4:バジンガー
今から五年前の小学五年生の時。
両親を交通事故で亡くした私は遠縁の親戚にあたる吾妻家に引き取られた。
当初、私はショックで塞ぎ込んでいたのだが、それを支えてくれたのが一人息子の悠生だった。
反応を示さない私に何度も喋りかけ、夜中に魘されていれば手握り励まし、根気強く説得して外へと連れ出してくれた。
その内徐々に立ち直っていった私は、一つ年上の彼を本当の兄のように慕うようになった。
少し俺様だけど優しくて頭が良くて格好良いいお兄ちゃんが私は大好きだったのに。
彼が変わってしまったのはいつからだったっけ。
そうだ、私が中学に入学した辺りだ。
気付くとあまり口を利いてくれなくなり、今まで一緒だった食事も一人で食べるようになっていた。
急に突き放されて酷く戸惑う。
吾妻夫妻は仕事で忙しいのであまり家に居らず、彼に避けられると私はまた独りだ。
想像するだけでゾクリと背筋が冷える。
だから無理に付き纏い嫌な顔をされても懲りずにしつこく喋りかけることが多くなったある日、彼は冷たく言い放った。
「はる、勘違いするな。お前は俺の妹でもなんでもないし、この家の人間ですらない居候の邪魔者だ。あまり調子に乗るなよ」
この台詞は私に衝撃を与えた。
確かにその通りなのだ。
『可哀想な子』を大義名分としてお兄ちゃんに随分と甘えていた私はさぞ煩わしかっただろう。
それに気付かず迷惑をかけていたらしい。
この日から私のお兄ちゃんは消えた。いや、始めからそんなの幻だったんだ。
お兄ちゃんだと思っていた人はお世話になっている家の息子さん。
これ以上嫌われてなるものか。
その事を肝に銘じて自身の立場を弁えた行動を心掛けるようにした。
一線引いた私に彼はより一層冷たくなっていく。
たまに憎々しげに睨まれることさえあり、どうしていいのか分からなくなる。
極力接触しないよう自室に籠るのが精一杯だ。
それでも、私は彼に感謝している。
両親に置いていかれた私を庇護し何不自由ない女の子として過ごさせてくれているのは吾妻家だし。
あの時のボロボロの私を救ってくれたのは間違いなく彼の優しさだった。
鬱陶しい私でも立ち直るまで我慢して待っていてくれた。
大好きなお兄ちゃんではなくなったけれど、彼が私の恩人だということに変わりはない。
幸い両親を亡くした時みたいに孤独が私を支配することはなかった。
確かに家では独りだったけど、今の私には悲しみを癒してくれる彼氏が居るのだ。
そんな彼とは中学一年生の時から付き合っていて、現在は彼の転校により遠距離恋愛。
中二ではもう転校して行ったから、実質側に居たのは一年だけ。
ご両親の都合で各地を転々としているのでそれ以来会えていないけれど、連絡は毎日欠かしていない。
彼に話を聞いてもらうと不思議と胸が軽くなる。
育ててる花の蕾が開いたり、たまたま見上げた空に虹が出てたりすると写メを送ったり。
彼もお昼に食べた物とか綺麗だったり面白い写真をよく送り返してくれる。
そんな些細なやり取りが私の心を優しく包み込むのだ。
そんな訳で彼のおかげで私は何とか中学時代を、氷河期よりも寒い吾妻家で乗り切ることが出来た。
しかし問題は高校である。
吾妻夫妻が息子の通う私立へ進学してはどうかと薦めてきたのだ。
実は中学の時もそこの付属を薦められたのだが、学費も入学金も半端なく高くてすぐに両親の遺産なんて食い潰してしまうほどだ。
そこは吾妻夫妻が出すと仰って下さったが、それほど甘えてしまうのは気が咎めて結局中学は私立へ行かなかった。
だから高校もどこか適当な公立を選ぶ予定だったのだ。
ましてや邪魔者だとしっかりと釘を刺されてしまった今、一人暮らしも検討中だったのに。
どうして私は今、その私立で嘗て兄と慕った人のファンクラブ隊長なんぞやっているんだろう。
嗚呼、本当に馬鹿みたいだ。
きっかけは珍しく彼が私の部屋を訪ねて来た時だ。
「あれ? 悠生さん……どうしたの?」
