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序章 壮行式  作者: や
27/69

2、 glimpse/友達でいるということ(12) 黒刃ば木鐡草

「えーじおそーい」


 揺り椅子にかけたきみ仁の膝の上で、セリアは「ニガムシヲカミツブシタ」の見本のような衛慈に手を振った。

 きちんと玄関から入ってきた衛慈も、セリアと同じ、レイクレスが中にいることを期待していたんだろう。

 けれど黒刃くろは鐵草きてっそうと名乗った青年宅では、きみ仁が揺り椅子にかけてうたた寝していただけだった。

 セリアにとってきみ仁のうたた寝は、むかし、用心棒として蓮李と旅していたときなら、職務怠慢になるからと言ってしなかった、とくべつなことだ。物珍しくて、ベランダに箒を置いてそっと近づくと、目を瞑ったまませっちゃんどうしたの、と聞いてきたので、どこまで寝ていてどこから起きていたのかわからない。

 どうしたおもう、と聞きながら機嫌よくセリアが膝の上にのったところで、衛慈がきた。


「なんできみ仁がここにいんだよ。仕事はどうした」


 衛慈は鐵草に勧められるまま、きみ仁と向かい合うシミだらけのソファに腰掛けた。

 鐵草の住まいは整然とは言い難く、衛生よりも芸術的インスピレーションを優先していますと言わんばかりに床の上がもので溢れ、家主の動線だけが空いている。あさぎ園女子の洗面室みたいな部屋だった。女子は身だしなみにものを多く使うが、毎日使うので、毎日同じ場所に戻すでなく、毎日取りやすい場所になんとなく放置する。それが定位置となる。衛慈は女子エリアには入って来ないので、好き放題だらしなくものは広がり、許容の限り散らばるが、不思議とあまり不便はしない。女子をまとめる紗雪が一番整然さに頓着しないため、事態は収拾しない。鐵草の住まいもそんな様相をしていた。

『整頓てーのは当人が使いやすければそれが整頓された状態って事だから。いーのいーの』と言っていた蓮李の部屋も、雑然としていた。

 きみ仁は「巡回中」の腕章を指でとんとん示し「仕事はちゃんとやってる」と言った。やってるだけでちゃんとはしてねぇだろ、とため息をつく衛慈に、鐵草が欠けだらけのマグに入れたホットミルクを差し出す。

 セリアはラムネの瓶を受け取った。不思議にくびれた、ビー玉を中に押し込んで開封する瓶だ。セリアの好みをよくわかった青年だ。単に子どもの好みに明るいだけかも知れないが。

 セリアが早速瓶を開けると、しゅわぁ、と夏の溶け入るような音がした。


「司祭さまとこうした形で向き合うのは初めてですよね。俺、きみ仁さんにパトロンやってもらってます、武具アーティストのTessoです」


 鐵草はポーズをつけて挨拶すると、いきなりぴょこぴょこ頭を下げながら、今後ともよろしくお願いしますぅ、と名刺を配り始めた。セリアにまでくれた。

 黒く少し重いカードには、白抜き文字でTessoと印字してあって、右上の角が切り落とされたように斜めに欠けた形になっている。

 ビジネスカードなんて初めてもらったセリアがまじまじ見ようとすると、「子どもに危険な物渡さないで下さい」ときみ仁がカードを取り上げた。


「きけんなもの?」


 セリアがくびを傾げると、きみ仁は名刺の欠けた部分に指先を少しだけ押し当て、はなした。


 指に切り傷と、血の珠が浮く。


 セリアは目を丸くした。

 衛慈がうぃええ、と名刺をつまんで遠ざける。

 鐵草は「振り回さなきゃ危険じゃありませんよー」となぜか照れていた。


「見てのとおり、鐵草さんの専門はこういう、仕込み武器で」

「違います違いますきみ仁さん、それは武器じゃなくアートです! 実用に潜む危険、そのあわいにある生命のうつくしさ!! それがぼくのアートなんです!!!」


 きみ仁の言ををぶった切った自己主張に、衛慈が告解を聞くときの仕事用の顔で「実に芸術家らしいお考えですね」と答えた。その声は慈悲にコーティングされて優しかったが、マグを持つ手がシリアルキラーを前にしたみたいにぶるんぶるんに揺れて、中身を撒き散らしている。


