1、 presage/闘うということ(11) 決着
まぶたの裏まで熱くなって、龍一はただ絶叫した。
次に気がついた時には、ぱっさぱさに乾いた魚肉ソーセージみたいな声がカウントをとっていた。
5。4。3。
げほげほと咳き込む。びりびりに痛む腕をあげる。カウントがやんだ。代わりに、巣を突かれた蜂の羽音のような歓声が、わっと湧き出た。それすら水ぶくれができ始めた身体に響く気がする。回復魔法を唱えたのは、ほぼ本能で為した業だった。
柔らかい光がからだを包み、す、と痛みと水ぶくれがひく。
「春日龍一。試合を続行しますか」
ぱっさぱさに乾いた魚肉ソーセージと、審判が結びつく。
返事をしようとして、喉の渇きに気づいた。みず、と呟いたのかも知れない。審判が水筒を差し出してきた。ひったくるように受け取る。気づけば飲み干していて、起き上がっていて、2本目の水筒を要求していた。意識が正常に巡り始める。
数秒火に呑まれたくらいでは、余程の高温でない限りひとは燃えない。
そしてバギーがいかに強かろうと、一瞬でひとを燃やし尽くすような魔法はここでは撃てない。リングの広さでは、そんな魔法を撃ったが最後、術者も熱に当てられて無事では済まないからだ。弱火でも引火するまで炙るくらいは可能だが、バギーの魔法は持久力がない。龍一を飲み込んだ炎の龍も、数秒で消えたはずだ。
でなければ今頃、安物のローブがからだを守りきれず、肺や内臓が深刻なダメージを受け、こんな風にものを考えてはいられない。多分。火の恐ろしいのは、その赤い部分だけではない。火にからだを取り巻かれたら、目に見えない熱が、空気と一緒に入って人体を内側から火傷させる。大口を開けて叫んだのだから、熱い空気は容赦なく龍一の内に入ってきた、と思う。熱かった衝撃ばかり先行して、細部は思い出せない。とりあえず、勝ったら賞金は防具に多めに回そう、と心に決める。
龍一は2本目の水筒を煽った。
R-13Gの大会だが、水分補給は認められている。人道的見地から、という大儀もあるが、小休止を挟んでギリギリの状態で戦う姿もまた、ショーの趣向として面白いからだろう、と龍一は思う。
(水飲んで、まだ戦えるって立ち上がらせて、叩き潰されるのを見るのも、逆転劇を見るのも、安全なところからならいとをかしいもんなぁ)
一昨年から観戦していたから知っている。自分と関係ない命がどうこうなるのは、見世物なのだ。手品や演劇と大差ない。
片方が水分補給をしている間は、もう片方にも同じく水筒が与えられる。バギーも今頃、小休止をしていることだろう。
そこではっとして、龍一は辺りを見回した。
何歩か先で、石のリングが寝そべっている。龍一の位置からは、リングの側面がよく見えた。
さぁっと血の気が引く。
石のリングは50cm程の高さで、土に汚れて白くない。石とグラウンドの接地面から、健気にもか細い雑草が数本生えていた。
そんなものが見えるここはどこか、答えを出すのを一瞬だけ、脳が拒否した。
尻の下に、石より多少包容力のある、よくならされた地面の感触がある。
(バギーの魔法で、場外に飛ばされた)
バギーに水筒を渡しに行っていた審判が、戻って来た。
「春日龍一。試合を続行しますか」
頷く。
そのあとに続く言葉は聞きたくなかった。ぎゅっと目をつむる。
「では、春日龍一、場外。マイナス1ポイント。残り1ポイントの減点で、失格となります」
試合中に場外へ出るのは、観客に攻撃を誘導するおそれがあるため減点対象だ。
わかっていても、審判の言葉は重く、無機物の声が、こちらへの関心のなさを如実に突きつける。
熱く声を張る観客も、審判も、実行委員も、警備の自警団員も、対戦者のバギーでさえ、興味があるのは勝負の行く末で、選手の行く末じゃない。
龍一は立ち上がると、ぐるりを囲む観客席を見回した。
試合前、格子戸の向こうから見たのと同じ、ほぼほぼ埋まりきった、暴力のような数の観客がいた。
この場に、本当に龍一に興味があるのは、たった一人。
(衛慈)
戦争の頃からずっと一緒にいる幼馴染。
龍一の、情けない姿も、無様なあり方も、どうしようもない立ち位置も、惨めも、全部まるっとスルーして、圧しつぶされそうになる龍一を隣でそっと逃し続けてくれたひとだ。