てっきりお手伝いさんかと思いノックされた扉を開けに行くとそこには吾妻が立っており、難しい顔で私を見下ろしていた。
「入るぞ」
許可も聞かずに勝手にズカズカと私の部屋へ入ってきた。
「親父から聞いた。お前高校も公立を考えているそうだな」
「うん……」
恐々頷くと元から仏頂面だったのが、眉間に皺が寄り更に不機嫌そうになる。
「中学も私立を受けなかったのに、いい加減我が儘を止めろ」
「え?」
「面倒を見ている子供を公立へ行かせるというのが、どれだけ体裁が悪いことなのか分からないのか?」
「あ……」
確かに吾妻ほどの財力がある家で息子だけ私立へ行かせているとなれば、要らぬ陰口も叩かれそうだ。
お金のことしか考えていなかった私はなんて愚かだろうか。浅慮にも程がある。
「ごめんなさい、私ったらそこらへんの事ちっとも気付かなくて……」
「分かったのならグダグダ言わずに俺の通う学園に来い。金なら親父が払う」
公立は諦めるにしても吾妻家から通わせて貰うに相応しい学校はそこだけではないような気がするのだが、なんだか反論出来そうにない雰囲気だ。
「俺は来年から生徒会長として何かと忙しくなる。ファンクラブも出来るしな」
「え? ファンクラブ?」
「ああ。元々結成したいと要望は以前からあったのだが、生徒会に入ることになり無視が出来なくなった。不本意だがな」
ブフッ!
ファンクラブだってぇっ!
ぎゃははははは、モテモテでファンクラブゥゥゥ!!
「そ、そうなんだ」
駄目だ声が震える! 口端がピクピクする!
堪えろ私の腹筋、今ここで笑っては絶対怒り出すぞ。
内心お腹が捩れるほど大爆笑していたのだが、悟られないように必死で平常心を保つ努力をする。
「だからその面倒なファンクラブをはるが纏めろ」
「は?」
笑いの波がピタリと静まる。
私が、何を纏めろって?
「えっと、嫌です」
ファンクラブなんて冗談じゃない。
そんな恥ずかしい謎の組織なんて無理だ。
ぶんぶん頭を横に振る私に彼は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「お前、誰のお陰で今まで生活出来ていたと思っているんだ。当時はるを引き取るよう両親に口添えしたのは俺だ。
いいか、これはお願いではなく命令だ」
ええっと、脅されているのだろうか。
確かに吾妻家に引き取って貰えたのはありがたいよ。
でもそれを決めたのも実際にお世話になっているのも吾妻夫妻だし。
はぁ、昔はそんな情けないことを言う人じゃなかったのに、どうしてこんなに変わったんだろう。
多分反抗期だからじゃないかな、と予想はしている。
ご両親はあまり家に居ないから身近に居る私に思春期特有の苛立ちをぶつけているのだろう。
だからあの時も私に付き纏われて、抑えきれずに『居候の邪魔者』なんて言ったんだと思う。
当時は悲しかったが、まぁ言葉を選んでいない本音が漏れただけの事実だから仕方ない。
でもせめて笑顔で挨拶出来るぐらいの関係には戻りたいなぁ。
早く大人になっておくれ。
「今後お前は熱狂的なファンクラブ隊長になり、どれだけ自分が俺に夢中か周囲にアピールしろ」
「え?」
「……そして俺だけを見て俺だけを愛せ」
随分と情熱的な命令に、正気なのかと耳を疑う。
しかし目の前の彼の瞳にいつもの冷たさはなく、熱が浮かんでいるのが分かる。
「ほ、本気で言ってるの?」
思わず尋ねる声が震える。
「ああ本気だ」
肯定の返事を聞き、私は内心で崩れ落ちる。
あああ、本当にどうしてしまったんだ。
私を脅してまでファンクラブを盛り上げさせたいなんて。
“モテモテな俺”を演出したいなんて。
恐るべき思春期、恥ずかしいっ!
大丈夫! そんなことしなくても十分格好いいよ!
でも分かったよ学校に伝説残したいんでしょ。
うん分かる、分かるよ。
誰でも一度はそんな妄想するってクラスの男子言ってた。
モテモテ伝説実行したいんだね。
反抗期長いなぁとは思っていたが、まさかそこまで厨二病を拗らせてるとは思いもしなかった。