「もうっ、司祭さまに危険人物認定されちゃったじゃないですかぁ」


 鐵草はふくれながらもどこか嬉しそうに、雑巾とってきますね、と部屋の奥に消えて行った。


「きみ仁! どういう事だ!」


 ソファのサイドテーブルに衛慈がマグ底を叩き置く。

「えーじ、むすめのよあそびおこるひとみたい」セリアはこわーいと棒読みしながら、きみ仁にきゅっと抱きついた。

 抱きついて、一本、二本、三本、よんほん、と、肉体越しに微かにわかる暗器の数を確認する。普段より少し多い。触れてわかる部分に暗器が多ければ、見ても触れてもわからないところの暗器は、もっと多い。切り込み隊長のきみ仁は、こういうところが、記憶のある頃から変わらない。

 そして記憶があった頃と今のきみ仁の一致を見たときに、セリアの胸に静かに湧き出る、睡蓮がぬるま湯でもったり開くような、名状し難い感情も変わらない。肺に睡蓮が咲いてゆっくり死んでいく女性の話を、むかし蓮李が読んでくれたっけ。

 きみ仁はたった今できた傷口を舐めながら(普通のひとが傷口を舐めたらただの不衛生だが、浄化種のきみ仁がやると正しく消毒行為だ)、「どういうことも何も、見たまま。武器の買い付け」と言い切った。「違います! アートです!!」鐵草が雑巾片手に現れる。衛慈が「俺拭きますから」と言うのを「神様のみ使いにそんなことさせられませんよ」と断って、鐵草はこぼれたミルクを拭き始めた。


「今ね、新作のプレゼンしてたんですよ。祭が開催されるようになって以降、この時期はいい金属が入るようになって。ぼくもう創作意欲がむっくむくで。そしたら巡回中のきみ仁さんがいらしてくれたから、今だーって思って! でもこの人、プレゼン中に寝るんですよ! これから俺の作品が、絶対入り用になるくせに!! ほら、龍一くん、旅に出るんでしょう」


 セリアと衛慈は勢い良く鐵草を見た。

 鐵草は「だから贈答用に必要なんじゃないかと思って」と笑うと、雑巾洗ってきますね、と再び奥に消えた。衛慈がきみ仁のほうに身を乗り出す。


「龍一、勝ったのか」


 きみ仁は首肯した。

 衛慈は雄叫び、セリアもそれに続いた。こういう集合住宅では近所迷惑だったろうが、どうしても抑えられなかった。ラムネみたいに、下から上に、夏色のポップが弾ける。

 気づけばセリアはきみ仁の膝からおりて、衛慈と固く抱き合っていた。


「あはは、賑やかだな、なんです?」


 鐵草が笑いながら戻って来る。

 うるさくしてすみません、と静かにきみ仁が謝れば、いえ今はみんな犬の散歩の時間なんで家にいませんから、と快活に返す。鐵草はアートの方向性のわりに、明るくていいひとなんだな、とセリアは思った。