とぼとぼとリングに向かいながら、彼の姿を客席に探したのは、たぶん今大会で一番不恰好でくそダサく、一番肩肘を張らない、自然な行為だと思えた。
2年前、関係者席からリングを見たことはあったけれど、リングから関係者席を求めるのは初めてだ。円形闘技場の、円というかたちが恨めしい。どこもかしこも同じに見えて、どこもかしこも有象で無象だ。
視力には自信がある龍一にも、どこが関係者席で自分がその位置からどの辺にいるのか、すぐには特定できない。
と思っていたはずなのに。
(あっ)
有象無象の中に、なんだか矢鱈ほっぺたの腫れた自警団員を見つけた。
自警団員は恨めしいほど長い足を椅子の背もたれに立てて、片手で上着を振り回して別の手は口元に当てて、何か叫んでいる。
その隣には衛慈もいて、座ってはいるが口元に両手を当てて、やっぱり何か叫んでいた。
彼らの周りだけ、ひとの層が薄い。
関係者席だ。
自分の関係者もさることながら、バギーもいわゆる一匹狼なため、よく考えれば関係者らしい関係者は多くはないはずだ。とはいえ、龍一が予選で視察した所感としては、バギーの関係者席は試合が進むごとに、ファンで埋まっていくようだった。
関係者席に座るには招待状が必要なので、たぶんファンがバギーにダイレクトアタックして招待してもらったのだと思う。その人数の増え方たるや鼠算も裸足で逃げ出す勢いで、今も、四十席ほどある関係者席のほとんどは、龍一の知らないひとたちだ。
(でもその中に、ふたりも、俺を知っててくれてるひとがいる。ふたりもいて、こっちの動きを追って、応援してくれてるんだ)
龍一の胃の底で、なにか体を持ち上げるようなガスがふわっとふきあげて、背筋が伸びた。
(見ていてもらえてるんだ)
弟妹の声がした。
『『春日龍一、武闘祭決勝、頑張って来てください!』』
(きみ仁。仕事あったのに。来てくれたんだ)
きみ仁は、外の世界の価値観を教えてくれたひとのひとりだ。
きみ仁や、蓮李や、セリアは、この街で春日が何をしてどう思われてどう扱われていようと、はいはいあるあると言って動じなかった。
『龍一も自分の可能性を型にはめて、枠の内側からだけどうこう考える必要はない』
きみ仁はそう言って、龍一の、情けない姿も、無様なあり方も、どうしようもない立ち位置も、惨めも、全部ところが変われば事情が変わると教えてくれたひとだ。
可能性を型にはめて、枠の内側からだけどうこう考える必要はない。
今や龍一の視線に気づいたきみ仁は、シャツも脱いでものものしい鎖帷子をむき出しに、シャツと上着をそれぞれ振り回し、衛慈にぶん殴られていた。たぶん、衛慈が恥ずかしがったか周囲への迷惑を懸念したか、どちらかだろうと思った。
龍一はくしゃっと笑った。
枠も、はみ出しすぎると火種のもとだ。
(でも俺は、この街を出たい。……春日を、出たい)
ひょんと石をのぼり、荒れたリング上で、5歩の間隔でバギーと向かい合う。
きんと太陽がふたりの距離を刺した。
審判が形ばかりの口を開く。
はじめのhの音で龍一は後ろに跳ぶ。
元いた場所で拳大の火炎球が炸裂した。爆風に少し体が浮く。
龍一は箒を天に掲げ、箒に魔力を流した。
ひゅっと体が持ち上がる。龍一の着地予定だった位置に、火柱が落ちた。
熱風が箒に吊られた体を浮かす。それに乗るように、箒の上に体を持ち上げた。
そこに火柱が降る。
「五十本避けた! もう見切った!」
次々火柱が落ちる。全て空中で躱す。
再開された試合で、龍一は緊張から完全に解放されていた。
単純に減点続きで緊張している場合ではなくなったからだ。
決して友人の姿に励まされたとか、そういう芋臭いことではない。
芋はコスパが高くて好きだが。
というか、何よりも。
(師匠が危ないとこにいるんなら。絶対に助けに行く)
彼も、あるあるで一蹴することで、外の価値観を見せつけてくれたひとだ。
力でねじ伏せてでも、バギーには知っている事全て、吐いてもらわなければならない。
(祭の出し物になってる場合じゃねぇんだよ。つまんない緊張とか、ビビったりとか、してる場合じゃねぇんだよ!)
