櫓)だったが、バロック調にしようとして調子を外した成金趣味、と新聞で酷評されていた。
黄金の塔を挟んで左側の櫓群の間には、表向きの和解を語るように櫓同士を何本ものリボンが繋いでいる。リボンは宙でパステルカラーの線画を描き、そのファンシーさで黄金の塔のけばけばしさを嘲笑していた。
その反対、黄金の塔の右側では櫓と櫓の間でレースが編まれている。絹糸で見事な天照の肖像を象っていたが、影がもろにステージ上に落ちてしまい、太陽神が陽光を遮る矛盾を生み出していた。
そんな諸々に呆れるように、仰向けられただけのシンプルな赤い花道が横たわる。
それを踏みつけて来賓が入場する。
煌びやかな輿を担いだ人の群れが、川をゆく灯籠のようにゆっくりと、花道で贅を誇示する。
輿の趣向は様々だった。
紺地に金箔を散らした方形の輿に、漆塗りの小さな木枠をつけてちらちら顔をのぞかせる奥ゆかしいもの。輿の天井も壁も取り払って人がむき出しになっている椅子型のもの。随所に大輪の薔薇が咲き乱れる、蔓薔薇で編まれた籠型のもの。
様々な形の輿に乗るのは、国内諸領から集まった貴族や、世界的な大規模組合のお偉方だ。
衛慈がいぶかしんだ。
「あれ来賓まだ入ってなかったのか。いーのか領主が先に入って。ホストなんだからケツに入るべきじゃねーの。アレ怒られねぇの?」
「えーっちゃん、今年はウチの領主が先だよ。いわゆる露払い。つまり前座。今年からそういう位置づけなんだって。ざまぁねぇよなぁ」
「どっちかつーと来賓のお歴々のがざまも何もなさそうだけどな。去年まで入場行進なんてなかったじゃん。見ろよ。貴族連中が見世物じゃねーか」
龍一は言われた通り来賓行列を眺めたが、輿の中あるいは上から、にこやかに手を振る貴族は自分より貧しい人々への慈しみに満ちていた。上から見ることに満足し、安心しているようにも見える。ついても仕方のないため息が出た。
「どーーーせガチで暗殺されたらやばい奴は先に来てんじゃぁん? ギルドとか黄道会はそうしょや」
「黄道会? 魔法士連盟のトップが来てんのか? 地方の祭に?」衛慈が心から訝った。
「レンには会から誰か祝辞述べに来なきゃないだろうって。ハルが言ってた」
「ふぅん、ほんとに結構すごい奴なんだな、レンて」
「すげーよ。結構じゃねーよ相当すげぇ」
誰も理解しなかったけどな、うちは、と恨みがましく続けたが、衛慈はスルーした。
「おっしそんじゃそろそろガキ共呼んでくっか。勇士隊の入場この次だろ」
「いやぁ‼︎? 次の次の更に次の次…だったかな? まずは領主と来賓と主催から挨拶があるから」
「………そんなん前からあったっけ? 勇士入場が先じゃね毎年」
「今年から変わったんだよ。
レンがいっからかな。勇士ってやっぱ主役じゃん? それ立たせて滔々と来賓挨拶聞かせんのは、ま、勇士の階級が貴族以下とはいえ、主役に対する無礼じゃない? てなって。
つーかえっちゃんは何だってここ座ってんのにプログラムチェックしてねぇの。貰ったじゃん!」
「俺高そうな紙に書いてある事って頭入んね。慣れないもんは目がチカチカしてダメだよな。自分の出番しか調べてない」
「いいんだよ、面倒だから読んでないって正直に言えば。で、その高そうな紙は?」
「売った」
龍一は思わず立ち上がった。
「中身覚えてないのに!!?」
「俺のスタンバイと出番が何の次か覚えてりゃ問題ないって。結構高値で売れんだよな、今年は。レンとハルの名前載ってっから。ウチのは本人の指紋つきだつったらプレミアついた。ところで紙に指紋って残んの?」
「知らねぇよ! おっま、あれ一枚しかもらってねぇのにどうすんだ、ていうかどこで売買してんだそんなもん、じゃなくて今年プログラム今までとぜんっぜん違うんだよ何してくれてんの!?」
「中身ならハルが覚えてくれた。あいつほら、どっかの坊ちゃん疑惑あるから。高級紙とは仲良しだよな」
「いやだから! 今年は! そのハルが出るんだろ壮行式に! だから俺らここに招かれてんだろ!? 関! 係! 者席に‼︎ ハルが覚えててもこの場で教えてもらえねんだから意味ないだろ!」
「お前がなんとなく覚えてんじゃん」
「ナントナクっていつから安心していいワードになった」
「ハルだって自分とレンの出番覚えてたら十分だって。座れよ」
「子供らはいつ呼びに行くんだよ!? 早めに呼んでも退屈して騒ぐだけだから直前に席着かすって。提案したのえっちゃんじゃん! 今呼んだって落ち着いて話なんか聞かねーぞあいつら」