 なんたって犬を飼っていない。


「犬、随分飼ってるひとが多いんですね」


 衛慈が批判的にならないよう、慎重に声を出したのがセリアにはわかった。


「ええ。可愛いですからね。俺も飼いたいけど、うちは刃物が多いし、制作過程で火花も散りますから」


 犬が、可愛い……やっぱり悪いひとみたいだ。

 セリアは犬が可愛くない108の根拠を並べたくなるのを、ラムネを飲むことで抑え込んだ。教会のにんげんが、信徒に無礼な振る舞いをしてはいけない。


「それで? ふたりはアーティスト街になにしに?」


 きみ仁の問いに、ふたりは「レイクr……」と同時に言いかけて同時に止まった。アイコンタクトの沈黙が流れる。

 きみ仁に知られたら、まず間違いなく自分も探すという流れになる。そうして仕事の邪魔をしたくないから、自警団より早く見つけたかったのに。

 どう誤魔化そう。


「鐵草さん、女の子見ませんでしたか。どうやらうちの子が、ヘソ曲げたらしい。ふわふわしたひよこ色の金髪で、長い髪のそばかすの子なんですけど」


 きみ仁がレイクレスの特徴を全部言った。

 ふたりは同時に「ニガムシヲカミツブシタ」顔になって、互いに責任をなすりつけるように睨み合った。きみ仁が立ち上がる。


「俺は見てないですけど、人探しならそれこそ、犬にやらせればいいじゃないですか。だからその間きみ仁さんは俺のプレゼンを聞く、と。そうすれば、お二人はレイクレスちゃんと効率的に会えるし、レイクレスちゃんは早く見つけてもらえるし、みんなハッピーじゃないですか!」


 衛慈が「その手があったか」と呟くので、セリアはぎっと睨み上げてやった。

 セリアが反対のはの字を出そうとしたところで、きみ仁が「いいえ」と断る。


「俺が行きます。お邪魔しました。ていうか引きずり込まれたようなもんですけど。

 衛慈もセリアも、飲み終わるまでゆっくりさせてもらったら良い」


 いや俺は行くし、と衛慈がホットミルクを強引に流し込む。そしてその熱量にむせる。セリアはラムネを瓶ごともらって良いかと鐵草に確認した。了解を得ると、箒を取りにベランダへ走る。

 浄化種のきみ仁が来れば魔法は使えなくなるが、きみ仁はどんな魔法より強くて早いから、セリアは別に、いい。


 きみ仁といられるならいい。


「でもきみ仁さん、まだプレゼンが途中なんですよ。必要でしょう? ぼくの作品が。ぼくの作品だってあなたの腕が必要だ。実用されてこそ、ぼくの芸術は完成するんです。使われることが鑑賞されることなんです」


 鐵草はなおも食い下がって、きみ仁の腕を掴んで引き止めた。アーティストの情熱が、彼の双眸で燃えている。

 セリアはそういう目を知っている。

 魔法研究に取り組むときの、師と助手がしていた目だ。

 この人こんなんだけどほんきなんだ、とセリアは息を飲んだ。

 きみ仁は夏の大空を閉じ込めた目で、灼熱を許容する空のように炎を見据えた。


「必要です。俺は必ずまた来るでしょう。でも今は行かなければいけません。妹の一大事みたいだ」


 でも、と遮ろうとする鐵草の、金属加工でがっしりした肩にきみ仁は手を置いた。

 衛慈が横目でうかがいながら、マグをあおる。


「今は妹が、俺たちの腕を必要としています。

 犬を遣わせば、俺も貴方の話を聞けるしせっちゃんはここでゆっくりしてられる。犬が平気なえっちゃんが犬に添うことにはなりますが、労力はここにいる教会メンツの1/3で済みます。実に合理的。

 ただ、最大多数の最大幸福が犬に発見を託すことでも、俺は妹がそれをどう受け止めるか、考えなければなりません。見つけられることじゃなく、探されることが欲しい子だっているんです。

 いかにも作業然と捜しに来られたら、きっと妹は傷つくでしょう。妹にとっては、なにも、作業ではないから。

 自分は兄をやらせてもらってる立場です。求められたら、応えてみせたい。

 ごめんなさい」


 セリアの胸で、ぬるま湯から睡蓮が咲いた。


 衛慈が盛大に噎せ、きみ仁は「だからゆっくりさせてもらえっての」と背中をさすりに鐵草の前から消えた。

 鐵草が項垂れる。セリアは「ごめんね」と謝って、背伸びをする。懸命に伸びれば、ぎりぎり鐵草の頭頂に手が届いたので、そのまま撫でた。鐵草は驚いたようだったが、セリアはこうするしか、沈んだ相手を慰める方法を知らない。