目が冴える。集中力が増して、バギーの動きがよく見える。箒を掴む両掌があたたかい。魔力が順調に流れている証拠だ。
螺旋を描くように攻撃を避けながら、バギーの周りを飛ぶ。
火柱の雨に降られて下から炎を吐かれようと、今なら攻撃だってできる。
「たけみかづちの! はたれうつ!」
落雷が火柱の中心を貫き、リングに直撃して、下からバギーを打った。
足裏を焼かれたバギーが倒れしな、火の礫を飛ばす。
直線的な動きのそれは簡単に躱せたが、礫は軌道を変えて龍一を追い、箒の穂先に着弾し爆ぜる。
「げっ!」
と言う間もなく龍一は地上に堕ちた。受け身を取る。
「あのロクデナシが復活させた、浮遊魔法か。予選で惜しげもなく披露していたな」
地べたに這いつくばってバギーが呻く。足が痺れているのだろう。しばらくは立てないはずだ。この魔法が最初から打てていたら、と龍一は歯噛みする。
「そうだよわんちゃん、ロクデナシって師匠の事だろ、なんかそれよく言われんだよなぁ!」
いち早く立ち直った龍一は、迫る火の礫をローブで防いだ。
熱の吸収はローブに任せ、爆風に乗って、再び箒にまたがる。
「たかまのはらへ!」
それからは、宙の龍一と動きの鈍ったバギーとの打ち合いになった。
バギーは動きこそ鈍くなったものの、元々試合開始当初からそんなに動いていない。呪文のない魔法を繰り出せる分、攻撃は最大の防御とばかり、容赦なく打ってくる。
対して、呪文の詠唱がある分龍一は攻撃こそ容易でないが、機動力で圧倒的に勝り、空間の高低も利用できる分、攻撃を躱すのは容易だった。
追ってくる火の礫すら、動きの癖さえ読み切ってしまえば、火柱で炸裂させて相殺させられる。
バギーの、自分の魔法で自分の魔法を打ち消す屈辱が、龍一の攻撃のための間隙になる。
しかしそれすら読まれる時もある。
こうなると、どちらの魔力が先に尽きるかで勝敗は決まる。
魔法は、魔法粒子に魔力で働きかけることによって行使できる。
魔法粒子は、世界に満ちる極小の知的生命体だ。目に見えない粒状の何かで、準生物として定義されているが正体はわかっていない。粒状という認識さえ、魔法粒子自身がそう語ったと古い文献にあるから、そうなっているに過ぎない。
魔力は生き物全てが持っているちからで、体力と同じようなもの、だが体力とは何かを説明するのが困難なように、魔力とは魔法を使うのに行使するちから、としか言いようがない。
自分の欲するものを魔法粒子に伝えて、魔法粒子がそれを具現化して、初めて魔法となる。
その時、魔法粒子にわかるように、魔法粒子の認知に則して「自分の欲するもの」の形状や物性を翻訳してくれるのが魔力だ。
きみ仁は魔力をインターフェース的役割、と龍一に教えたが、龍一にはインターフェースが何なのか、イマイチ理解しきれていない。というか「魔法粒子の認知」という概念がもうわからない。
魔力が使用者の意思をどのように、どれだけ翻訳できるかによって、属性の得意不得意が決まるとされている、が、自分の魔力が魔法粒子とどうコミュニケートしているからどの魔法が得意か、なんて、魔法を使って結果を見るまでわからない。