「………………………ああ。」
「ああじゃねーよ言われてみればみてーな顔してんなバカ。
ハルも何で気付かなかったかな。あいつは頭いいのかバカなのかどっちなんだ」
「バカだろう。セリアを置いて行くんだから」
しこりのような声だった。
龍一は一瞬何の話かわからなくて、衛慈の顔をまじまじと見る。
見られている方は大騒ぎする幼馴染みにさして興味がなさそうに、腕を組んで前だけを見ていた。
木の葉が落ちるようにゆっくりと、衛慈の言わんとすることが、龍一の腑に落ちていく。
衛慈、と非難混じりの声が出た。相手は「本当の事だ」と一顧だにしない。
「セリアは可哀想だったな。ずっと一緒に旅して来たのに、あいつらの試合見れなくて」
衛慈の声に不快は溶けていない。今日の天気を話す時と変わらない音階だった。
龍一は深く息を吐きながら席につく。
「……子供の見るもんじゃなかったじゃん。武闘祭つってもさ。勇士決定戦は十三歳以上じゃなきゃ見れないし」
「それでできるのか、納得。自分が置いてかれるのがどうしてか。まだ七歳だろ、セリア」
「………それはハルもレンも何度もセリアと話し合ったし、セリアも元々納得づくでついて来てるって」
「そうは言ってるけどな。七歳のガキにそれを強いるのはどうなんだ。頭いいの?」
「……………………………それは、」
ささら、と葉擦れがないた。
音楽が止んだのだ。
足元の影に葉の緑が溶けていた。
鳥が歌った。
来賓が前を通り過ぎ、テントの下の来賓席に着く気配がした。
「………………昨日大喧嘩してたな。レンとハル」
衛慈が言った。
龍一は横目で彼を見たが、別段それまでと変わらなかった。
前を見据える。
「………二人ともつらいんじゃん、それは。ハルだってレンに残ってって言ったんだよ。自分一人で行くからセリアの側に居てって。レンだってハルについてくか、セリアと天秤にかけなきゃなかったんだから。つれーよ」
「置いてかれる奴が一番つらい。選択肢がない奴がいちばん」
「……………………………それはそうだけど」
「庇うの」初めて衛慈が龍一に横目を投げた。
単純な事実を確認するだけのような視線だったが、龍一はそれを受け止めきれなかった。
「別に。ただ三人とも友達なだけ!」
お前だってそうだろ、と見返したら、傷ついたように視線を逸らされる。
少しだけ衛慈の眉間が歪んだ。
「俺はセリアが不憫でならない」
「それはみんなそうだよ。それはそう思ってるよ。レンだってハルだってさぁ。
でも当事者間の問題だろ。俺らが口出していい領域じゃないって。わきまえよーよ、そこは」
そうだろうな、と衛慈は頷いた。「ただ」と続ける。
「俺は神職だから。
形だけだけど。今からあいつらに送辞おくって勇士たんじょー言祝ぎます名誉な事です頑張って下さいって送り出さなきゃなんね」
龍一はハッとした。
胸骨の内側をミントがそっけなく撫でた。
幼馴染みを見る。
今自分は彼に思いやりのない言葉を投げなかったか。
彼への思慮に欠けなかったか。
衛慈がとうとう俯いた。
「自分がつらかったら何しても許されんのかな」
鳩尾に打ち込むような声だった。
「………えいじ、あの」
「しんどいけど。これ仕事だから。やるけど。俺も結局、セリアから両親奪うようなもんじゃねぇのかな。
心の底から行くなよアホせめてどっちか残れって思うんだけど。
それ黙らして行ってこいっつうのはさぁ、それで金貰って子供養ったとして、大人ってそーいうもんかもしんねぇけど、果たして立派な事なんかね。立派じゃない事心痛抑えてやったらさ、子供傷つけても立派になんの?」
「………えいじ」
「せめて俺くれぇは公衆の面前だろーとあいつらぶん殴ってセリアの気持ち考えろって言ってやれねぇのかな。俺がこんなでも、セリアは大人恨まない子に育ってくれっかな。愛されてるってちゃんと感じられて育つかな。この先ヒト信じられっかなぁ…。そう望むのもなんかな。酷な気ぃすんだよなぁ…」
ああ駄目だやっぱガキども迎え行ってくるわ、ど衛慈は言うだけ言って席を立った。
龍一は背中を目で追うしかできなかった。
「そこはセリアを信じるしかないと思うよ」「それも踏まえて俺らが頑張ろうよ」「結論急ぐのは良くないって」「考えすぎじゃない?」様々に掛ける言葉は浮かんだが、どれも全部無責任過ぎて惰弱な気がした。