 咳から解放された衛慈ときみ仁と連れ立って、セリアは鐵草宅を辞去した。

 去り際、これあげる、と鐵草はキャンディをセリアの手に二つ転がし、ゴミはきみ仁さんにでも渡してね、と寂しそうに笑った。

 ラムネもキャンディもいただいてしまって、こんな顔をさせたまま去るのは申し訳なかったが、セリアにできることはなかった。

 ともだちは、みつけてほしがっている。探してもほしがっている。

「なさけ」と題された鐵草宅の壁画を背中に「で。どっから探す」と衛慈が口火を切る。その声には少しだけ、罪悪感と気まずさが滲んでいた。

 対してきみ仁は平然と、


「そのキャンディ。衛慈とふたりで食べたら? 名案浮かぶと思う」


 わけのわからないことを言った。

 衛慈はなにバカ言ってんだと反論しかけるが、きみ仁のいう事なら大体きくのがセリアである。

 セリアはキャンディを一個衛慈に押し付け、残った一個をいそいそと食べた。

 キャンディは甘く、いちごをとろかしたミルクの味がした。

 レイクレスを探しに来たご褒美をもらえた気分だ。まだ見つけてすらいないのに。

 とはいえ、キャンディは名案が浮かぶような副作用はなかった。

 きみ仁はセリアからキャンディの包みを回収すると、うーん? と唸って日にかざした。

 キャンディの包みには、キャンディのピンクが点々とついている。きみ仁はその形を、包みを回したり裏返したり、近づけたり遠ざけたりしながら、ためつすがめつしていた。


「……きみ仁。お前まさか、その紙にレイの手がかりでも書いてあると思ってんのか」


 衛慈がキャンディときみ仁を見比べる。

 きみ仁は包みとにらめっこをしながら、「鐵草さんさ」と切り出した。


「なんでいなくなったのがレイクレスだって知ってんだろうな。衛慈かセリアか、誰かなんか言った?」

「……名前は言ってねぇけど、お前が特徴全部言っただろうがよ。おかしかないからな? 別に教会の子が、名前も顔も知られてるくらい」

「そこなんだよなぁ」


 きみ仁はふうむと顎に手を当てながら、包みを日に透かすのをやめて、今度は下を向いて眺め始めた。


黒巾木くろはばきってさ、忍者の集団がいたんだ。黒巾木衆。大昔に」


 え、と間抜けた声が出たのは、衛慈とセリア、どちらが先だったか。


「忍者ってさ。存在を知られない事が肝要だから、フクロウとかラッパとかスッパとか、隠語で呼ばれたわけ。その隠語のひとつが、草」


 呆気にとられていた衛慈が、急いでキャンディの包装を解いた。


「日高み市は、元は世界中の罪人の流刑地だろ? 黒巾木衆抱えてた領主のかたが、戦に負けて流されて来てて。今の領主遡ると、そこに繋がって」


 きみ仁は無造作に衛慈から包みを受け取った。

 包みは表側はてらてらしているが、裏のキャンディに触れる部分はサラサラした紙で、やっぱり点々と、キャンディの食紅だろうピンクがくっついているだけだった。

 きみ仁は、一枚ずつ両手に持って再び陽光にかざした。


「ただなぁ、忍者に忠義とかはなかったそうだから、領主が流されたところでついてくるもんなのかどうか……存在そのものをない事にしなきゃないひとたちだから、本当にいたのかって記録がもう少ないし」


 開いた口が乾いてきたセリアは、キャンディ包みから目を離せないまま、ラムネを機械的に口に運んだ。刺激がぱちぱち、セリアの中で遊ぶ。キャンディの味とモロに混ざって美味しくはなかった。


「鐵草さんの作る暗器は、忍者が忍ばせてた武器に似てる。鐵草さんが忍者スキーなだけかも知れない、けど、忍んでられるタイプじゃない目立ちたがりの忍者が、隠れ里抜け出してついて来たって可能性も、なくはないんじゃないかと思ってて。

 鐵草さんてああ見えて無駄なことしないから、今回もなにかあるんじゃないかって」

「いやそりゃアーティストにしちゃ実用主義だったかもだけど、そもそも忍者って家出すんのか? できんの? 存在ばらしたらダメなんだろ、出てく前に、出奔が露見して仲間に殺されたりしねぇ?」