呪文や魔法陣は、観測に次ぐ観測の果てに、「こうするとより的確に魔法粒子がこうこうこのように動いてくださる」と結論づけられた定型文だ。
そして現状、龍一はそれら定型文に頼る程度の力量しかない。
呪文を使うということはそういう事だ。
そして魔力が尽きるタイミングというのは、疲労によってでしかわからない。
その点では、魔力で箒を操作し続け、動き回って体力的疲労も溜まる龍一の方が、バギーよりだいぶ不利だった。
(くっそ目が霞んできた)
バギーの猛攻はやまない。けれど、照準がだいぶ甘くなっている。
今や双方、四肢といわず胴といわず、火傷や裂傷が無数にできていた。
(あつい)
傷に汗がしみる。この熱も、確実に体力を削ぎにきていた。
石のリングは熱せられ、暖炉のようになりつつある。バギーがそこに立っていられるのは、火魔法の熱に慣れているからと、人間よりずっと皮膚の厚い種族だからだ。
「降参したらどうだ、春日龍一!」
バギーの声は、戦闘による興奮を孕んでいた。目はぎらぎらと輝き、狼が獲物を狩る時の冷静さより、ひとが獲物をいたぶる時の悦びを思わせる。
「抜かせよ犬」
龍一は熱源から逃れるように、高みを目指した。
直線的な動きは火柱に狙われるから、螺旋を描く。
出鱈目に放たれた火柱のうちの一本が、箒の穂先を焼き尽くした。
まずその熱さに肝が冷える。
バランスが崩れる。
立て直すべく意識を集中するが、箒を掴む両の手からは、操作に足る魔力の気配は漂って来なかった。
いやにゆっくりした体感で、自由落下が始まる。
一瞬見えたバギーの眼に、勝利への確信が見えた。
リングに叩きつけられたらただでは済まないだろう。
きみ仁の声が聞こえた。
『りゅーちゃんは、電撃って乱発すると現場はどうなると思う? そこに熱があるってどういうことだって思う?』
龍一の正直な所感を述べたら、きみ仁は生真面目な顔で答えた。
『じゃありゅーちゃんにわかるようにざっくり言うけど。
まず、電撃も熱の移動現象だからさ。電撃の熱と炎の熱が混ざり合って、りゅーちゃんの魔法によるものかバギーの魔法によるものかわかんなくなるよね。そしたらもうけもん。あのさ、光魔法って』
眼を閉じても、バギーの眼の勝利がちらつく。
落下の風が、龍一をなでまわす。どんどん熱を帯びて、風というより熱が絡みつく。
龍一は咆えた。
「………ここで終わりと!! 思うなよ!!!」
きみ仁の講義を思い出す。
(火は。物質が酸素と急激に化合する時に熱を伴って光を放つ現象。電撃は熱の移動現象)
では、バギーの火魔法と自分の電撃が作った熱の、境目はどこだろう。
最初に反則をくらったあの時。
なぜ想定より魔法の威力が大きかったのか。
電撃が熱の移動現象なら。電撃の魔法が、光子の流動で熱を移動させる魔法なら。
自分がそう認識しているのなら。魔法粒子にそのように伝えられるのなら?
『光魔法って、考えようによっちゃ火魔法の上位互換になり得るんじゃない?』
龍一が反則をくらう羽目になったのは、想定より大きな熱がそこにあったから。
火柱五十本分の熱を、龍一の電撃魔法が吸収したからだ。
(そうだ。俺はもう、その知識を前提に魔法を使えるんだ)
冒険者には、影軍師と呼ばれるクラスタがある。
『大昔は、魔法は十属性があった。難度順に一番身近だったのは地水火風、その上に光と闇、熱、音。難し過ぎて無理じゃねレベルだったのが、重力と時間と空間三つでワンセットだったシンって属性。あとは呪。これは完全に相性とか適性の問題で難しいとかそういう問題じゃなかった。今では呪術として完全に魔法とは別物扱いになってる。魔力がなくても発動できるものが多い点、起動したら術者が解くまで発動し続ける点が魔法とは違なる。浮遊魔法はこれに近い。
何度かの世界崩壊を経るうち、魔法に関する記録が散逸したり消失したりして、難しい魔法から使えるひとがいなくなっていって、今、地水火風光闇だけが残った。光は戦闘には向かないけも知れないけど、難度で言えば上位。熱は光と火属性に、音は一部が風属性に残った』
戦闘計画の立案をできる知識とセンスがあるのに、計画が軍隊向きではなかったり、組織に使われるのを忌避したり、国を追われたりして、軍師として雇用されていない人々が影軍師となる。
『火っていうのは。だからつまり熱と光なんだ。火には実態がない。化学反応の時の、光の一つの形なわけ。でもそこに魔法粒子が干渉することで、あたかも火っていう物質があるように操作される。その時酸素と物質が化合されてるかというと、おそらく違う。
化合したなら、痕跡が残るはずだ。炭なり灰なり。化学変化を起こした物質が残って、空気中の水分が蒸発して水蒸気が発生する。でもさ。術者にもよるけど、魔法の火って大体煙が出ない。バギーもそう。おそらく、煙は術者には邪魔なんだ。視界を塞ぐから。もしくは煙の有効性を見落としている。でなけりゃ煙まで戦術換算しないほうが、単純でものを考えやすい。でも魔法の炎は着火したら対象を燃やすし、そうなれば煙はあがる。着弾したら対象からは爆煙があがる。おかしいだろ?
そうやって都合よくエフェクトコントロールでき得るのが、魔法』
御前試合や武闘大会で、影軍師に戦略立案を依頼する事は、情報屋から対戦者の情報を買うのと同じくらいまかり通った行為だった。
『火、は。物質が酸素と急激に化合する時に熱を伴って光を放つ現象。酸素はエネルギーを運ぶもの。熱はエネルギーのひとつの形態。光は電磁波のひとつ。そして熱エネルギーは、原子や分子や光子の運動エネルギー。運動には因から果までの時間がかかる』
ただし、影軍師は腕が良いと組織に狙われたり、負かした相手の恨みを買ったりして、おおっぴらに営業できないひとが多く、自称影軍師の9割は詐欺師だと言われている。
『電撃を乱発すれば、磁場が生まれる。磁場はエネルギーの流れのかたち。そこに熱。つまりエネルギーが大量にあれば、光の魔法で磁場を操り、任意の方向に流すことができる。磁場はループする性質がある。因と果は円環に溶けて、果は因につながり、因と果は等しくなる。因も果もあるのにない、タイムパラドクス、果だけ見れば時間の魔法だ。因は光の魔法なんだけどね。
ただし、磁場を任意で作るには、それなりのエネルギー量が必要だ。
エネルギー、熱は、全部りゅーちゃんが生み出す必要はない。バギーのものを使う。事実上の、火魔法の吸収。光魔法使いだからできる事だ。
磁場と電場と電荷と光子と圧力の関係は、……わかった、混乱するなら割愛する』
きみ仁はおそらく影軍師になれる。
「黄泉返れ! シンの魔法!」
龍一は宙空で、親指と人差し指をつなげた円環を作った。
そこに、箒の操作には満たないけれど、魔法陣の起動には十分な魔力を集めて、小指の爪ほどの光球を作る。
「発動しろ! クロノサイド!!!!!」
人差し指を弾いて光球を飛ばした。円環が壊れる。
呪文で攻撃されたと思ったのか、バギーが嘲笑を浮かべた。
光球はバギーとは無関係の位置に高速で落下する。
そして龍一が土煙の中で描いておいた魔法陣に着火した。
「なに、なんだ!?」
バギーが呻き、オーロラ状の七色の光が魔法陣の外周からぐおっと立ち昇った。その圧で、龍一の落下が緩慢になる。
龍一が飛んだ軌跡を追うように、光の帯が走り、巨大な魔法文字が宙空に現れ、意匠を組むように並ぶ。
光の帯は投げナイフの速さでバギーを拘束し、ゆっくりと毛の一本一本を包み始めた。
動けなくなったバギーは、魔法を使うことも忘れて瞠目した。
魔法の壁が、龍一とバギーを取り囲んでいる。光に遮られてその外は見えないのに、龍一の位置からはバギーがよく見えた。
「これは、魔法……いや、魔法陣か!? まさか、光子を整列させて空中に魔法陣を描いていた……!? 箒で逃げ回ったのはそのためか!?」
龍一はぐへへと笑って「逃げてるように見えただろう? お絵描きだよ」実際逃げてもいたが秘密だ。
「立体魔法陣ていうんだって」と着地する。立っていられなくて、膝から崩れる。
手を付いて体を支えながら、バギーを睨んだ。汗がしとどに、リングを濡らす。
リングから伸びた光の柱は螺旋を描くようにゆっくりと回転し、高く高く昇って終わりが見えない。
その螺旋は、今さっき龍一が飛んだ軌道とぴたりとあてはまる。
「馬鹿な、立体魔法陣は何百年も前に喪われたはずだ! それに、魔法陣は少しでも欠ければ成立しない。貴様がサラマンドの前に描いた魔法陣は、続く戦闘でリングごとほころんだはずだ!」
「リングの表面に描いてたならね。あんた自分で答え言ってるからね?