「仲間より強ければ問題なくない? 例えば集団で出れば、ひとりくらいは」

「生き残ってアーティストにってかぁ? まー戦後のゴタゴタで、この街に入り込んでてもおかしくはないけど、だったら今の領主関係なくねぇ?」


 今や衛慈も、何かを期待する目で包みを見上げ始めた。そのまま互いに「目立っちゃえは逆に殺されにくくなんじゃねぇ? 忍者かもって疑念てさ、疑念が湧く時点でアウトなん。忍者の主な任務って諜報だけど、暗殺もした。疑念が残ればプロ暗殺者・ニンジャー殺したプロ暗殺者も、忍者かもって噂になんない?」とか「いやそれすらバレないように殺すんじゃないの? プロだろ、そもそも他殺体とわかるように殺すかどうか」とか、自論を展開し始める。

 男の子って……と冷静さが戻って来たセリアは思う。飴玉の汚いべたべた包みなんか放っておいて、早くレイクレスを探しに行きたい。

 セリアは苛立ちを鎮めるようにラムネを持ち上げた。中のビー玉がぴかっと日差しを反射して、きみ仁が眩しそうに目を細める。

 次の瞬間、「セッちゃん待って」ときみ仁がセリアを止めた。

 セリアは驚いて、「その瓶貸して」と言われるまま、きみ仁に瓶を渡す。ラムネは瓶のくびれの少し上くらいまで残っていた。この形の瓶は、くびれにビー玉が引っかかると、うまく飲めなくなる。くびれの直前のふくらにビー玉を引っ掛けるのが、うまい飲み方なのだ。

 そしてきみ仁は、器用にそのふくらにビー玉をひっかけて、膝をついて日光を遮ると、ビー玉越しにキャンディ包装の一枚を地面に置いた。

 すると、包みについたキャンディの食紅の形が拡大される。


「けんびきょう!」


 セリアは思わず叫んだ。衛慈も「おおお」と目を輝かせる。

 ビー玉の球面、ラムネ瓶のカーブ、液体の表面張力で、凸レンズ状の面ができて、拡大鏡になっているのだ。

 ラムネ瓶顕微鏡はしかし、中のラムネの泡や揺れで、その像がゆらゆら揺れて落ち着かない。しかも、ラムネに浮かされて、ビー玉がふくらから外れそうになる。

「飲み干そうぜ、それ」と衛慈が言うが、「液体の屈折率が必要だから」ときみ仁は即座に却下した。

 拡大されただけで、飴玉のべたべたは飴玉のべたべただったが、かがくが好きなセリアは、一瞬レイクレスの事を忘れて地面に這いつくばる野郎二人の、若干気持ち悪い光景に見入った。

「二枚渡された以上、二枚に意味があるのかも」と包みを縦に繋げたり横に繋げたりしてみる。

 衛慈が見たり、セリアが覗き込んだり、瓶の角度を変えたりしてみる。

 移動するたびに土埃が舞うから、もっと静かに移動しろだのじゃあ瓶うごかそうだの日光にかざしたら焼けるかもだからダメだの、ラムネと包み紙角度の最適解を求めて、きゃあきゃあ喚きながら、代わる代わる、3人は即席顕微鏡と戦った。


 そうして無為な30分が経過した。


「………俺たち、頑張ったよな」

「セリいつまででも見てられる。けんびきょう好き」

「せっちゃんが本当にいつまでも見てそうだから、熱中症になる前に、終わりで」


 ぱんぱん、ときみ仁が手を打った。

 今や包み紙はぴんと張り、キャンディ汚れは溶けて食紅の色が濃くなり、べたべたというよりどろどろになっていた。細かい砂もついて、茶色と紅色のまだらになっている。触ったら、さぞばっちぃ思いをするに違いない。