俺の魔法陣は光子を整列させればいいの。石は熱を帯びる。熱ってのはつまり、分子原子光子の運動エネルギー。わかる? 光子があるんだよ。つまり熱すなわち光子で陣を描いてる、というより刻んでる?? から、冷却されない限りはそこに留まるのが俺の魔法陣。魔法粒子にそれを伝えられれば、そういう魔法になる。それが魔法物理学の使い途なんだと。
あと喪われた魔法を研究してたのが俺の師で、浮遊魔法は魔法使いが箒で空飛んでた時代のを復活させたもんだから。凄いだろう。俺のバックについてんのは、そういう魔法使いの一番弟子やってた人だから。きみ仁のことも蓮李のことも、知ってるんだろ。何も驚くことなんてないんじゃないの」
バギーは光の帯に体のほとんどを覆われて、苦々しげに遠吠えした。
魔法だ、と龍一は直感する。おそらく、風の魔法。かつて音の魔法だったものだ。やはり、火以外にも使える魔法があったのだ。おそらくこの状況でなければ、切り札になったはずだ。
「無駄だよ。この魔法陣の内側では、音の魔法は使えない。音は伝播に時間がかかるから。因から果までの時間が。
クロノサイドは、時間の魔法だ。時間の魔法は空間の魔法だ。空間の魔法は重力の魔法なんだって。俺には難しすぎて、よくわかんないけど。魔法陣を作ったひとが言ってたからそうなんじゃねぇの。
ここでは俺以外の時間は動かない。聞こえてるように感じても、実際はなにも動いていない。タイムパなんちゃらが起こってるから……のはず」
バギーは尚も遠吠えした。
「そしてこれ初めて使う魔法なので、実は何が起こるか、理屈による予想と仮定でしか、わかってません。つまり何にもわかってまっせん!」
バギーの遠吠えが心なしか必死さを増した。
しかし光の帯がとうとうバギーを完全に包み込み、あらゆる動きを静止させる。
静寂が訪れた。
バギーは七色にゆらめく光の彫像と化し、動かない。
「………勝った………」
全身から力が抜ける。リングに伏せると、そこにこもっていたはずの熱はなかった。
ひんやり冷たい石の上で、伏せた体を無理やり動かし、仰向けになって光の壁の果てを見上げる。
バギーを仕留めた魔法陣は、上からほろほろと崩壊を始めていた。
光の粒が降る。
螺旋状の光る骨組みを残し、面を成していた光が、散る花のようにひらひらと、龍一に降り注ぐ。
龍一は、きみ仁と蓮李が壮行式に消えた、2年前を思い出した。
舞い降りる光の粒の動きは、2年前の壮行式で見たきみ仁の魔法陣、花風にどこか似ていて、ああやっぱり作者が同じなんだと龍一を納得させた。
あの魔法陣を編み出したときのこと、龍一とセリアと協力して作ってきた日々を、きみ仁はもう覚えていないのだけれど。
光る螺旋の骨組みの先に、ぽっかり丸い太陽が見え始める。
魔法陣を作ったきみ仁の予想では、対象を静止させた魔法陣は、90秒で崩壊するとの事だった。心臓の時間さえ止めてしまう魔法だから、心臓が止まっても肉体が生きている約2分の間に解けるようにそこは厳重に設計してある、のだそうだ。障害を残さないように、後遺症にならないように、少しだけ回復魔法を組み込んである。
とはいえ魔法が解けて心臓が動き出しても、脳への酸素供給もシナプスのなんちゃら(もう龍一の理解を超えていた)も止まっていた体が、瞬時に元のように動けるわけがない。