 それでもセリアは見ていたかった。溶けたせいで、最初に見た時と、幾分見え方が違う。個体から液体になり始めているからだ。けれど飴の粘度では、水のようにはならない。飴が水のように飲み込めるのは、唾液が混ざるからだ。では、飴そのものは温められると、どうなるのか。口の中で溶けてなくなってしまったキャンディの辿った過程を、今ここで観察できるかも知れない。

 しかしそんな心残りを見透かしたうえで断つように、きみ仁がさっと二枚を重ねた。

 下の紙の食紅が、べとっとくっついて、上の紙に透ける。

 そして意味が生まれた。


「スイミーくん! 懐かしいな、スイミーくんじゃん!」


 衛慈が頓狂な声をあげ、二重になった包みを持ち上げるきみ仁の手首を捉えた。

 完全に気が抜けたラムネ瓶を持っていたセリアも、きみ仁も、息を止めたように静止する。

 衛慈はそうっときみ仁から紙を受け取ると、ゆっくりと動かす。

 セリアの角度からは、それは子どもの落書きに見えた。

 ぱんぱんに膨れた四肢と、半開きの唇、濡れてはりついた髪、鼻は大きく、目があるだろう位置は、眼球が溶け出してしまったように黒く塗りつぶされている。脇の下には、裂かれたような弧。衛慈は目を輝かせて見ているが、これでは、まるで


「水死体?」


 きみ仁がセリアが思っても言わなかったことを言った。


「水死体じゃねぇよスイミーくんだよ! 昔あった水族館のマスコットキャラ! つぶらな瞳が可愛いだろ! こっち来てよく見てみろよお前らぁ」


 日除けに立っていたきみ仁が、衛慈と同じ向きに立った。


「……可愛い? その水族館大丈夫だったの? 経営者とか、経営者の頭とか」

「は? 何で? まぁ戦争始まったら真っ先に食糧庫扱いされてたから、大丈夫ではなかったわなぁ。へぇーでも、こんな小さいのに、よく描けてるー」


 数秒、沈黙が流れる。


「………いや、でもコレ、どうやって描いてんの? 飴玉の任意の場所溶かしたってことだよな?」衛慈が当然の疑問を呈すれば、「鐵草さんの作品は火を扱うアートではあるけど、今んとこ不明」ときみ仁が即答し、「ニンジュツ」とセリアが適当なことを言う。

「あの飴玉大丈夫だったのかよ。毒とか入ってないだろうなぁ」衛慈の声が幾分げっそりした。


「それは大丈夫、成分スキャンしたけど、危険はなかった」


 つよい浄化種のきみ仁は、浄化すべきものと残すべきものを特定し、ピンポイントに浄化ができる。この中の、最初の段階、浄化すべきものとそうでないものの見極めの段階を、きみ仁はしれっと成分スキャンなどと呼ぶ。構成が単純なら目で見るだけでわかるのだそうで、それが分子構造の解析なのか原子レベルなのか電荷まで及ぶのか、セリアには未だに、きみ仁に見える世界は想像できない。顕微鏡で見ないとわからないこともあるなら、分子レベルの細かさではないのかも知れない。

 そのとき、こげた臭いがして、包みから煙があがった。

 セリアが悲鳴をあげてラムネを取り落とし、衛慈が驚いて包みを放った。

 すると、密着した紙に一瞬、文字が浮かぶ。


 Get o


(あぶりだし?)


 セリアが追求するように手を伸ばすと、紙は黒く透き通った人差し指の先ほどの小石に変わって地面に転がった。浄化石だ。

 包み紙は、浄化されたのだ。

 きみ仁が浄化すると、対象は黒くて透明な石に変わる。どういう化学変化なのか、石はとても硬くて、落としても傷つかない。加工は一部特例的方法を除いてそれはもう難しいが、紗雪が結晶に閉じ込めれば綺麗なアクセサリーにできるから、基本、回収する。