『たかがひとりの時間を止めるのに、こんな大仰な仕掛けで空間ごと止める必要があるあたり、力不足なんだよなぁ。りゅーちゃんの師匠なら多分、さらっと魔法陣なしで使えるんだよ、こういうの。なんかそういうひとだって評伝に書いてあった』
(お前もレンもたまに、やること怖ぇよな……)
疲労が眠気になって龍一を襲う。
魔法が解けるまで起きていなくては、と思う。審判は光の壁の内側なんて見えていないんだから、魔法が解けたときに自分まで失神していたら、バギーと相打ち、とうい事になる。
相打ちで再戦が組まれたら、龍一は勝つ自信がない。
大仰な魔法陣、熱を得るための誘導、龍一のスピード、この試合で、相手に晒したものが多過ぎる。
それともきみ仁なら、この状況からでも覆せるだろうか。
『熱と光と時間の境目とか、音と熱の境目ってどこなんだろうな。熱は運動エネルギーだし、音は振動、つまり運動の結果だ。振動である以上あるレベルを超えたところで熱を持つし、振動である以上地点から地点までの移動だ。時間がかかる。音を伝播する物質も、熱を伝播する物質も、重力に縛られなければこの世界には存在しない。磁場みたいだ。ループする。
それをあたかも別物みたいに、人間の認知の先でしか物事を分類したのが魔法だ。魔法属性の切り分け数なんか、十も六も同じ。どんだけ細かく区切るかってだけの話で。
あのさぁりゅーちゃん、よくわからないものによくわからないまま現存されるのは脅威だから、わかりやすいように型にはめたものが魔法の属性ってだけだから。
りゅーちゃんも自分の可能性を型にはめて、枠の内側からだけどうこう考える必要なんかないからね』
(勝ったら、賞金できみ仁になんか奢んねーと)
魔法の壁はほとんど崩壊し、光る螺旋の骨組みも、陽光に吸収されるように消えかけていた。外の世界が見える。この光の骨組みが消えて安全が確認できたら、審判はこちらの様子を確かめに来るはずだ。その時には起きていないと。
横になって少しだけ回復した体を、気力だけで無理矢理起こす。
その直後、石のリングが揺れ始めた。
「なん、なんだぁ!?」
ごん、ごごん、ごん、と音を立てて石が移動を始める。
龍一はリングを降りようと這うように数メートル移動して、
(いやここでリング降りたら失格じゃね!?)
と思い出し、リングから落っこちないように、内側に後退した。
リングは飛び出したり凹んだりを生き物のように繰り返す。
(あ、まさか)
龍一は兼ねてから抱いていたリングへの疑問を思い出した。
ここのリングは摩訶不思議なのだ。
予選の間もずっと使われているのに、一試合ごとに破壊されては元に戻る。
まるで時間を遡るように。
そして自分が使ったのは、因も果も溶ける時間干渉の魔法だったはずだ。空間ごと時間に干渉した。
リングにとって何が因果か知らないが、多分自分は、スイッチを押した。
リングの自己修復機能的な何かの。
「いや待て、だったら俺の勝利判定出てからにしてくぎゃー」
龍一のいた位置の石が突然凹んだ。
龍一は勢いのまま数段転がり落ちて、持ち前の反射神経で段差につかまって止まった。
さっきまで動きたくないと言っていた体が、危機に瀕してよく動いた。火事場の馬鹿力なのだろう。
(ていうか、え、段差?)