 きみ仁は「せっちゃん、えっちゃん、怪我は?」と言いながら、無造作に石を拾って太陽に透かした。


「悪い、つい影作んの怠った。ビー玉と瓶で低倍率顕微鏡になる仕組みって、ビー玉虫眼鏡で覗くのと同じ理屈なんだ。虫眼鏡に直射日光は、なかった」

「いや、きみ仁にこっち来いって言ったの俺だし。紙投げたのも俺だし。ごめんびっくりして。セリア髪の毛とか大丈夫か? 燃えてない?」

「へーき。それより、あぶりだし、きづいた? かみ、くろくない、もえない。あぶりだし、くろかった」


 そんなのあったかぁ? と言いながら、衛慈がセリアの皮膚や服に瑕疵がないか心配そうに見る。こういう時、セリアはちょっとくすぐったい気分になる。


「炙り出し、なんて書いてあった? レイクレスの居場所とか?」

「ちょっとしかみえなかった。古いことば。セリはわかんない。きみ仁は?」


 セリアはきみ仁の背中に向かって訪ねた。セリアはきみ仁の動体視力に全幅の信頼を置いている。とはいえきみ仁が炙り出しそのものを見ていなかったら、意味はないが。

 きみ仁は何かを確認するように黒い石を日にかざしながら、「俺も気づかなかった」


「じゃあまぁとにかく、水族館跡にでも行ってみっか。今は貴族街だから、居心地最悪だけどな」


 衛慈が気を取り直すように言った。


「すいぞくかん、ほんとにあったか? 海とおいのに?」


 セリアは疑わしそうにするが、「川があるから、淡水魚なら可能。糧食以外の目的で魚を飼育する施設は、それこそ円形闘技場が作られるような時代からあった。観賞用とか、魚の研究とかの目的で」ときみ仁は納得顔で振り返った。

 そして浄化石を握りこむと、次、手を開いた時には、浄化石は割れて、二つになっている。

 これが一部特例的方法による浄化石の加工だ。要するに、きみ仁の浄化能力で浄化石の一部を更に浄化しただけだ。それは石を割っただけです感全開で、二つの丸い石にしようとか、形を工夫してみようとか、理論的にはそういうことができるのに、かたち作ろう・創造しようといった意識が、そもそもきみ仁に存在しない。きみ仁は芸術家とは真逆の位置にいる。

 それはセリアがきみ仁と出会った時からそうなので、この気のきかなさに、セリアの睡蓮は、もったりと晴々しく咲くのだ。


「ほいお守り。俺はもう少し、アーティスト街を探してみる。戻ったらプレゼンにつき合わされそうだから鐵草さんちは避けるけど、れーちゃんといったらアーティスト街だから」


 きみ仁とはそこで別れた。

 目的地が決まっているなら、きみ仁と別行動にして箒に乗った方が早いから。こういう事だけきみ仁は気が回る。

 魔法をはさむと、大抵、きみ仁とセリアは別々になる。師匠は同じなのに。


「結局鐵草さんて何者なんだろうな」

 箒の上で衛慈がぼやく。

「ニンジャ」

「だったら面白いけどさ」

「ニンジャ」


 お前ただ忍者って言いたいだけだろ、と衛慈が後ろから小突く。

 セリアは正直に思った事を言っているだけなのに、心外だ。

 冒険者だったセリアは、もちろん、忍者がどういうものか知っている。

 特異な術や特殊な道具、戦闘スタイルが有名になって、埋もれてしまっているけれど。


(忍者は。たしか、情報のプロ)


 鐵草の情熱は、間違いなく芸術に向かっている。それは彼の目が語っていた。ように見えた。


 けれど同時に、


(情報屋。……でもあるんじゃないのかな)


 鐵草は「きみ仁さんがいらしてくれた」と言った。きみ仁は「引きずり込まれたようなもん」と言った。

 情報屋は嘘はつかない。信用に関わるから。

 ただ、どうとでもとれるように言葉を使う。敬語は主観の隠れ蓑。芸術に関わるなら尚のこと、鐡草は言葉を操るのに馴染みがあるだろう。パトロンとは、言いえて妙だ。


(きみ仁、ほんとはなにしに来たんだろう)


 それを話してくれないことが、さびしい。

 そういうセリアを見つけて欲しいと思ってしまうことは、わがままだろうか。

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