龍一はがばりと起き上がり、瞠目した。
石のリングだったものが、螺旋の光の骨組みの中心を通るように、階段となって太陽に向かって伸びている。
階段は支えるものもなく、宙に浮くように伸び、階段の下には直前まで石に圧されて真っ平らになっている地面が見える。
リングの外周だったところに沿って、ところどころ雑草が揺れている。
ついでにバギーが、疲労に震える体を引きずって、這うようにして結構高い位置まで、その階段を昇っていた。太陽に向かって。
(太陽? 違う、太陽じゃない!)
光る螺旋の骨組みは、龍一の飛んだ軌跡だ。
そして龍一は、別に太陽に向かって飛んだわけではない。そんなの眩しくてできない。
それなのに太陽が骨組みの先にあるなんて、おかしかったのだ。あれは太陽ではない。太陽に見える、真っ白い何かだ。淡く光っているから、太陽に見えた。
太陽ではない、その証拠に、白い何かはバギーを迎えるようにゆっくりと下降してきていた。青空に、白い穴があいて、それがくだって来ているように見える。
バギーてめぇ動けんのかよ、と思うより先に、叫んでいる。
「バギー! どこ行くんだ! あんたには聞かなきゃない事があるんだ!」
バギーはゆっくりとだるそうに振り向き、何か言ったようだった。
彼の口は、ありがとう、と動いた気がした。
白い穴は階段を飲み、今や階段は白い穴の奥まで続いているように見えた。いかんせん穴の入り口しか見えないので、その認識が正しいかはわからない。
バギーが穴の縁に手をかける。
驚いた事に、バギーは確かに穴をつかんでいた。触っていた。触れられるのだ。
バギーは穴の縁を支えに、這わせていた体を起こそうとしているようだった。
疲弊したうえ拍動を一時停止させられた体は言う事をきかないようで、難航している。龍一は見ていられなくなって、思わず数段駆け上がっていた。
しかしびたっとその歩みが止まる。
穴の中から、少女が降りてきた。
彼女はバギーの手を取り、ひょいっと立ち上がらせると、大きな目でバギーの目を覗き込んだ。
龍一は固唾を飲んでその光景を見守った。
少女は透けるように色素が薄く、長い尖った耳を持っている。エルフだ。
バギーは硬直してされるがままになっていた。
すると、彼の体を優しく水が取り巻いた。くるくる、バギーの体に沿うように、高い所から低い所へ水が踊り、消える。
(水の、回復魔法だ)
龍一は警戒心が湧き上がるのを感じた。
ちょんとついた少女の口は動いていなかった、ように思う。
回復魔法をかけられたバギーは、水を得た魚よろしく、階段を駆け上がって見えなくなる。
少女は少しだけその背中を見送ると、再び歩みを再開した。
すぐに龍一を見つける。てってってっ、とリズミカルに、少女は駆け下りて来た。
龍一は「ひぃ」と息を飲んだが、その場を動けなかった。
バギーに回復魔法をかけた彼女が、悪いものには見えなかったからだ。
そして衆目の中で女の子から逃げるような真似は、情けなくてしたくなかった。
少女は龍一のひとつ上の段で止まったかと思うと、じっとこちらの目を覗き込んでくる。
少女に表情はなかった。まるで人形のようだ。ギルド製の自律型自動人形。
「虹彩を確認。照合」
少女の耳の後ろあたりから無機物がこすれるような音声がした。口が一欠片も動いていない。
(今どっから声出した!?)
謎の音声がもう一度した。
「データベースと一致。対象、春日龍一。ロックを解除します。DNAを採取してください」
「なんですって!?」
龍一が叫んだ瞬間、少女の顔が勢いよく迫ってきて、龍一の前歯と少女の前歯が折れるんじゃないかという勢いでぶつかり、少女のすっと通った鼻が龍一の頬に殺人的にめり込んだ。
驚き過ぎた龍一は、何が起こったか認識する前に、衝撃で後方に傾いだ。
そのまま転倒する。
世界が回転する一瞬、階段が地下まで続いているのが確認できた。
しかし龍一は、口内でした水音と血の匂いに気をとられて、それどころではなかった。




